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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

料理撮影時のおすすめレンズ

2015-08-05 09:00:00 | (愛)のブログ
今年は酷暑ですね。先日、家族で日中に公園に行ってきましたが、暑すぎて着いて5分くらいで私は帰りたくなりました。
自然と食欲も落ちてしまいます。
そんな時は麺料理!そう、9月号のイオの特集は「朝鮮の麺」特集です。
今回特集デザインの担当は私ではありませんが、人手が足りないこともあり、私も料理撮影に行ってきました♪
ということで、今回のブログは私が個人的におすすめする料理撮影する際のおすすめカメラレンズを紹介したいと思います。

料理撮影する際は、念のためにいつも3本ほどレンズを持っていきます。
今回も持っていて良かった~、助かった~と思ったレンズが、60mm単焦点マクロレンズです。


イオ編集部にも置いてあるレンズですが、実は個人的に持っているレンズの一つでもあります。
私が1眼レフカメラに興味を持ち勉強しようと思った時、朝大時代写真部に在籍していた写真好きである父が、私に買ってくれたのがこのレンズです。
60mm単焦点マクロレンズの利点は、
●接写ができる、●単焦点なので明るい、そしてズームができないので自分の足で動いて写真を撮るようになる=●写真がうまくなる、
ということで最初のレンズとしておすすめされました。

イオ編集部に入る前はフィルムカメラにこのレンズをつけて、近所を散歩したり、甥っ子を撮ったりしてただ楽しんでいました。
仕事でこのレンズを使うようになってからは、このレンズの良さにより気づくことができました。

今回の撮影も麺料理ということで最初は標準の明るいレンズを使っていましたがピントを合わせられる距離がきまっているのでなんとも撮りずらく、
60mmのマクロレンズに交換するとスムーズに撮りたい画が撮れました♪

意外に活躍するレンズの一つです♪
マクロレンズって改めていいな~と思いました。
今度もし、レンズを買い足せる機会が訪れたら(そんな日が来るかは別にして)、また違うマクロレンズを買いたいと思います(愛)



青商会主催の合同パダモイン

2015-07-27 09:00:00 | (愛)のブログ

先週の「海の日」。
地域で青商会主催の合同パダモイン(海水浴)があるというので、参加してきました!

チャーターされたバスに早朝から乗り込んで、いざ千葉の海へ。
海に行くのは4年ぶり。5m位しか泳げない私にとって海は敷居が高いけれど、行くと楽しいものです。
ここ最近の都会の真夏の暑さに比べると、日差しは暑いけれど海風が涼しくて、波もひんやりと心地よく、久々にゆったりとした時間を過ごせました。
子どもも初めての海に最初は戸惑ってましたが、段々慣れて帰る間際はまだ海にはいりたい~とだだをこねるほど楽しんでいました。

お昼はビールサーバーと七輪を持ち込んでの焼肉!海で飲むビールのおいしさは格別でした。
午後は子どもたちのためのイベント、スイカ割り!
おもちゃのバットだったので、全く割れる気配はなかったものの、子どもたちは皆で声を掛け合ったり、助け舟をだしたりととても楽しんでいました。

今回の海水浴、行ってよかったなと思ったことのひとつが、旧知の方たちとまた出会えたことです。
地元の先輩、大学時代の先輩、そして遠い親戚にあたる友人たちと久々に会えて、実は住んでいる場所が近かったりと、嬉しい発見がありました。
お互い結婚もして子どももいて、新たな環境の中でまた偶然会えたことがなんだかとても嬉しかったです。
こういったイベントでまた偶然旧知の方たちと出会える、同胞のイベントの醍醐味ですね♪
体はクタクタになったけれど、心の中はほっこりした1日でした。(愛)



「統一」と「祖父」

2015-07-15 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、やっと8月号の〆切が終わりました。
8月号の特集は「統一はロマン? ~70年の節目に」です。

8月15日、朝鮮が長い植民地支配からやっと解放された記念すべき日。
それから70周年となる今年、「統一」について考えてみる企画です。

「統一」という言葉を聞くと私は祖父を必ず思い出します。
私の祖父は在日1世で、10代の頃に生きていくために働き場所を探しに日本に渡ってきました。

私が幼い頃、祖父は自分の半生のことをよく話してくれました。
植民地時代がどんなにひどく惨めなことだったか。食べるものもろくになかった。
学校でもっと学びたかったのに、働かなくては生きてはいけなく、働く場所もないから日本に渡ってきたと。
幼いと働かせてくれないため、ごまかすために大きな手袋をして、働くための札をもらったりしたこと。
日本に渡ってからは必死に働きながら、家に仕送りもして、それでも勉強をしたくて、稼ぎながら夜学に通ったこと。
解放した後は自分の仕事場で働いていた同胞たちを祖国に帰すために一勝負打った事。
南に帰った同胞たちからひどい情勢だということを聞き、落ち着くまで待とうと思ったが、そのうちに分断され自身の故郷に帰れなくなったこと。
日本で自分たちの学校を建てようとして困難に直面したとき、北から教育援助費と奨学金が送られてきて、大変感動したこと。

それからの祖父は、自分が裕福に暮らすためではなく、祖国のため、未来の子どもたちのために生涯を捧げた人生だった。
時おり、祖父の母が南から日本に来たりもしたが、祖父自身は故郷には終ぞ帰れなかった。
6.15共同宣言が発表された2000年の2月に還ってしまったから。

2000年4月、私は朝鮮大学校入学式の日に、南北首脳会談が開かれることを聞いた。
入学式の会場がわっと喜びに沸いたあの瞬間、喜ばしい反面、私はすごく悔しかった。
もう少し生きていたなら、この人生最大に嬉しいニュースを聞けたはずだったのに、と祖父の顔がよぎったから。

いつも朝鮮新報を隅から隅まで読んでいた祖父、自身の故郷の話しを感慨深げに語る祖父、いつか統一された朝鮮で堂々と故郷に帰るために、祖国にすべてを捧げた祖父を想うと胸が締め付けられます。

私の祖父だけでなく、きっと多くの1世たちが悲願をかなえられずに還ってしまわれた方が多数だと思います。

その祖父の想いを私たち3世、4世がつながなくては、と切実に思います。

6.15共同宣言、10.4共同宣言の後からは、遠のいた印象もある「統一」ですが、
ロマンとしてではなく、ひとりひとりの実感として、「統一」を感じられる、そんな日が来ることを願いながら今年の8.15を迎えたいです。(愛)

母乳?ミルク?

2015-07-06 09:00:00 | (愛)のブログ
先週末、「ネットに偽の母乳 細菌1000倍」のニュースが流れていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150703-00000013-mai-soci

最初読んだ時は、買って子どもに飲ませてしまう人がいるんだ!と驚きでしたが、産後の母乳か、ミルクか、といったことで悩んでいるママたちにとってはきっと悩んだ末の最後の手段だったのかな、とも思います。

私も一時それですごく悩んでいたからです。
産後、初めての子育て、母乳でできるだけ育てたいけれども、生後3ヵ月後には働かなくては。預け先は冷凍母乳を受け取ってくれないので、ミルクと併用していました。
それは働くうえでしょうがないとしても、預け先でミルクに慣らすために朝も夜寝る前もミルクでお願いしますね、そして段々ミルクで過ごすようにしましょうと言われてしまいました。
それでなくても、日中母乳をなかなかあげられないのに、自宅でまでミルクをあげていたら母乳の出番がなくなるじゃないか!とひとりでモヤモヤしていました。
保育される方にできるだけ母乳あげたいので、と言っても気持ちを少しも汲んでもらえず、ミルクの方が健康にもいいし、子どもが可哀そうよとまで言われてしまい、泣きながら姉や区の相談員に電話したりしていました。
相談した方たちは皆優しくて、どうせ家のことまでわからないんだから、うまいこと言っておけばいい、自分のしたいように子育てすれば、と言ってくれたので、そこで完全に割り切ることができました。
私は保育している方のいわゆる「ミルク神話」に悩まされましたが、上記のようなものを購入した方たちは「母乳神話」に相当悩まされた末の行動だったのかな、と。

それでなくともホルモンバランスの乱れからか産後の母親は情緒不安定になります。今思えばあんなことで悩んでいたな~と思いますが、当時の自分は本当に何もかもぶちまけたい位の激しい感情だったと思います。

子育てするなら母乳?ミルク?

母乳もミルクもどちらも一長一短あると思うので、どちらを選んでも、私はいいと思います。
大切なのは、色々な言葉に悩まず、母親と子どもが笑顔で毎日過ごすことだと思うからです。
このニュースを読み、改めてそんなことを思った次第です。(愛)


「朝鮮 花物語」

2015-06-25 09:00:00 | (愛)のブログ
7月号がそろそろ皆様のお手元に届いた頃だと思います。
7月号の特集は「朝鮮 花物語」。
朝鮮半島に生息する植物や花などをさまざまな角度で紹介しています。
解説や「なんでもQ&A」、平壌中央植物園の紹介、山菜採りの取材記事、済州島に咲く花と木たち、等々。
新緑の季節にぴったりな特集になったと思うので、ぜひ一度ご覧いただければと思います。

今回特集デザインを担当しましたが、花の写真を見ながら、こんな花もあるんだ~、この花も朝鮮半島で見られるんだ~など、たくさん「へえーーー」を実感しました。

一番苦労したのが、朝鮮語名や日本語名、学術名を照らし合わせて、本文を読みながら、編成することでした。
何年かぶりに辞書を開いて、紙に記して、改めて色々な花の名前を勉強しました。

山菜採りの頁では、祖母のことが思い出されました。
昔は5月頃になると祖母と祖母の友人たちで、帽子にリュックを背負い、山菜採りに出かける姿をよく目にしました。そして、帰ってきた後は山菜の天麩羅が食卓に。
天麩羅にしたての山菜の味は、塩を振っただけなのに、なぜあんなに美味しいのでしょうか。

あと、山菜採りといえば、私自身も学校や学校の裏手にあった山で、よくヨモギ草を採りました。家に持ち帰ると、祖母がヨモギ団子を作ってくれるからでした。
「ヨモギ草採ってきたよー!」と声をかけると、「よし!ヨモギ団子作ろう!」とすり鉢にヨモギをゴシゴシとすりつぶし、ヨモギ色の見事な団子ができあがるのが本当に楽しみでした。

「済州島に咲く花と木たち」の頁では、牧歌的な済州島の風景写真とともに、そこに咲く花を紹介しています。
済州島の風景写真はある方に提供してもらったのですが、済州島が故郷であるかのじょの写真はとても素敵で、故郷への愛が満ちている、そんな写真でした。

東京にいると、山もなく、植物や花に触れ合う機会も少ないので、これからは積極的に木や花、植物が生息する所に訪れたいと思います。
森林浴ができるところがあればぜひ教えてください。(愛)



台所。

2015-06-16 09:00:00 | (愛)のブログ
(理)さんから貸してもらった本、「東京の台所」を読み終えた。

月刊イオ 2015年6 月号の「編集部オススメ!」欄で紹介されている本である。


「編集部オススメ!」で紹介されているように、久しぶりにおもしろい本だった。

普段、普通の人(一般人)の生活など目にしない。

まして台所なんて、他の人のお家にお邪魔しても、まじまじと見るものではないので、様々な人の台所はとても新鮮だった。

この本を読んで、自分の台所の記憶というものを考えてみた。
やっぱり台所イコール母だ。
実家の台所では、夜中12時を過ぎた時刻に、朝早く朝鮮学校へ通う私たちや朝が早い父のためにお味噌汁を必ず作ってくれる母の姿が毎日あった。

実はそれは現在も進行形で、産休中実家にずっといた私は、朝鮮学校に通う孫が泊まる夜には、母が昔のように夜中に台所にたつ姿をよく目にした。明日孫に食べさせる白米のおしかけ。火を入れれば食べられる汁物の準備。
いまも昔と変わらず昼夜問わず台所にたつ母に、思わず改めて尊敬した。

子どもが皆社会人になっても、次は孫で大変だね、と言ってみると、本当よね~と言いながらも、どことなく嬉しそうな母なのだ。

台所にはそんな風に、1日1日の年月が込められている場所なのだと改めて見直すことができた。否応なしに毎日過ごす場所、台所。

台所で過ごす、その人その人ごとに秘められた人生物語がある。

自分も自分の生活スタイルに全く自信などないのだが、語られない生活こそ良いものだよ、と問いかけてくるような、そんな本だった。(愛)

場所と記憶

2015-06-05 09:00:00 | (愛)のブログ
イオ編集部では現在7月号を目下作成中。
そんな中で並行して行われているのが、会社の引越作業。
先日は部員総出で、編集部で所有している書籍の整理をした。
必要なもの、不要なものを選別していき、なんとかダンボール2箱に収まった。

以前、デザイン作業をする際に使っていた旧マックさんともおさらばした。
よくフリーズしては、ある日突然真っ青な顔になり、作業を2日間も停滞させたりと「困ったさん」だった旧マックさんともお別れだと思うと、「よく頑張ってくれたね♪」と清々しく送り出した。

個人的な荷物も減らすべく、自分がいままでストックしていた雑誌の整理もし、あまり物を捨てられない自分としては思い切って捨てている。
ひとつひとつ作業をしていると、いよいよ引越が現実味を帯びてくる。

私が現在の編集部に初めて訪れた時は入社面接のときだった。
初めて聞く駅名、降り立つのも初めてで、どきどきしながら会社に向かったのを記憶している。


それから9年、毎日のように通ったこの道をもうすぐ通らなくなるのだと思うと少しさみしい。
横断歩道越しに見える季節ごとに変わる大きな看板(クリスマスが近づくと決まってサンタが表れていた)。
美味しくってボリューミーなパスタ屋さん(女子会ランチは決まってそのお店)。
ジンジャーチャイラテが美味しいベーグル屋さん(癒しを求めて、良く通ってはホッとひと息)。
紫陽花が境内に咲き乱れる神社(神社の先の公園で素材に必要な写真撮影を幾度となくした)。
晴れた日には富士山が見え、スカイツリーまで見える絶景の最上階レストラン(昼食時はほぼここでお世話になった)。
皆で花見と称した新入社員歓迎会を催し、焼肉を焼いて食べては余興に笑いあった駐車場(桜は全く見えない)。
書き出すときりがないので、ここまでにするけれど、どれも思い出深い。
場所と記憶ってつながっているのだな、と改めて思う。

〆切後に本格的に作業となると、そんな感慨深いことを言っていられなくなると思うので、まだ余裕があるうちに綴ってみた。
とりあえずは〆切を無事に迎えるために、目の前の仕事を頑張りながら、時間があるうちにいままで通った場所も訪れてみたいと思う。(愛)


最近読んだ小説

2015-05-27 09:00:00 | (愛)のブログ
最近、久しぶりに小説を読みました。
独身の頃は通勤時間が長かったせいもあり、同僚が持っている小説を片っ端から借りては読み漁っていました。
個人的にはノンフィクションよりも、ありえない世界観を味わえる小説が好きなこともあり、
多い時には1ヵ月に10冊位は読んでいたと思います。

久しぶりに手にとった小説が
伊坂幸太郎の「夜の国のクーパー」という本です。
2012年に出された小説なので、新作ではないですが、
帯の言葉の「これは猫と戦争、そしてなにより、世界の秘密のおはなし。
不安に覆われた<夜の国>に、救いの光は射し込むか?」
という文句に惹かれて買ってしまいました。

猫が主人公になったり、人間が主人公になったり、ちょっと入り込むのに時間がかかりましたが、なかなかおもしろかったです。
猫が主人公の章の時は、猫のマークが書かれていたり、
そんなちょっとした仕掛けが可愛くて、猫好きにはたまりませんでした。

この本の中の一節に
国王が国をまとめるためのこつとは「外側に危険で恐ろしい敵を用意することだ」とありますが、その1節が朝鮮を敵に仕立てるいまの日本と重なるな~と思って仕方ありませんでした。

とても不思議で、だけどなぜかリアルで、どんどん読み進めたくなる小説でした。
久々に面白い小説に出会えて、読書熱が復活してきました。
色々とまた探して読んでみたいと思います。(愛)


入管へ外登の切り替えに

2015-05-15 09:00:00 | (愛)のブログ
イオ6月号校了、無事終えました。
イオ編集部にもつかの間の平穏な時間が戻ってきました。
なので昨日、入管(入国管理局)まで在留カードへの切り替えに行ってきました。

私は「特別永住者」でなく「永住者」のため、入管に切り替えに行かなくてはなりません。
今年3月頃には切り替えを促す案内ハガキが届きました。
面倒だな~と思い、行けてなかったのですがそろそろ切り替え期限も近づいてきたので、重い腰を上げ行ってきました。

実は東京の入管に行くのは初めてだったので、迷いながらも品川駅からバスに乗り、到着しました。
写真は在留カード用とパスポート用のサイズで出てくる写真機が入管にあると聞いていたので、到着してまずスピード写真機を探しました。
入管に入ってすぐの写真機の前には5~6人ほど並んでいたので、列に並ぼうと思ったら「向こうにも写真機があります」の文字。奥のほうへ進むともう2台あって並んでいる人も1人だったので、そちらに並んでまず写真を撮りました。

そして1階の申請書類配布場所で申請書をもらい記入。
2階へあがるとすぐ目に入ったのが長蛇の列! みると在留審査の受付に並ぶ人たちでした。
私は「在留カード D」と書かれた矢印の案内に従って歩き、受付番号をとって待ちました。10分ほどで呼ばれて案内のお姉さんにいろいろ確かめられて、そこから待つこと30分後。。。
ようやく在留カード発行されました。

受付係が「7年後にまた切り替えですので」と言ったので、「その時は通知は来ますか?」と聞くと「7年後のことなので、どうなるかまだ決まってないんですよ」と苦笑い。。。
そんなものなのか~と呆れましたが、お腹もすいていたので、足早に入管を後にしました。

しかし、切り替えの度に入管まで足を運ばなくてはいけないなんて!
いままでは特別永住者も永住者も「外国人登録証明書」だったのに、新しい在留管理制度からは永住者は「在留カード」になりました。交付もわざわざ入管に出向かなければなりません。
月刊イオ2012年7月号での特別企画「どうなる?新在留管理制度」でも、その内容を紹介しています。

〈イオ2012年7月号p54「新たな在留管理制度における在日朝鮮人の処遇と問題点―筆者:ペ・ミョンオク弁護士〉
…「在留カード」は常時携帯義務、変更事項の入管の届出義務が課され、外国人の所属機関にも情報提供努力義務が課された。市町村では外国籍住民として住民基本台帳へ編入され、市町村と入管(国)の間で外国人の在留情報が相互に通手されることとなった。これにより、法務省―国(入管法)と市町村(外登法)に別れていた外国人の在留管理が国に一元化され、外国人への日常的なチェック、監視は一層強められる。…


在留カードをこうして初めて手にしてみると、なんだかとっっっても腹がたってきました。
戦後70年経つのに、いつまで在日朝鮮人を厳しく管理し排除しつづけるのだろう、と。

5月18日に発行される予定のイオ6月号の特別企画「7月8日まで外登の切り替えを!」でも、外国人登録証明書の切り替えについて詳しく紹介しています。
ぜひお手にとってみてください。
そして忘れずに早めの切り替えを。(愛)




「誕生60周年記念 ミッフィー展」に足を運びました

2015-05-01 09:00:00 | (愛)のブログ
先週、現在銀座松屋で開催されている「誕生60周年記念 ミッフィー展」に足を運びました。

ミッフィーの産みの親はグラフィックデザイナーのディック・ブルーナさん。
2012年度に日刊イオで自身のエントリで書いたように、
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/ee9dd2f421775429326a8d3c93a3b152
ディック・ブルーナさんは私にとっては刺激を受け、
イラストを見る度に勉強する想いで線や色などを眺めていたデザイナーさんです。

今年はミッフィーが誕生して60年、ディック・ブルーナさんの貴重な原画やスケッチが展示されるということで、隙間時間を縫って、行ってきました!

展示会場前から大きなミッフィーが出迎えてくれました。
1955年に初めて描かれたファースト・ミッフィーやディック・ブルーナさんが毎日奥様にメモ代わりに書いていたイラストなど、たくさん展示されていました。
ミッフィーを描く工程、ひとつひとつの形にとことんこだわるひたむきな姿勢、
展示物に目を通しながら、勉強になることも多かったです。

撮影してもいい展示物もあり、すかさずパシャリ。



満足した気持ちで展示会場をでると、ミッフィーグッズがこれでもか!!とたくさん販売されていました(^_^;)
ついつい私も少しだけ、買ってしまい、展示会場を後にしました。

ミッフィー展、東京では5月10日までだそうです。その後全国何か所か回るそうなので、興味がある方はぜひ♪(愛)

写真撮影講座の体験教室へGO!

2015-04-23 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、(麗)さんとともに、写真撮影講習に行ってきました。
バナー広告で見つけたものでしたが、ある協会が主催する講座の体験教室で値段も手頃だったので写真技術向上のために行ってみよう!ということになったのです。

各自カメラを持参して講習場所に着くと、料金1000円を払い、いざ教室スタート!
講習内容は撮影を中心としたものでした。
1回テーマに沿って各々撮影した後に、先生の講義が少し入り、それを聞いたあとにまた撮影し直してみる、といった内容でした。

私はイオ編集部に入る前は個人的にカメラが好きで1眼レフは持っていたものの、本格的に習ったのはイオ編集部に入ってからでした。
当時の上司に厳しくも丁寧に教えてもらい、現場で実践を積むといった形だったので、今回の教室体験はとても新鮮でした。

コツを教えてもらい、撮り直してみると断然デキが違うのです。
いままで何となく感覚で撮っていたものを、理論として習うのはとても有益でした。


写真を撮るうえで一番重要なことはなにか?
今回は教室でならったこの言葉だけ紹介したいと思います。
それは…






「メッセージ」だそうです!!
何を撮るうえでもまず「メッセージ」を明確にすること。それを伝えるために全ての技術を習得するということ。
ふむふむ、と先生の話しを聞きながら納得した次第です。


いままで何気なく撮影してきましたが、今回改めて習うことにより初心に帰ることができた思いです。
これからも、今回習ったことを生かせるいい写真たちをたくさん撮りたいと思います♪(愛)

カフェでの偶然

2015-04-10 09:57:50 | (愛)のブログ
先日、自由が丘のカフェに取材でお邪魔すると、偶然!普段は西のほうにすんでいる友人にバッタリ会うことができました!
なんでも実家のほうに少し帰ってきてて、今日は雨でどこにも出掛けられなかったので、子どもたちとキッズスペースのあるこのカフェに来たとのこと。

そのカフェは元々その友人を通して、知ることができた場所でしたが、まさかこんな偶然が重なるとは驚きでした~
カフェではこんな偶然の出会いがあるのですね♪

そのカフェについては、イオ5月号が無事でてから、またブログで詳しく紹介したいと思います♪

今回特別企画では様々なカフェを紹介しています。
私も2ヶ所取材に行けましたが、写真をみると、どれもその店なりの持ち味があり、1度、2度と訪れてみたいと思いました!
巻末には、カフェでほっと一息ついて読めるような短編小説も掲載しています!
ぜひ、読んでみてください。
今日はイオ5月号の〆切日。
今日1日を無事乗りきれるよう気を抜かず頑張ります!
イオ5月号は4月20日発行予定です! (愛)

「カフェと音楽と、」

2015-03-31 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、「カフェ」が話題に上った際ひとつのCDを思い出しました。
「カフェと音楽と、」
私が入社して1年目に買ったCDです。

入社して半年が過ぎたころ、私は特別企画をまるまるひとつ任されるようになりました。
その頃は自分なりにデザインをして、誌面を組んで、それだけでいっぱいいっぱいだった記憶があります。
お昼時間も忘れて一生懸命ページを組み、やっと13時過ぎに近場のカフェに昼ご飯を食べにでかけられました。

頭の中はショート寸前。
カフェの中はお昼をすぎたためか人もまばらで、空いている席に座り、ちゃちゃっとランチを頼んでからは、なにをするでもなくボーっとしていました。
その時流れてきたのが、このCDの曲。
店内に流れる優しい曲と歌が、熱々だった頭の中を冷やしてくれて、ぎすぎすした心が次第にまるくなりました。

運ばれてきたカフェラテと食事をとりながら、落ち着いた気持ちになり、知らず知らずのうちに癒されていたのです。
帰り際、「あの、ここで流れている曲名教えてくれませんか!?」と、食いつき気味に店員さんに聞くと、店員さんは困惑しながらも、「カフェと音楽と、」というCDジャケットを見せてくれました。

その後はリフレッシュした気分でまた仕事に打ち込めました。
後日、またあの癒しの気分を味わいたくて、自分で「カフェと音楽と、」を購入しました。

今でも気分をリフレッシュしたいときはこのCDを聞いています。
カフェという場所は本当に不思議な力があると思います。
おいしいコーヒーと、食事と、音楽。
耳に心地よく響く音楽と、コーヒーの芳しい香り。
それだけで、不思議と癒され日々の疲れをリセットできるのです。


5月号の特別企画は「カフェで会いましょう(仮)」。
昨日(瑛)さんとともに、某カフェに取材で伺いました!そこでも居心地のよい空間を堪能できました。

企画の中では同胞が営むカフェを5ヶ所ほど紹介します♪
まだまだ知らない居心地の良い空間がたくさんあるようです♪(愛)





料理は愛情

2015-03-20 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、連載に使用する写真を撮影するため、ある筆者のご自宅にお伺いしました。
筆者は1児のオンマ。そして自身の姉の同級生でもあるので、旧知の仲でもあります。

子どもがちょっとやんちゃしても子どもに優しく接するオンニはすっかりオンマの顔でとても和みました✨

午前中に伺ってひとしきり育児話しにも花を咲かせた後にお昼をご馳走になったのですが、愛情こもった手作り料理がテーブルいっぱいに乗って、素直にすごい!!と感動しました。と、同時に自分の日頃のレパートリーの少なさを実感し反省しました。
美味しかった「キノコのしぐれ煮」のレシピを教えてもらうついでに、他にも魅力的な献立のレシピを沢山教えてもらいました!
ありがたいことです(*^^*)

早速その週は教えてもらったレシピを見ながら沢山、自宅でも作ってみました。(写真は自宅で作った料理です、サツマイモが焦げましたが(*_*;)
すると、子どもも「おいちー」と言ってくれて、ご飯を沢山食べてくれました。
それからは、教えてもらったレシピを常備菜としてもちょこちょこ作っては、日々の献立に役立ててます♪
レシピを教えてもらい、本当に感謝しています。

最近は、切り干し大根の煮付け等も作ってみました。それを見ると、いまは90歳を越える祖母がよく作ってくれたのを思い出しました。
作ってみて思うのは、きっと孫にバランスのよい食事をと、常々想ってくれたのだろうなとわかりました。
本当に料理は愛情ですね♪(愛)

「近くて遠い国」・・・

2015-03-11 09:00:00 | (愛)のブログ
ある日、編集部で仕事をしていると、父から連絡が来た。

電話の内容は、祖国(朝鮮民主主義人民共和国)で暮らす伯父が亡くなったという知らせだった。
突然の病で倒れ亡くなりお葬式も色々済ませたあとに、父に連絡が来たということだった。
奇しくも祖父の命日にお葬式だったという。
日本ではその日、何も知らず、祖父のチェサ(祭事)を行っていた。

祖国では必ず温かく迎えてくれた伯父の笑顔が頭に浮かんで、涙がにじんだ。


いまだ国交が樹立されていない朝鮮と日本。
もし国交が樹立されていて、自由に行き来できたなら、すぐに駆けつけられたはずなのに。
顔を一目でも見られたはずなのに。


涙声の父の言葉を聞きながら、胸がしめつけられた。
このもどかしい距離感を、感情を、なんと言い表せばいいのだろう。
「近くて遠い国」をこんなにも実感したことはなかった。

戦後70年が経つというのに、いつこの距離が縮まるのだろうか。
早く、早く、「近くて近い国」同士になってほしいと願わずにいられない。(愛)