朝早く起き出し、周辺を散策してみたものの、天気はいいんだけど、この時期まだ残雪もあって、寒いくらいなんだ。短時間で切り上げ、朝風呂に入ってから、朝食を済ませた。9時前には、宿を立って山を下り、国道13号線へ出て県境を越え、福島県へと入っていった。
まず、「福島市民家園」(入園料300円)に立ち寄って、見学したんだけど、かやぶき屋根の懐かしい民家が10棟ほど移築復元されていて、なかなか見応えがあった。営々と続けられてきた昔からの農村の暮らしぶりを偲びながら、次々とカメラのシャッターを切っていったんだけど、とても懐かしい感じがしたんだ。
その後、医王寺へも行って、境内を散策したんだけど、ここは源義経ゆかりの地で、義経に従って、討ち死にした佐藤継信、忠信他一族の墓があることで知られている。かの松尾芭蕉も『奥の細道』の旅で、立ち寄って落涙したところでもある。境内には、「笈も太刀も 五月に飾れ 紙のぼり」の芭蕉句碑が立てられていた。梅や椿もきれいに咲いていて、ここでも、いろいろと巡りながら、写真を撮った。
昼食は、門前近くの「木鶏」という店で、ソバ料理のフルコースを食べたんだけど、ソバがき、ソバ粥、手打ち蕎麦などいろいろと出てきて、絶品だったよ。そばがきには、納豆味噌というオリジナルなものが使われていて、美味しかったし、蕎麦粥風のものは、蕎麦の実をそのまま使っていて、その食感がとても良かった。いろいろと工夫した料理があるものだと感心したよ。
その後は、福島市(旧松川町)にある松川事件の現場を訪れたんだけど、わかりにくい場所で探すのに苦労した。学生時代から、歴史が好きで、旅先で歴史的事件のあった場所を訪ねていくことも時々ある。今回は、1949年(昭和24年)8月17日未明に起こった戦後史の謎と言われている列車転覆事件の現場なんだけど、この頃は、下山事件、三鷹事件など鉄道にからむ不思議な事件が頻発したんだよね。当時の捜査当局は、その頃大量人員整理に反対していた、東芝労組、国鉄労働組合と日本共産党の謀議による犯行と決めつけ、次々に関係者を逮捕・起訴したそうだ。一審、二審と有罪となったんだけど、裁判が進行するに従って、事実関係の矛盾と被告達の無実が明らかになっていったとのこと。作家・知識人(広津和郎、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張等)の支援運動もあって、世論も高まり、1959年の最高裁で高裁差し戻しとなり、1963年全員無罪が確定したという冤罪事件だったんだ。
しかし、線路がはずされ、貨物列車が転覆したのは事実で、3名の乗務員が亡くなっている。松本清張は『日本の黒い霧』の中でCIA(アメリカ中央情報局)の謀略説を書いているけれど、当時の状況としてはあり得ることだと思う。そして、警察当局の意図的ではないかと疑われる誤認捜査にも目が余る。真相は、闇に葬られたままだけど、今からでも57年前の真実を明らかにし、犯人や誤認捜査の関係者を処断することは出来ないものだろうか...。慰霊碑の前に手を合わせながら、そんなことを考えたんだ。
それからは、二本松インターチェンジから東北自動車道に乗って、帰途に着いたんだけど、あまりはげしい渋滞にも巻き込まれずに帰ってこられて、良かったよ。
今回の旅は、土曜日に少し雨に降られたけど、日曜日はとても良い天気だったし、美味しいものをたくさん食べてきたのでグルメツアーといった感じだった。また、昭和史の史跡といえるところも訪れることが出来て、勉強にもなったよ。関東では、土曜日に突然の大雨と強風になったみたいだけど、旅先では少し雨に降られただけですんだので、その点では助かったけど...。
まず、「福島市民家園」(入園料300円)に立ち寄って、見学したんだけど、かやぶき屋根の懐かしい民家が10棟ほど移築復元されていて、なかなか見応えがあった。営々と続けられてきた昔からの農村の暮らしぶりを偲びながら、次々とカメラのシャッターを切っていったんだけど、とても懐かしい感じがしたんだ。
その後、医王寺へも行って、境内を散策したんだけど、ここは源義経ゆかりの地で、義経に従って、討ち死にした佐藤継信、忠信他一族の墓があることで知られている。かの松尾芭蕉も『奥の細道』の旅で、立ち寄って落涙したところでもある。境内には、「笈も太刀も 五月に飾れ 紙のぼり」の芭蕉句碑が立てられていた。梅や椿もきれいに咲いていて、ここでも、いろいろと巡りながら、写真を撮った。
昼食は、門前近くの「木鶏」という店で、ソバ料理のフルコースを食べたんだけど、ソバがき、ソバ粥、手打ち蕎麦などいろいろと出てきて、絶品だったよ。そばがきには、納豆味噌というオリジナルなものが使われていて、美味しかったし、蕎麦粥風のものは、蕎麦の実をそのまま使っていて、その食感がとても良かった。いろいろと工夫した料理があるものだと感心したよ。
その後は、福島市(旧松川町)にある松川事件の現場を訪れたんだけど、わかりにくい場所で探すのに苦労した。学生時代から、歴史が好きで、旅先で歴史的事件のあった場所を訪ねていくことも時々ある。今回は、1949年(昭和24年)8月17日未明に起こった戦後史の謎と言われている列車転覆事件の現場なんだけど、この頃は、下山事件、三鷹事件など鉄道にからむ不思議な事件が頻発したんだよね。当時の捜査当局は、その頃大量人員整理に反対していた、東芝労組、国鉄労働組合と日本共産党の謀議による犯行と決めつけ、次々に関係者を逮捕・起訴したそうだ。一審、二審と有罪となったんだけど、裁判が進行するに従って、事実関係の矛盾と被告達の無実が明らかになっていったとのこと。作家・知識人(広津和郎、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張等)の支援運動もあって、世論も高まり、1959年の最高裁で高裁差し戻しとなり、1963年全員無罪が確定したという冤罪事件だったんだ。
しかし、線路がはずされ、貨物列車が転覆したのは事実で、3名の乗務員が亡くなっている。松本清張は『日本の黒い霧』の中でCIA(アメリカ中央情報局)の謀略説を書いているけれど、当時の状況としてはあり得ることだと思う。そして、警察当局の意図的ではないかと疑われる誤認捜査にも目が余る。真相は、闇に葬られたままだけど、今からでも57年前の真実を明らかにし、犯人や誤認捜査の関係者を処断することは出来ないものだろうか...。慰霊碑の前に手を合わせながら、そんなことを考えたんだ。
それからは、二本松インターチェンジから東北自動車道に乗って、帰途に着いたんだけど、あまりはげしい渋滞にも巻き込まれずに帰ってこられて、良かったよ。
今回の旅は、土曜日に少し雨に降られたけど、日曜日はとても良い天気だったし、美味しいものをたくさん食べてきたのでグルメツアーといった感じだった。また、昭和史の史跡といえるところも訪れることが出来て、勉強にもなったよ。関東では、土曜日に突然の大雨と強風になったみたいだけど、旅先では少し雨に降られただけですんだので、その点では助かったけど...。