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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

142冊目:「奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき」

2015-11-22 17:27:45 | 
総評:★★☆☆☆ 読み終えるのに若干時間がかかった。
面白い度:★★☆☆☆ 面白さがあったかというとそこまで。
読みやすい度:★★☆☆☆ 専門用語もあってあまり読みやすいとは言えない。
ためになる度:★★★★☆ ためにはいい感じになったと思う。
また読みたい度:★★☆☆☆ あまりいいかなと思う。


久しぶりに本を読んだ感想を書く。


最近は本を読んで感想を書くのがめんどくさくなっていた。
じゃあ感想を書くのをやめた方がいいと思うのだが、自分の読んだ本をこうやって後から内容も含めて知るのはそれはそれで結構有益なことだと思っているので、書くのはやめたくない。

なので、自分のめんどくさいという負荷にならないくらいにさらっと書くのがいいと思うので、今回はそんな感じでさらっと書きたいと思う。


これは脳科学者ジル・ボルト・テイラーさんが自分が脳卒中に陥った時の状況と、そこからリハビリを経て復活していくまでの話が描かれている。
脳卒中になった時の状況などはかなりリアルで、怖いなあと思う反面、何か第六感的なものが働いて逆に心地よい状態に満たされるらしい。
いわゆる悟りを開く、とか、そういった全てを超越した感覚になるらしいのだった。

しかし現実では脳卒中であるので、自分の脳細胞は壊れていっている状況で、その中で周りの人にどうやってSOSを出したか、とかどういったことをするのが難しかった、ということが書いてあった。
人は普通に動いて、普通に物事を認識し、普通に日常生活を送る。
そういった普通のことは、脳や身体の機能が全て問題なく動くからできているのだが、脳卒中になり、脳の機能が損傷すると、その普通に考えることや身体を動かすことが全然できなくなるらしいのだった。

なので、人が普通に動いて、考える。その前に自分の身体の中(自分では意図していない内蔵だったり普通と思われる身体の動き)が脳からの命令を受けて普通に動くことは本当に奇跡に近いことだとこの本では書いてあった。確かにそう考えるとそうである。
この人間が一人動くのって、本当に何一つ問題がないことがあって動くのである。
プログラムなんかちょっとエラーがあると全体が動かなくなるものなのに。

そんなんで、何事も問題なく、日常生活を送れる自分自身、または周りの人たちって本当にすごいことなんだなあと思った。


でも脳卒中を患ったジル博士はそういったことを改めて認識するとともに、脳が受けた損傷から、脳のどの部分がどういった時に使われるかという、なんか自分の実験の裏付けをさらに取ったりしているので、本当にこの人すごいなと思う。

とりあえず、人は右脳を使うのが、そういった悟り、や涅槃的な体験につながるということが書いてあった。
心の安らぎは右脳を通して得られるという感じのことが書いてあったので、そうなのか~と思うとともに、左利き(厳密には両利き)の自分はそういうのにちょっと近かったりするのかな?と思いました。


そんなんで、最後に興味深かった内容について抜粋する。

・「自分であること」は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ個体のような存在としては、自己を認識できません。ようするに、もっとも基本的なレベルで、自分が流体のように感じるのです。もちろん、わたしは流れている! わたしたちのまわりの、わたしたちの近くの、わたしたちのなかの、そしてわたしたちのあいだの全てのものは、空間のなかで振動する原子と分子からできているわけですから。
言語中枢のなかにある自我の中枢は、自己を個々の、そして個体のようなものとして定義したがりますが、自分が何兆個もの細胞や何十キロもの水でできていることは、からだが知っているのです。つまるところ、わたしたちの全ては、常に流動している存在なのです。
 左脳は自分自身を、他から分離された個体として認知するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、寂しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして無限の海のなかで歓喜に心を躍らせていました。

・ここで、あなたの本来の能力が、(意識があるのに)系統的にむしり取られていくのがどんな感じがするものか、想像してみましょうよ。
 まず第一に、耳を通って入ってくる音を理解する能力を失うと想像しましょう。耳が聞こえないわけではありません。あなたはただ、あらゆる音を無秩序な雑音として聞いてしまうのです。
 第二に、目の前にあるなにかの物体の、もともとの形を見る能力がなくなると想像してみましょう。目が見えないわけではありません。単に、三次元的な拡がりを見ることができない、あるいは、色を識別できなくなるのです。動いている物体の軌跡をたどったり、物体の間のハッキリした境界を判別する能力を失ってしまいます。
 さらに、これまでは何でもなかった匂いがとてもきつく感じられ、あなたは圧倒され、息をするのも辛くなります。
 もはや、温度も振動も苦痛も、あるいはどこに手があって足があるのかすら知覚できなくなります。肉体の境目も知覚できなくなります。あなたのエネルギーの存在は広がって、まわりのエネルギーと混ざり合います。
 そして自分自身を、宇宙と同じように大きいと感じるのです。自分が誰でどこに住んでいるかを思い出させる内側の小さい声も、聞こえなくなってゆきます。あなたは、感情的な自分との古い記憶のつながりを失います。そして、まさに今ここにある、豊かな時間に、心奪われてしまうのです。
 あなたという生命力を含む全てのものが、純粋なエネルギーを放ちます。子供のような好奇心で、あなたの心は舞い上がり、あなたの頭は、無常の幸福に充ちた海を泳ぐ、新しい方法を模索するのです。

・脳卒中で一命をとりとめた方の多くが、自分はもう回復できないと嘆いています。でも本当は、彼らが成し遂げている小さな成功に、誰も注意を払わないから回復できないのだと、わたしは常日頃考えています。だって、できることとできないことの境目がハッキリしなければ、次に何に挑戦していいのか、わからないはず。そんなことでは、回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。

・生き物として、わたしたちは底知れぬほど強力です。神経ネットワークは、ニューロンが他のニューロンとコミュニケーションをとる回路からできているので、そのふるまいは十分に予測できます。特定の回路に意識的な注意を払えば払うほど、あるいは特定の思考により多くの時間を費やすほど、そういった回路や思考パターンは、外部からのほんのちょっとの刺激によって容易に働くようになります。
 わたしたちの心は、高度に進んだ「求めよ、さらば与えられん」式の器械なのです。心は、探しているものに集中するようにできています。もし世界の中で赤を求めようとすれば、それをどこでも見つけられるようになります。最初は見つけにくくても、ずっと赤を求めることに集中していると、意識せずとも赤をいろんなところで見ることになるのです。
 脳の左右の人格は、物事に対して違う考えを持つだけでなく、感情を処理し、すぐにわかる方法でからだを動かします。肩のすぼめ具合で誰が部屋に入って来たかわかるし、額のしわの深さで何が起きているかを知ることができます。右脳はすべて、「いま、ここで」に関係しています。それは歯止めなく熱狂し、はねまわり、どうなろうと知ったこっちゃありません。よく微笑み、やたらとフレンドリーです。
 それと比べて、左脳は細部で頭が一杯で、分刻みのスケジュールで人生を突っ走ります。左脳はクソ真面目なのです。歯ぎしりしながら、過去に学んだことに基づいて決断を下します。一線を越えることなく、あらゆる事を「正しい・間違っている」、あるいは「良い・悪い」で判断します。あ、それから、その判断はわたしの場合眉の形にあらわれるんですよ。
 右脳はとにかく、現在の瞬間の豊かさしか気にしません。それは人生と、自分にかかわるすべての人たち、そしてあらゆることへの感謝の気持ちでいっぱい。右脳は満ち足りて情け深く、慈しみ深い上、いつまでも楽天的。右脳の人格にとっては、良い・悪い、正しい・間違いといった判断はありません。

・安らぎの感覚は、現在の瞬間に起こる何かです。それは過去を反映したものや、未来を投影するものではありません。内なる安らぎを体験するための第一歩は、まさに「いま、ここに」いる、という気になること。
 どんなときに、深い心の安らぎのループが動いているのかに気づくことができれば、その回路に意識的につなげることが容易になります。どんなときにこの回路が働いているのかわからず、悪戦苦闘している人もいるでしょう。その唯一の理由は、他の思考に心が向かっているせいです。これは、当然のことです。なぜなら、西洋の社会は左脳の「する」(doing)機能を右脳の「ある」(being)機能よりずっと高く評価し、報酬を与えるものだから。あなたが右脳マインドの意識に近づくのが難しいのは、あなたが成長するあいだに「こうしなさい」と教えられたことを、実にうまく学んできたからにほかなりません。細胞たちのこれまでの成功を、褒めてあげてください。そのうえで、わたしの仲の良い友人、カット・ドミンゴ博士が宣言しているように、「悟りは、学ぶことではなく、学んだことを忘れること」だと知りましょう。
 大脳半球の両方が一緒に機能して、瞬間ごとに「現実」という知覚を生み出します。わたしたちはしょっちゅう、右脳マインドを使っているわけです。「現在の瞬間」の回路につながったときにからだをよぎる、微妙な感覚(そして生理機能)に気づくことさえできれば、その回路を自由自在に操ることができます。「今」と「ここ」しかない、安らかな右脳マインドの意識と人格を思い起こすさまざまな方法をあなたにも教えてあげたい。


そんな感じでしょうか?そんなこんなで結局いつも通りに長くなってしまった。。。
でもそんな感じで以上⭐︎これからはもうちょっとペースをあげて本を読んでいこうと思います。
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