正確に言うと↓これはまだ「未発売」四月に発売される「DVD」なので、先日「N○K」で放送された物を観た「感想」となります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en4.gif)
![](http://www17.a8.net/0.gif?a8mat=1NWF2I+1WGVCI+249K+BWGDT)
恥ずかしながら「がーこ」舞台版「レ・ミゼラブル」まだ観たことないんです![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock2.gif)
「がーこ」の世代だと「レ・ミゼラブル」ではなく、「ああ無情」という題名の方が、なじみ深いんですよ。
詳細は忘れましたが子供のころ確か「まんが世界昔話」みたいな枠で「アニメ化」されたものを観て、
「世の中は貧しい人に冷たいんだ」くらいに漠然とした「印象」しか残っていませんでした。
ただ、主人公「ジャン・ヴァルジャン」の名前だけは、しっかりと憶えていて、そののち、「がーこ」の出身地である「石川県」出身の「鹿賀丈史」が「レ・ミゼラブル」で「ジャン・ヴァルジャン」を演じると耳にした時、「ああ無情」ってのは「レ・ミゼラブル」だったのか…。と軽く頭をよぎったくらいの印象でした。
「がーこ」はもともとミュージカル好きなんですけどね…。
古くは「ヴィレッジ・ピープル」の映画「ミュージック・ミュージック」1980「アニー」1982などは「劇場公開時」に「映画館」で観ました。
しかしその後、長きにわたり、「ミュージカル」というものに触れる心の余裕がなかった「がーこ」です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_yodare1.gif)
今では年に何回もミュージカル鑑賞へ行く「がーこ」なのに、この「レ・ミゼラブル」には今まで縁がなかった…。
そう、この「25周年記念コンサート」を観るまでは…。
この中でまず驚いたのは「スーザンボイル」さんが一躍脚光を浴びた「夢破れて」が比較的初めのほうに出てくる「曲」で、これを観た瞬間「ああ、スーザンさんの歌は、違うなぁ…」とスーザンさんには申し訳ないけど、この「夢破れて」は「歌うのがうまい」だけでは成り立たないんだと思い知らされました。
子供のために身を粉にして働く「ファンテーヌ」の「魂の叫び」それを歌いあげながら「表現」できないと、この「夢破れて」は本当の意味で「歌」にはならないのです。
そして一幕終わり「ワン・デイ・モア」では「欲」「希望」「革命」と、それぞれの人々の思惑を秘めた「本心」が観る者の「心」の「裏表」までをも、透かし見ているように「沁み入って」きます。
「エピローグ」では、革命の「志」を抱いたまま倒れたものたち。
「愛」を「信じた」まま倒れたものたち。
そして、長き「王」の悪政支配のため、「餓え」と「絶望」に倒れたものたち。
が、神の国より現れ、いま現在から未来の「自由」を勝ち取る担い手たちとともに「このバリケード」の向こうに、求めていた「自由」がある。我らが「屍」の上を「ひるまず」に「歩き続けろ」その先に「夢見ていた明日が見える」はずだと高らかに歌い上げます。
「がーこ」は毛穴が逆立つくらい感動しました。
テレビの前でも思わずスタンディングオペレーションしそうになりましたよ本当に…。
話は少しそれますが、いままさに、世界各地で「民衆」が自由を求めて「バリケード」の向こうに「見えるはずの明日」を探し始めています。
自らを「革命家」だと言いながらも、実は「自分だけの富」を死守しているだけの人は「すでに革命家」ではなく「独裁者」なのではないでしょうか…。
これは、遠い国だけの話ではないように思います。
この国だって、同じような事が起きるかもしれない。
まさに「自由を民の手に」
と感じたミュージカルでした。
新たな感動を呼び覚ました「レ・ミゼラブル」25周年記念コンサート
実に良かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en4.gif)
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新品価格 |
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恥ずかしながら「がーこ」舞台版「レ・ミゼラブル」まだ観たことないんです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock2.gif)
「がーこ」の世代だと「レ・ミゼラブル」ではなく、「ああ無情」という題名の方が、なじみ深いんですよ。
詳細は忘れましたが子供のころ確か「まんが世界昔話」みたいな枠で「アニメ化」されたものを観て、
「世の中は貧しい人に冷たいんだ」くらいに漠然とした「印象」しか残っていませんでした。
ただ、主人公「ジャン・ヴァルジャン」の名前だけは、しっかりと憶えていて、そののち、「がーこ」の出身地である「石川県」出身の「鹿賀丈史」が「レ・ミゼラブル」で「ジャン・ヴァルジャン」を演じると耳にした時、「ああ無情」ってのは「レ・ミゼラブル」だったのか…。と軽く頭をよぎったくらいの印象でした。
「がーこ」はもともとミュージカル好きなんですけどね…。
古くは「ヴィレッジ・ピープル」の映画「ミュージック・ミュージック」1980「アニー」1982などは「劇場公開時」に「映画館」で観ました。
しかしその後、長きにわたり、「ミュージカル」というものに触れる心の余裕がなかった「がーこ」です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_yodare1.gif)
今では年に何回もミュージカル鑑賞へ行く「がーこ」なのに、この「レ・ミゼラブル」には今まで縁がなかった…。
そう、この「25周年記念コンサート」を観るまでは…。
この中でまず驚いたのは「スーザンボイル」さんが一躍脚光を浴びた「夢破れて」が比較的初めのほうに出てくる「曲」で、これを観た瞬間「ああ、スーザンさんの歌は、違うなぁ…」とスーザンさんには申し訳ないけど、この「夢破れて」は「歌うのがうまい」だけでは成り立たないんだと思い知らされました。
子供のために身を粉にして働く「ファンテーヌ」の「魂の叫び」それを歌いあげながら「表現」できないと、この「夢破れて」は本当の意味で「歌」にはならないのです。
そして一幕終わり「ワン・デイ・モア」では「欲」「希望」「革命」と、それぞれの人々の思惑を秘めた「本心」が観る者の「心」の「裏表」までをも、透かし見ているように「沁み入って」きます。
「エピローグ」では、革命の「志」を抱いたまま倒れたものたち。
「愛」を「信じた」まま倒れたものたち。
そして、長き「王」の悪政支配のため、「餓え」と「絶望」に倒れたものたち。
が、神の国より現れ、いま現在から未来の「自由」を勝ち取る担い手たちとともに「このバリケード」の向こうに、求めていた「自由」がある。我らが「屍」の上を「ひるまず」に「歩き続けろ」その先に「夢見ていた明日が見える」はずだと高らかに歌い上げます。
「がーこ」は毛穴が逆立つくらい感動しました。
テレビの前でも思わずスタンディングオペレーションしそうになりましたよ本当に…。
話は少しそれますが、いままさに、世界各地で「民衆」が自由を求めて「バリケード」の向こうに「見えるはずの明日」を探し始めています。
自らを「革命家」だと言いながらも、実は「自分だけの富」を死守しているだけの人は「すでに革命家」ではなく「独裁者」なのではないでしょうか…。
これは、遠い国だけの話ではないように思います。
この国だって、同じような事が起きるかもしれない。
まさに「自由を民の手に」
と感じたミュージカルでした。
新たな感動を呼び覚ました「レ・ミゼラブル」25周年記念コンサート
実に良かったです。