がーこ 見聞録

がーこの街歩きと飲み食いのブログ。

切なさの裏に潜む国家陰謀(刻まれない明日)

2009年10月07日 22時09分19秒 | いろいろレビュー
 最初にこの本を手に取った理由はずばり「帯」
 帯には、
 存在しないはずの図書館から借りられる本。
 ラジオ局に届けられる「失われた人々」からのはがき。
 響き渡る今はもうない「鐘」の音。
 「開発保留区」それは十年前3095人の人間が消え去った場所。街は今でも彼らがいるかのように日々を営んでいる。

 とありました。
 とどめの一文は、「いつかは忘れなくてはいけない大切な人」という帯言葉。

刻まれない明日
三崎 亜記
祥伝社

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 そう…今のがーこにとってそれは…昨年の今頃にはまだ生きていた「真田健一郎」さんこれについては過去ブログお父約束が違うで…をご覧ください。

 なんだろうな…。
 今年、二回お墓参りに行ったんだけど…。
 どうしても、がーこのどこかに、いまだに「真田」さん死んだの受け入れられないもう一人のがーこがいるんだよな
 
 なぜか…。
 がーこの実父は、がーこが十代の終わりに亡くなってしまった。
 でもって亡くなる何年も前から入退院を繰り返していたから、いわば「父親」との思い出ががーこにはほぼ皆無に等しい。
 真田さんと知り合ったころのことをいつだったか真田さんが、がーこに語ってくれたことがある。
 知り合った当時の二十代後半のがーこは、真田さんの目から見て「なんでこんなに荒れているんだ」というくらい心が「荒れていた」…「怒りを向けていた」らしい。
 確かにその頃のがーこはちょっと病んでいた。
 それをプロの役者である「真田さん」が、がーこの「父親」として長年がーこと接してくれたことで少しづつ「矯正」してくれたのだとがーこは今も思っている。
 その「父親」に徹してくれた「真田」さんとの思い出が本当に息が苦しくなるくらいまだ「生々しくて」正確に言うとがーこはいまだ「真田」さんが生きているのではないかと…たとえば、何かうれしいことがあった時「真田さんにも知らせよう」なんて、どうあがいたって「知らせようが」ないことをすっかり忘れて思ってしまうのです

 もしかしたら、この本が、そのがーこの苦しい心になんらかのヒントをくれるのではないのか…そう思ってこの本を読みました。

 この本の中には、ある日忽然と姿を消した3095人の人々と、その人々と所縁のある人々の「あたかも、姿を消した人々」がすぐそこで普通に「生活」をしてるかのような「痕跡」がそこかしこにちりばめられています。
 読んでいてそれこそ感情移入し、何度、胸がしめつけられるような苦しさを感じたかわかりません。
 
 果たして。
 この物語はどのように収斂していくのだろうか…。
 そう思いながら読み進めていくと、この現象には人の思いとはまったく関係のないとある「国家の陰謀」が秘められているのです。
 登場人物はこの「陰謀」のせいで苦しんでいることも知らず…個人でその苦しみを自然の流れの中で「癒そう」とそれこそ心を血みどろにしながら「のたうちまわっていた」ということが少しづつわかってきます。
 人の心を平気でもてあそべるのが「国家」という集合体なのかもしれません。

 でも、どんなに強い権力をもってしても、完全には「人の心」をコントロールすることはできません。
 あらがいようのない実は仕組まれた「運命」でも、人は「時間」の流れを味方にして、それぞれの進むべき道を探し出していくのです。
 たとえ、いまは亡き3095人のことを忘れられなくても、確実に月日は流れていきます。そして数え切れないほどの時間を費やしたとしてもやがてそれは、思い出に変わる
 そんな日か、いつか必ず、がーこにもやってくるのだな…。ただ…いつか必ずやってくるその日を、がーこは立ち止まって待っていてはいけないんだな…。
 少なくとも今を生きる「がーこ」は「刻まれる明日」を生きなくては…。
 と、がーこに一筋の「光明」を見せてくれた「一冊」でした

 
 
  

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