最初にこの本を手に取った理由はずばり「帯」
帯には、
存在しないはずの図書館から借りられる本。
ラジオ局に届けられる「失われた人々」からのはがき。
響き渡る今はもうない「鐘」の音。
「開発保留区」それは十年前3095人の人間が消え去った場所。街は今でも彼らがいるかのように日々を営んでいる。
とありました。
とどめの一文は、「いつかは忘れなくてはいけない大切な人」という帯言葉。
そう…今のがーこにとってそれは…昨年の今頃にはまだ生きていた「真田健一郎」さんこれについては過去ブログお父約束が違うで…をご覧ください。
なんだろうな…。
今年、二回お墓参りに行ったんだけど…。
どうしても、がーこのどこかに、いまだに「真田」さん死んだの受け入れられないもう一人のがーこがいるんだよな
なぜか…。
がーこの実父は、がーこが十代の終わりに亡くなってしまった。
でもって亡くなる何年も前から入退院を繰り返していたから、いわば「父親」との思い出ががーこにはほぼ皆無に等しい。
真田さんと知り合ったころのことをいつだったか真田さんが、がーこに語ってくれたことがある。
知り合った当時の二十代後半のがーこは、真田さんの目から見て「なんでこんなに荒れているんだ」というくらい心が「荒れていた」…「怒りを向けていた」らしい。
確かにその頃のがーこはちょっと病んでいた。
それをプロの役者である「真田さん」が、がーこの「父親」として長年がーこと接してくれたことで少しづつ「矯正」してくれたのだとがーこは今も思っている。
その「父親」に徹してくれた「真田」さんとの思い出が本当に息が苦しくなるくらいまだ「生々しくて」正確に言うとがーこはいまだ「真田」さんが生きているのではないかと…たとえば、何かうれしいことがあった時「真田さんにも知らせよう」なんて、どうあがいたって「知らせようが」ないことをすっかり忘れて思ってしまうのです
もしかしたら、この本が、そのがーこの苦しい心になんらかのヒントをくれるのではないのか…そう思ってこの本を読みました。
この本の中には、ある日忽然と姿を消した3095人の人々と、その人々と所縁のある人々の「あたかも、姿を消した人々」がすぐそこで普通に「生活」をしてるかのような「痕跡」がそこかしこにちりばめられています。
読んでいてそれこそ感情移入し、何度、胸がしめつけられるような苦しさを感じたかわかりません。
果たして。
この物語はどのように収斂していくのだろうか…。
そう思いながら読み進めていくと、この現象には人の思いとはまったく関係のないとある「国家の陰謀」が秘められているのです。
登場人物はこの「陰謀」のせいで苦しんでいることも知らず…個人でその苦しみを自然の流れの中で「癒そう」とそれこそ心を血みどろにしながら「のたうちまわっていた」ということが少しづつわかってきます。
人の心を平気でもてあそべるのが「国家」という集合体なのかもしれません。
でも、どんなに強い権力をもってしても、完全には「人の心」をコントロールすることはできません。
あらがいようのない実は仕組まれた「運命」でも、人は「時間」の流れを味方にして、それぞれの進むべき道を探し出していくのです。
たとえ、いまは亡き3095人のことを忘れられなくても、確実に月日は流れていきます。そして数え切れないほどの時間を費やしたとしてもやがてそれは、思い出に変わる
そんな日か、いつか必ず、がーこにもやってくるのだな…。ただ…いつか必ずやってくるその日を、がーこは立ち止まって待っていてはいけないんだな…。
少なくとも今を生きる「がーこ」は「刻まれる明日」を生きなくては…。
と、がーこに一筋の「光明」を見せてくれた「一冊」でした
帯には、
存在しないはずの図書館から借りられる本。
ラジオ局に届けられる「失われた人々」からのはがき。
響き渡る今はもうない「鐘」の音。
「開発保留区」それは十年前3095人の人間が消え去った場所。街は今でも彼らがいるかのように日々を営んでいる。
とありました。
とどめの一文は、「いつかは忘れなくてはいけない大切な人」という帯言葉。
刻まれない明日三崎 亜記祥伝社このアイテムの詳細を見る |
そう…今のがーこにとってそれは…昨年の今頃にはまだ生きていた「真田健一郎」さんこれについては過去ブログお父約束が違うで…をご覧ください。
なんだろうな…。
今年、二回お墓参りに行ったんだけど…。
どうしても、がーこのどこかに、いまだに「真田」さん死んだの受け入れられないもう一人のがーこがいるんだよな
なぜか…。
がーこの実父は、がーこが十代の終わりに亡くなってしまった。
でもって亡くなる何年も前から入退院を繰り返していたから、いわば「父親」との思い出ががーこにはほぼ皆無に等しい。
真田さんと知り合ったころのことをいつだったか真田さんが、がーこに語ってくれたことがある。
知り合った当時の二十代後半のがーこは、真田さんの目から見て「なんでこんなに荒れているんだ」というくらい心が「荒れていた」…「怒りを向けていた」らしい。
確かにその頃のがーこはちょっと病んでいた。
それをプロの役者である「真田さん」が、がーこの「父親」として長年がーこと接してくれたことで少しづつ「矯正」してくれたのだとがーこは今も思っている。
その「父親」に徹してくれた「真田」さんとの思い出が本当に息が苦しくなるくらいまだ「生々しくて」正確に言うとがーこはいまだ「真田」さんが生きているのではないかと…たとえば、何かうれしいことがあった時「真田さんにも知らせよう」なんて、どうあがいたって「知らせようが」ないことをすっかり忘れて思ってしまうのです
もしかしたら、この本が、そのがーこの苦しい心になんらかのヒントをくれるのではないのか…そう思ってこの本を読みました。
この本の中には、ある日忽然と姿を消した3095人の人々と、その人々と所縁のある人々の「あたかも、姿を消した人々」がすぐそこで普通に「生活」をしてるかのような「痕跡」がそこかしこにちりばめられています。
読んでいてそれこそ感情移入し、何度、胸がしめつけられるような苦しさを感じたかわかりません。
果たして。
この物語はどのように収斂していくのだろうか…。
そう思いながら読み進めていくと、この現象には人の思いとはまったく関係のないとある「国家の陰謀」が秘められているのです。
登場人物はこの「陰謀」のせいで苦しんでいることも知らず…個人でその苦しみを自然の流れの中で「癒そう」とそれこそ心を血みどろにしながら「のたうちまわっていた」ということが少しづつわかってきます。
人の心を平気でもてあそべるのが「国家」という集合体なのかもしれません。
でも、どんなに強い権力をもってしても、完全には「人の心」をコントロールすることはできません。
あらがいようのない実は仕組まれた「運命」でも、人は「時間」の流れを味方にして、それぞれの進むべき道を探し出していくのです。
たとえ、いまは亡き3095人のことを忘れられなくても、確実に月日は流れていきます。そして数え切れないほどの時間を費やしたとしてもやがてそれは、思い出に変わる
そんな日か、いつか必ず、がーこにもやってくるのだな…。ただ…いつか必ずやってくるその日を、がーこは立ち止まって待っていてはいけないんだな…。
少なくとも今を生きる「がーこ」は「刻まれる明日」を生きなくては…。
と、がーこに一筋の「光明」を見せてくれた「一冊」でした