透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

実に稀な野外彫刻公園 その1

2013-06-23 18:48:41 | 日記

晴れ。最低気温8.5℃、最高気温24.6℃。

                      

                         《 安田侃氏の彫刻 「アルテピアッツァ美唄」 》

                      

                      

                      

                   《ギャラリーと幼稚園の複合施設として利用されている木造校舎》

あまりに良いお天気だったので、家人と「アルテピアッツァ美唄」へ行ってみることにした。「アルテピアッツァ美唄」は安田侃氏の彫刻約40点が展示されている野外彫刻公園で、我家から高速道路を利用して45分ほどで到着した。

アルテピアッツァ(Arte-Piazza)とは、イタリア語で「芸術広場」を意味するとか。「アルテピアッツァ美唄」は1992年、美唄市立栄小学校の木造校舎と体育館、周辺に広がる約3万平方メートルの敷地を再利用して開園に至ったという。

                      

                           《市立栄幼稚園玄関  20数名が在籍》

                      

                           《市立栄幼稚園 玄関を入ったところ》

驚いたのは、展示施設となっている校舎の一階部分が「市立栄幼稚園」として現役で使われていることだった。しかも、幼稚園の玄関は一般利用者も利用でき、園児は来客の皆さんに会うとしっかり挨拶をするそうだ。玄関を共有するこの試みは園児にとっても利用者にとっても双方に良い効果がありそうな気がする。もちろん、一般利用者の方が2階のギャラリーに直で行ける専用の階段もある。

さて、この「市立栄幼稚園」であるが、実は「アルテピアッツァ美唄」の誕生と深く結びついている。もし、この幼稚園が存続していなければ、野外彫刻公園としてこの地が活用されることはなかったかもしれない。誕生秘話について「アルテピアッツァ美唄」のHPには以下のように記されている。

 

「アルテピアッツァ美唄」のHPより一部引用

ここは、1人の彫刻家・安田侃(かん)が今なお創り続ける、大自然と彫刻とが相響する野外彫刻公園である。

美唄市は、かつて北海道有数の炭鉱都市として栄えた。1973年に最後の炭鉱の灯が消え、炭鉱住宅はひっそりと静かになり、子どものいなくなった学校は廃校となった。それから時が過ぎ、イタリアで創作活動を続ける美唄出身の安田が、日本でアトリエを探していた際、1981年に閉校した旧栄小学校に出合う。その朽ちかけた木造校舎には、子どもたちの懐かしい記憶がそのままに残っていた。そして、校舎の一部に併設されていた小さな幼稚園に通う子どもの姿が、彼の心をとらえた。時代に翻弄された歴史を知らず、無邪気に遊ぶ園児たちを見て、彼は思う。

「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」。

それがアルテピアッツァ美唄誕生のきっかけとなった。

その後、彼と、彼の思いに共感した多くの人々の尽力により、1992年に廃校跡地を中心に広大な敷地をもつ世界でも希有な彫刻公園が開園した。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「工業製品じゃない」もの | トップ | 実に稀な野外彫刻公園 その2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事