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♪シンガーソングライター★近井智沙子のブログ☆彡

シンガーソングライターは趣味と言い切る近井智沙子のちょっとした日常を書き留めます。

イニシエーション・ラブ

2009-02-10 | Tue:推理小説と私
とりあえず、ネタばれなしで書くことにするが、これから
全くの先入観なしにこの小説を読まれたい方にはやはり
この先は読まないことをお勧めする。

まず去年久しぶりに本を読みたくなった私が「最後の2行で
物語がガラリと変化する、2度読みたくなる小説」という
触れ込みの“恋愛推理小説”『イニシエーション・ラブ』
(乾くるみ作)に飛びついてしまった。

推理小説の前に“恋愛”とついているのもちょっと気に
食わなかったが、果たしてアイリッシュを越えるほどの
衝撃を味わえるものなのか、興味があったわけだ。

まぁその触れ込みのおかげで注意深く読んでしまったので、
残念ながら最後の2行は期待外れだった。2度読みたくなる?
まさか。確かに細かいところをチェックしたければもう1回
読みたくなるのかもしれないが・・・。

そんなこと有り得る話やろう? なんでこれがそれほど
話題になっているのか??

どうもすっきりしなかったので、自分の解釈が間違って
いるのかと思い、結局この小説を解説(解読?)している
サイトを参照してみた。

私は重大なことに気づいていなかった(笑) というか、
そこまで気づいておきながら、なぜそのことに気づか
なかったのだろうという間抜けぶり。

この物語はside Aとside Bと分かれているが、side Aを
読み終えた時に想像したside Bの展開は私の予想通り
だったのだ。にも関わらず、騙されてしまった。なるほど、
これはお見事である。

しかし、堂々とミステリーとして紹介されているが、私は
これを推理小説とは認めなーーーい! このような言葉や
文章巧みに読者を騙すテクニックを“叙述トリック”と
呼ぶらしいが、この小説は物語よりもその叙述トリックに
重点が置かれたものである。

やはり推理小説は事件が起こらなければ!これは単なる
恋愛小説・・・にしても、どこにでもあるような平凡な
恋愛やし、推理小説しか読めない私には読みにくい小説だった。

恋愛推理小説というからには、推理小説が主でなくてはいかん!
“恋愛”は飾りでないと! 私が思う恋愛推理小説はだな、
やはりウイリアム・アイリッシュの『暗闇へのワルツ』となる。
これこそが恋愛推理小説と呼ぶにふさわしい。
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なぜ読まなかったのか

2009-02-03 | Tue:推理小説と私
以前のこの火曜日のテーマで最初に書いたと思うが、私の
趣味に「推理小説を読むこと」というのが“あった”。
いや、今では趣味の欄にそう書ける(やっぱり「読書」
とはしない)。

しかし、なぜ十数年間も、このブログを書いているときで
さえ、本を読むことをしなかったのだろうと思う。無論、
それ以外にそれ以上のやりたいことが増えたというのは
考えられるがそれを除外しても読まなさ過ぎた。

推理小説とは言ってもこれまた範囲が狭まるのだが、
学生時代に好んで読んでいたのは、外国の、しかも既に
亡き者となっている作家の推理小説である。さらには、
ウイリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)、
E・S・ガードナーのレスター・リースシリーズ、
レスリー・チャータリスのサイモン・テンプラー
シリーズに的が絞られていた。

アガサ・クリスティやエラリー・クイーンなどの本格物は
“後回し”と言って読まなかった。読書家の先輩に
「何の後回しだ?」と尋ねられたことがあったが、
「読みたい本(アイリッシュなど)を全部読み終わって
から。」と答えたことを今でも覚えている。

後回し? 冗談じゃない!・・・未だに読んでいないではないか。

アイリッシュの作品は翻訳されたものはほぼ読み尽くして
いるはずだったが、認めたくなかったのだろう。きっと私の
読んでいない作品はまだある、訳されていない作品もある
はずだ、という当てもない希望に私は甘えていたのだ(その
実、稀に数年に1冊、未翻訳のものが出版されていたものを
発見したりするから、その希望を助長させていた)。

今ようやく気づかされたが、ウイリアム・アイリッシュを
愛して止まないのは変わらないけれどその前にやっぱり私は
推理小説が好きなのだ。昔の知らぬ間に作っていた“海外の
古典ミステリ”という柵を破ってとにかく今は推理小説を
片っ端から読みたいと思っている。

“後回し”の時期もとっくの昔に過ぎているはずだが、
今になってアガサ・クリスティ作を読んでいるよ。


どうやら、以前の火曜日テーマは復活らしい(笑)
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以前の火曜日のテーマが復活か

2009-01-27 | Tue:推理小説と私
どうやらやっぱり復活か!?(笑)

とりあえず、以前、ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」を
読みたいと言っていたが、実はもう読み終えている。
しかも文庫本3冊。創元と早川と角川。出版社の違い・・・では
なくて、訳者さんの違いを楽しみたかったわけだ。

まぁしかし、同じものを3回も読むのだから、いい加減3回目は
いくら好きでも億劫になってしまって時間かかったけどね。



読んで思ったことは、A・L・ウェバーのミュージカルは一番
原作に近いんだな。もっと違うものかと思っていた。ちゃんと
怪人の深く哀しい愛が描かれている。1、2冊目は泣いたしね。

でも、時系列的に書かれていないから少しわかりにくい部分もある。
それにどの本も直訳的のような気がして、やっぱり原文自体
難しい表現なのかな。すっと入っては来なかった。けれど、原作を
読んでがっかりはしなかったので、よかったと言えよう。
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オペラ座の怪人

2006-07-04 | Tue:推理小説と私
このブログ火曜日は前々からもうすぐ最終回
と言っておきながら、なかなか記事が書けずに
ずるずると延びてしまったのだが、ここまで
延びると別に最終回にする必要もないかと
今は思っている。

最終回に書こうと思っていたのは、表題の
「オペラ座の怪人」。後半はアイリッシュの
作品についてであったが、最終回はなぜか
これで締めくくりたかったのである。

ミュージカルとして名高いこの作品は、
ガストン・ルルーの同名の推理小説が原作で
あることは、推理小説ファンに説明は要らない
であろう。

ただし、私もこの原作は読んでいない。

一昨年の4月、ニューヨークへ旅行したとき
ミュージカルを見るなら、絶対「オペラ座の怪人」
だと思った。

小学生だったか中学生だったか、テレビのチャンネルを
ひねってながら、適当な番組を探していた。そのとき
題名もわからぬままドラマなのか映画なのかさえも
わからなかったのだが、ただ“怪人”の計り知れない、
そしてどうしようもない愛が浮き彫りとなり私の心に
残ったことがあった。

後で、新聞のテレビ欄を見ると「オペラ座の怪人」と
書いてあった。最初からずっと見ていたわけではないので
話の筋書きは全く覚えていなかったのだが、いつか
ちゃんと見たいと思っていたのだ。

それから何十年(?)。ニューヨーク・ブロードウェイの
ミュージカルでその願いが達成された。

演技・踊り・歌唱力・衣装・生演奏・・・ド迫力の
ミュージカルに感極まり、泣いてしまった。最後は
観客すべてスタンディング・オベーションとなった。

1年後、このミュージカルが映画化したことを知った。
もちろん、すぐに見に行った。そこで初めてストーリーの
詳細を知ることになるのだが、愛を語る歌詞が美しいと
感じていたので、なるべく字幕を読まないようにした。
(結果、それは正解だったようだ。後々、この字幕論争の
ことをネットで知ったが、確かに日本語字幕に依存した私の
友人は感動が薄かったようだ。)
わかってはいても涙が止まらなかった。

そもそもこのミュージカルがヒットしたのもアンドリュー・
ロイド=ウェバー氏が手掛けたからで、この映画も
ミュージカルそのものをフィルムに残した(いつでも
再生可能)という価値がある。

原作の「オペラ座の怪人」は話としては複雑でわかりにくく
パッとしないらしいが、ミュージカルは“愛”を中心に
したからこそ、これだけ世界中の人々を魅了してきたのだと
思う。

しかし、原作は読んでおきたいと思っている(実行に移せて
いないのは片腹痛いが・・・)。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
一応、最終回にするつもりだったが、アイリッシュだけでなく
他にも読んで感動した推理小説がないわけではないので、
気が向けば書くかもしれない。
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番外編:コナン・ドイル卿の誕生日

2006-05-23 | Tue:推理小説と私
この火曜日コーナーも終わると言っておきながら
なかなか終わらないものである。今日は番外編と
いう感じかな。

昨日、いつものようにインターネットブラウザを
立ち上げ、Googleの検索ページを開いた。私の目に
留まったのは、鳥打帽にパイプをくわえ、街灯を
バックにルーペを持った姿だった。

もちろん、ホームズの姿である。私には眩い姿だ。
つい笑みをこぼしてしまう。そう、昨日はホームズの
作者アーサー・コナン・ドイルの誕生日だったので
ある。

やるじゃないか、Google。

世界中で愛されているんだな。

ほんの些細なことだが、私は嬉しかった。何も検索する
ことはなかったが、意味もなくGoogleの検索画面を
開いてしまったよ。
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暗闇へのワルツ

2006-05-02 | Tue:推理小説と私
ついにこのときが来た。私がこのブログ火曜日で
“推理小説と私”と題し書き綴ってきたのは、他でも
ない『暗闇へのワルツ』について筆を執りたかった
からなのだ。

言うまでもないが、ウイリアム・アイリッシュの
作品である。私にとってこの小説抜きには語れない。

大学1回生のとき、再び読書欲が戻ってきた頃のこと。
大きな書店でいつものように読んでいないアイリッシュの
本はないかと探す。私がそのとき手に取ったのは早川
書房の文庫本だったと思う。他のアイリッシュの長編作
よりも少し分厚めで読み応えがありそうだった。

読んだことがないのは明らかだったので、購入は決定
だったが、いつ読もうかと思案しただけだった。何しろ
アイリッシュの作品は一気にしか読めないからだ。私は
どちらかというと読むのが遅いので、これだけ分厚いと
何時間かかるだろうかと気になった。

それでもお正月休みにふと夜、たっぷり時間があり
『暗闇へのワルツ』を読んでみたくなった。夕食も
早々に済ませ、お風呂にも入ってパジャマにも着替え、
ベッドの上でスタンバイOKだったのが夜7時だった。

さすがにアイリッシュ特有のタッチで、すぐさま物語に
引き込まれる。現実の時間の流れは全く耳に入らず、私の
頭の中は小説の中の時間体系で進んでいく。おそらく
客観的に見たら一心不乱に読書している様だろう。

ようやく最後の1ページにたどり着き、最後の1行を
読み終えた瞬間、
「うわーーーーーーん!わーーーーーん・・・」
私は声を上げて泣いていた。本当に子どものように。

むせび泣いたりすすり泣いたりするのはわかるが、後にも
先にもこんな泣き方になったのは初めてだった。しかも
深夜の3時の静まりかえった都会の一室で私はわめくように
泣いてしまったのだ。

これは推理小説というよりも恋愛小説だと思った。
フランスのB級映画に「暗くなるまで この恋を」と
いうタイトルで映画化されているが、見たいような見たく
ないような・・・。見るとしても何も期待しないで見たい。

もしこれでこの本を読んでみたいと思われる人がいたなら、
ちょっと待ってほしい。私はいきなりこの小説を薦めたくは
ない。アイリッシュの持つ独特の世界をある程度知ってから
この小説を読んでいただきたいのだ。

泣きたいときは私はこの小説を読めば必ず泣ける。
ただ・・・8時間かかるけどね。
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夜の闇の中へ

2006-04-18 | Tue:推理小説と私
日本で訳され出版されているアイリッシュの
作品のほとんどを私は読んでしまった頃、
彼の遺稿の中から『夜の闇の中へ』というタイトルの
原稿が発見されたというニュースが新聞に掲載されて
いた。しかし、残念ながら冒頭の十数枚と結末の2枚、
そして途中の何箇所かが失われていたらしい。

まだ読んでいないアイリッシュの小説に出逢うのは
もう滅多とないだろうと読書欲も薄れていただけに
その記事を見た途端、心を躍らせた。未だにその新聞
記事の切り抜きは保管している。

紛失している部分は、その頃のアメリカの人気推理作家
ローレンス・ブロックが補綴するという。これには
いささか賛同しかねた。それはまるで、洋画の
吹き替えに声優さんが担当するのではなく今をときめく
俳優陣を当てるフ○テレビみたいなものだ。

けれども、日本語に訳され出版される日を待った。
まだ文庫本にはなっておらず、ハードカバーだったが
買って読んだ。確かに物語は自然な流れでどこを
ブロックが書いたのかはわからない素晴らしいもの
だった。

でも、こよなくアイリッシュの作品を愛読してきた
ファンとしては、最後の結末は違和感を感じるのだ。
おそらくアイリッシュはそんな結末を用意したのでは
なかったと思う。

アイリッシュの研究家フランシス・M・ネヴィンズJrに
補綴してほしかったというのが正直なところだ。
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ぎろちん

2006-03-28 | Tue:推理小説と私
何ともおぞましい単語である。しかし、我々の
日常生活には縁がない。海外の小説だからこその
タイトルと言えよう。

正直、このタイトルだけでは図書館に並んでいた
その本を手にとることがなかったであろう。題名の
下に、著者ウイリアム・アイリッシュの文字が
目に入った瞬間、手が伸びた。

この短篇もアイリッシュお得意のタイム・リミット
ものだが、これは「幻の女」のときとは違い、
死刑台への階段を一段ずつのぼる心境からぎろちんで
首を切られるその瞬間までの思いが綴られている。

まさか自分がぎろちんにかけられることを想像する
わけではないが、読み始めると一気に物語へ引き込まれ、
主人公を応援している。そしてその気持ちが手に取る
ように解る。

そして興味深い結末は・・・?

アイリッシュならではのタイトルであり、結末なの
だろう。
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裏窓

2006-03-14 | Tue:推理小説と私
「裏窓」と聞いて、これがヒッチコック監督の映画の
タイトルだと認識する人は多いと思う。

しかし、私は違う。そう、ウイリアム・アイリッシュの
作品だ。つまり、映画「裏窓」の原作は、アイリッシュ
なのである。

これも初めて読んだのは子供向け翻訳のほうだった。
映画はまだちゃんと見ていない。いつか見ようとは
思っている。

「裏窓」は長編ではなく短編だが、それが映画化されて
いるというのは見事だ。ヒッチコックは“サスペンスの
巨匠”なのかもしれないが、この作品に限っては
“サスペンスの詩人”アイリッシュ原作に起因するものが
大きいだろう。

情景描写も豊富なため、アイリッシュの作品がドラマ化・
映画化しやすく、探せば意外とあるようだ。ファンとしては
嬉しいことである。
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三文作家

2006-02-28 | Tue:推理小説と私
高校生や大学生になって、図書館へ本を借りに行く
余裕がなくなってきたので、アイリッシュの
読んでないと思われる作品を本屋で見つけては
文庫本を購入するようになった。

創元推理文庫のアイリッシュ短編集は1から6まで
所持している。

そのアイリッシュ短編集1に『三文作家』という
推理小説としてはとても興味深い物語がある。
だからと言って、本を読む時間が減衰してきた
その時代、それが特に印象に残るものではなかった。

けれども、アイリッシュの作品は短編でさえ、その
物語に入り込み、心を揺さぶられ、1話読むごとに
大きな溜息をついてしまう逸品揃い。この物語も
例によって読み終わった直後、私は思わず叫んで
しまった。

「これって、推理小説じゃないやーーーん

-・=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=・-

とある私の尊敬する先輩が、ふと
「犯罪のない推理小説はありえないものかなと考えた
ことがある。」とそんな言葉を口にした。

私はどこかで何かが弾けた感じがしたが、確信が持て
なかったので、曖昧に返事をしたと思う。

しばらく読んでなかった、アイリッシュ短編集を読んで
みたくなったのだ。確か数字の若い巻だったが・・・。
再度、その短編集を読んでいくのだが、ストーリーを
覚えているものもいくつかあったものの、覚えていないものは
全く新しく読む感じで、自分の反応も初めてそのもの・・・
可笑しいのが自分で反応した後に、おそらく前回も同じ反応
だったであろうと、かすかに思い出すのだ。

そして、探していた『三文作家』に再会した。読み終わった
直後、私は叫んでしまった。

「これって、犯罪ないやーーーん

その先輩にこの本を貸したのは言うまでもないことである。

ただし、これが推理小説なのかそうでないのかは私は
未だに疑問である。
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