ギャラリーと図書室の一隅で

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「いまだ廃墟になれず・・・」―鈴木了二著『寝そべる建築』(1)

2015年06月02日 | 読書ノート
 一年近く前に購入しながら放っておいた本書を慌てて読んだのは、先頃游文舎で個展をした今井伸治さんと立原道造(1914~1939)の話をしたからだ。今井さんがもともと活動拠点としていたさいたま市の別所沼公園には、立原が自身の週末住宅のために図面まで書きながら、その早すぎる死で果たせなかった小さな家があるという。立原が名付けていた「ヒアシンスハウス」である。詩人の夢を引き継ぐという形で2004年に建てられたものだ。立原道造は詩人として知られているが、東大建築学科出身で、将来を嘱望された建築家でもあった。
 それにしても「建築」が「寝そべる」とはいったいどういうことか。奇妙なタイトルの本書は、建築家であり優れたエッセイストでもある著者が2000年以降に書きためた批評やエッセイをまとめたもので、表題作は立原道造論である。
著者は立原の建築図面を「うすぼんやり」と表現する。例えば大学3年の課題として与えられた「図書館」。様々な要素を折衷しつつ全体がコントロールされずに相殺し合うようで、結果として曖昧でぼんやりととりとめないものになっているというのだ。だが、1930年代後半、一級下には、国家主義的建築で自己PRした丹下健三や、「日本国民建築様式」を提唱した浜口隆三がいた世代にもかかわらず、自己顕示性を極力排した対蹠的なスタイルこそを評価する。それぞれの表現が、近代建築が一巡した今、どのように感じられるか、と。極めつけが「ヒアシンスハウス」なのだ。図面から読み取れるのは、立っているというよりもごろんと無防備に横たわっているという感じなのだという。しかしそこに著者は「建つ/立つ」ことの意味の解体と、「存在論の劇的な反転」を見る。
 また、立原は卒業論文「方法論」で、廃墟の美学について論じているという。それは西洋の哲学書や文学書を引きながら、「建築」を「建築体験」として捉えようとするもので、建築とは「ただたえまなくくづれ行くために作られたもの」であり「廃墟が完璧以上の力で私たちを引きつける」と書いているという。磯崎新が「未来都市は廃墟である」と言ったのは1960年代のことだ。少年時代に見た、第二次大戦の空襲による焼け野原が原体験にある。その磯崎が「廃墟とはすぐれて西欧的な概念である」(以上『磯崎新論集』1,2)というように、ピラネージが描いた遺跡図が、古代ローマの偉容を想起させたのは、石造建築だからこそだろう。日本で「廃墟」を建築学的、美学的に論じたのは、おそらく立原がはじめての事だと思う。(霜田文子)


ヒアシンスハウス設計図(1938年)

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