ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

想像力が試される―ラスコー壁画

2017年02月15日 | 展覧会より

簡潔に形態を写し取った線刻。落ち着いたアースカラー。複雑で豊潤なマチエール。現代アートと見まがうが、れっきとした2万年前の洞窟壁画なのだ。現代人と同じDNAを持つクロマニヨン人の“作品”を前にして、科学技術こそ蓄積され進歩しているけれども、感性は何ら進化していないのだとつくづく思う。それどころか、限られた道具や技術を駆使してあれだけのものを作り上げた創造力や想像力は、われわれを遙かに凌駕していたのだろう。
日頃上野界隈は美術館しか訪れないが、ポスターに引きずり込まれるように国立科学博物館で開催中の「ラスコー展」を観た。ラスコー洞窟壁画の再現展示である。
くびれたり、くねったり、分岐したりしながら続く洞窟に、全長約200mに渡って600頭に及ぶ動物たちが描かれているという。それぞれの特質が描き分けられているだけでなく、岩質に合わせて彩色画にしたり、線刻画にしたり、それらを組み合わせたり、と技法も使い分けられている。それどころか重なり合うように駆ける動物たちや、でっぷりと太った牛など、動きや遠近や肥痩も巧みなのだ。わずかな灯りの中でこれだけのものを描くには多くの人を要し、世代をまたぎ、長い年月をかけたであろうことは想像に難くない。画中にはいくつもの記号めいた物がある。表現=認識を共同体が共有し、伝える手段だったのだろうか。空間ごとの統一感を見るとき、文字こそ持たないが、高度な伝達体系が存在していたことに驚く。
また「井戸状の空間」と呼ばれる穴には、槍が突き刺さり腸(はらわた)がはみ出たバイソンと、鳥の頭を持った男性が倒れている図が描かれている。洞窟中唯一、物語性のある場面だ。同じドルドーニュ県のヴィラール洞窟にも同様の場面があるという。前期マドレーヌ文化の神話の一場面らしい。他にも尻を向けたサイや装飾のある武器等が描かれており、様々な象徴が複雑に絡み合っていることを思わせる。
ところで図録解説の「自然主義的に描かれた」という表現には違和感を覚えた。抽象表現を体験した現代人にこそ自然主義的とかリアリズムとかいった表現区分があり得るが、三次元を二次元で表すこと自体がすでにリアリズムではないし、さらには「荒々しい」、「強い」、あるいはスピード感といった概念を表そうとする意志が明確に見てとれるのだ。
それにしてもなぜわざわざ闇の奥底で描いたのだろうか。胎内に回帰するような、本能的なものだろうか。ゆらめく灯りの中で、描かれた動物たちも揺らぎ、迫り、遠ざかり、共に儀式に参加していたのかもしれない。時には「どうだい、強そうだろう」とか「でかいなあ」とか言い合っていたのだろうか。となると、作品としての価値も生まれていたことになる。人が表現するということを、芸術の根源を、考えずにはいられない。そして2万年を隔てて忽然と現れた遺跡と対峙するとは、われわれの想像力も試されていると覚悟しなければならない。(霜田文子)

リービさん、読売文学賞受賞おめでとう

2017年02月05日 | 日記


 2月1日、第68回読売文学賞受賞者の発表があった。小説賞はリービ英雄さんの『模範郷』が受賞した。
 游文舎は2014年4月にリービさんの講演会「日本語への旅~万葉から現代・越境の文学」を開催、翌年2015年4月にはリービさんが幼少時代を両親とともに過ごした台湾を52年ぶりに訪れるドキュメンタリー、大川景子監督の「異境の中の故郷」上映会を開いている。
 リービさんと游文舎のつながりには浅からぬものがあり、企画委員の一人として今回の受賞を喜びたい。リービ英雄さん、受賞おめでとうございました。
『模範郷』は、ドキュメンタリーの撮影に併せて、リービさんが台湾は台中の「模範郷」Model Villageと名付けられた地区を52年ぶりに訪れたときの体験を描いた作品である。
 単行本『模範郷』は2016年3月集英社刊。表題作「模範郷」と「宣教師学校五十年史」「ゴーイング・ネイティブ」「未舗装のまま」の四作を収めるが、いずれも文芸誌「すばる」に掲載された作品である。
「模範郷」以外はエッセイ的な要素が強い。「模範郷」はこのところ中国大陸をたびたび訪れて、エッセイというか紀行文を書いてきたリービさんにとって、伊藤整文学賞を受賞した「仮の水」以来八年ぶりの小説作品であった。
 リービさんは外交官であった父親の赴任によって、台中で少年時代を過ごすが、父の不倫のために両親の離婚をそこで体験している。リービさんにとって台湾は決して良い思い出に満ちた地ではない(訪問先の近くに出来たコンビニを見て、リービさんは「家庭崩壊の場所に何でファミリーマートを作るんだ」というジョークを飛ばしている。台湾にも日本のコンビニは進出していて、セブン・イレブンとファミリーマートがいたるところにある)。
 だから、撮影のために訪台することになっても、育った地に行きたくない気持をどうすることも出来ない。台北から台中へ向かう新幹線の中でも「来るんじゃなかった、という思いにもう一度かられて、足の下にある幻のブレーキを踏もうとした」などと書くのである。
 リービさんの文学はよく「越境の文学」と呼ばれるが、それは母語と母語以外の言語を話し、そして書くという主体の在り方に大きく関わっている。とりわけ台湾では、國語(現代の中国語)、台湾語(日本による統治以前から話されていた言葉)、客家語(主に漢族である客家人が使う中国語)の三つの言語が現在でも使用され、リービさんはそれらの言語が錯綜する環境の中で育った。
 リービさんの幼少時代は日本統治の名残もあり、これらの言語の他に日本語ともちろん英語も、台湾の言語環境を複雑なものにしていた。リービさんが育った家は、日本の統治時代に日本人が建てた家であり、その官舎での思い出(楽しいものではない)を「国民の歌」という作品に書いている。
 越境の文学への道を、リービさんは幼少時代から辿ることになったのだし、そこには台湾近代史の複雑な政治過程も影を落としていたことになる。
 リービさんの小説は日本文学のくくりで言えば、「私小説」ということになるだろうが、決して単なる私小説ではない。両親の離婚や障害を持った兄のことなど、私小説的なテーマを追究しているにしても、そこには日本の私小説とはまったく違う要素がある。
 それはやはり、母語と母語ではない言語との間に引き裂かれた越境者としての体験そのものであるし、あるいは母語ではない言語によって自らを他者として認識せざるを得ない体験もまた大きな意味を持つ。
 ジャック・デリダの言うように「あらゆる言語は他者の言語」である。母語しか知らない者は言語の他者性を認識することが出来ないし、ひたすら母語の〝私性〟に淫することもしばしばである。それが日本における私小説の主要な特性であった。
 リービさんの作品の言語論的なアプローチは、言語の他者性の中から生み出されるものであって、リービさんは日本文学にそのような稀有な体験を付加したのである。
 ところで第68回読売文学賞の詩歌俳句賞はわが玄文社が発行する「北方文学」第74号の巻頭に作品を寄せてくださったジェフリー・アングルスさんの詩集『わたしの日付変更線』であった(これについてはブログ「玄文社主人の書斎」にすでに書いたし、受賞に際してもう一度書くことになるだろう)。
 さらに戯曲・シナリオ賞はケラリーノ・サンドロヴィッチという人が受賞していて、読売文学賞というのは外国人にばかり賞を与えるのかと思われるかも知れないが、ケラリーノさんはれっきとした日本人である。
 しかし今回、二人の日本語で書く外国人(アメリカ人)が受賞したということは、日本文学において外国人の果たす役割が拡大している証拠であるし、選考委員がそうした作品を日本文学における、ある正統性の中に位置づけていることの証拠でもある。
 リービさんもジェフリーさんも、今の若い日本の作家が喪失している重要な部分を担っている。それは言語に対する深い意識性に由来するもので、それこそが越境者が必然的に自らのものとする資質なのである。
(柴野)