ハンガリー出身の亡命作家、アゴサ・クリストフの『悪童日記』が映画化されていたことを最近知った。日本では昨年秋に公開されていた。映画はドイツ、ハンガリーの合作で、監督はハンガリーのヤーノシュ・サース。何人かの監督が映画化権を獲得しながらも実現せず、映像化不可能とまで言われていたという。
原作を読んだのは20年以上も前、早川書房から翻訳が出て数年後のことだった。それでももう15版になっていた。評判を聞いて読んだものかどうか記憶にないが、ほぼ同時期に続編となる『ふたりの証拠』『第三の嘘』も読んでいる。『悪童日記』のラストが、さらにその先を期待させる終わり方だったからに他ならない。だが双子の主人公が「ぼくら」という複数の一人称で綴る日記体をとった『悪童日記』は、それぞれ別々の人生を送ることになる後の二作に比べ圧倒的に迫力があった。殺人さえも厭わない彼等なりの倫理、ナチスと、それに続くソ連による全体主義体制下での生き方などを、冷徹なまでの視線で、抒情を徹底的に排した平易で簡潔な文章で綴る。挑発的とも言える文体であった。戦争を背景にしながらいわゆる戦争文学とも言い切れない。どこか寓話的でもある。
再読したのは五,六年前だろうか。ちょうど、母語以外で書く作家が気になっていた時期であった。やはりすごい、いやとんでもない小説だと思った。改めてラストが圧巻だと思う。そしてその伏線となっているのが、神話的な構造というか、神話を借りた構成なのだと気づくことになった。それを確認したかったことや、この特異な小説がどのように映画化されたか興味があり、ビデオで見ることにした。ちなみに市内のレンタルショップにはなく、取り寄せとなった。そこまでして借りたのは初めてのことである。
フランス語で書かれた原作を、映画では作家の母語であるハンガリー語で撮っているが、全体には原作に忠実だし、祖母との軋轢や、グロテスクなシーンも抑制が効いてテンポ良く、短い章立てでブラックユーモアに満ちた寸劇を次々と繰り出すような、原作の雰囲気をよく伝えている。また原作では痩せて小柄となっている祖母が映画では巨漢だが、このピロシュカ・ギーマントという女優の、凄みを湛え、ふてぶてしいほどの演技はまさにはまり役だと思えた。しかし何といっても、実際の双子である主役の二人の少年がとてもいい。無表情、しかし目に宿る力が全てを表現する“恐るべき子供たち”だ。そして小説同様、最後までどちらがどちらなのか、どちらの台詞なのか全くわからないままだった。
室内のほの暗い光、母と幼い異父妹を襲う空爆の光―光と影のコントラストが効果的だ。また薄ぼんやりとした田園風景や、厳しく凍えるような冬の森といった自然描写が原作のもつどこかファンタジーめいた趣を増幅させている。(霜田文子)
原作を読んだのは20年以上も前、早川書房から翻訳が出て数年後のことだった。それでももう15版になっていた。評判を聞いて読んだものかどうか記憶にないが、ほぼ同時期に続編となる『ふたりの証拠』『第三の嘘』も読んでいる。『悪童日記』のラストが、さらにその先を期待させる終わり方だったからに他ならない。だが双子の主人公が「ぼくら」という複数の一人称で綴る日記体をとった『悪童日記』は、それぞれ別々の人生を送ることになる後の二作に比べ圧倒的に迫力があった。殺人さえも厭わない彼等なりの倫理、ナチスと、それに続くソ連による全体主義体制下での生き方などを、冷徹なまでの視線で、抒情を徹底的に排した平易で簡潔な文章で綴る。挑発的とも言える文体であった。戦争を背景にしながらいわゆる戦争文学とも言い切れない。どこか寓話的でもある。
再読したのは五,六年前だろうか。ちょうど、母語以外で書く作家が気になっていた時期であった。やはりすごい、いやとんでもない小説だと思った。改めてラストが圧巻だと思う。そしてその伏線となっているのが、神話的な構造というか、神話を借りた構成なのだと気づくことになった。それを確認したかったことや、この特異な小説がどのように映画化されたか興味があり、ビデオで見ることにした。ちなみに市内のレンタルショップにはなく、取り寄せとなった。そこまでして借りたのは初めてのことである。
フランス語で書かれた原作を、映画では作家の母語であるハンガリー語で撮っているが、全体には原作に忠実だし、祖母との軋轢や、グロテスクなシーンも抑制が効いてテンポ良く、短い章立てでブラックユーモアに満ちた寸劇を次々と繰り出すような、原作の雰囲気をよく伝えている。また原作では痩せて小柄となっている祖母が映画では巨漢だが、このピロシュカ・ギーマントという女優の、凄みを湛え、ふてぶてしいほどの演技はまさにはまり役だと思えた。しかし何といっても、実際の双子である主役の二人の少年がとてもいい。無表情、しかし目に宿る力が全てを表現する“恐るべき子供たち”だ。そして小説同様、最後までどちらがどちらなのか、どちらの台詞なのか全くわからないままだった。
室内のほの暗い光、母と幼い異父妹を襲う空爆の光―光と影のコントラストが効果的だ。また薄ぼんやりとした田園風景や、厳しく凍えるような冬の森といった自然描写が原作のもつどこかファンタジーめいた趣を増幅させている。(霜田文子)