東京ステーションギャラリーで「アドルフ・ヴェルフリ~二萬五千頁の王国」を見ることができた。アドルフ・ヴェルフリはアール・ブリュットの巨匠といわれ、世界的に高い評価を受けている作家であるが、日本ではあまり知られていない。アール・ブリュットの先駆的な展覧会であった、2008年の「アール・ブリュット 交差する魂展」では、何人か海外の作家の作品が展示されていたのだが、そこでも紹介されていない。
日本におけるアール・ブリュットは、どちらかというと知的障害者の作品が多く紹介され、精神病者の作品はあまり紹介されていない。しかし、ヨーロッパでは精神病者のアーティストも数多く発掘されている。
ヴェルフリは1864年にスイスのベルン近郊に生まれ、貧しく悲惨な幼少期を経て、性犯罪を含む数々の犯罪を犯し、31歳の時精神分裂病との診断を受け精神病院に収容されている。35歳から絵を描き始め、1930年に亡くなるまでに、25,000頁にのぼる作品を残したというから怖ろしい。
知的障害者にも、何かに取り憑かれたかのように無心に描き続け、膨大な作品を残した人もいるが、ヴェルフリほど途方もない量を描いた人はいないだろう。
ヴェルフリの作品は1m×70㎝くらいの大きな新聞用紙に描かれたものが多く、一枚見ただけで眩暈がするような緻密な図柄を特徴としているから、よほど集中して描いていったのだと思われる。こうした異様なエネルギーはある種の分裂病者やパラノイア症者に特有のもののように思われる。
知的障害者のアール・ブリュット作品は、特にダウン症の場合、優しくて穏やかな絵が多く、それが日本のアール・ブリュット愛好者の趣味にも合っているようだ。しかし、精神病者のアール・ブリュット作品は、時には攻撃的で怖ろしい狂気の世界をかいま見せる。そのあたりが日本の場合受け入れにくい特徴をなしていると言えるだろう。
ヴェルフリの作品は余白を残さず、画面を絵や記号、文字や楽譜で埋め尽くされている。しかも、それらの要素を執拗に反復するという暴力性を持っている。ユーモラスな表現もあるが、その執拗な繰り返し自体が暴力的であり、攻撃的である。中でも70㎝×468㎝という巨大な作品〈アリバイ〉はまさに、〝炸裂する狂気〟の表現となっている。
ヴェルフリは世界中の地所を買い占めて、世界に君臨する「聖アドルフⅡ世」を自称していたそうで、ある意味でヴェルフリの作品は、その偉大な治世の記録でもあるのだ。こうした途方もない妄想も日本人にはなじめない一因となっているのかも知れない。
初期の作品は絵や記号で埋め尽くす、強迫的に余白を許さないものであれ、それなりの構図というものを持っている。まるで曼荼羅の世界のようであり、曼荼羅のように整然とした構図を誇示している作品もある。
しかし、晩年の作品になるに従って、文字や楽譜の要素が支配的となっていき、絵を駆逐していく。絵はコラージュとして貼り込まれたものによって代用される。そうなってくると、ヴェルフリの作品を絵画として楽しむ余地がほとんどなくなっていくので、ドイツ語を解さないと彼の妄想にさえ付き合っていけなくなる。
会場で作品に書き込まれた文字の朗読が流れていた。同じような言葉を執拗に何度も何度も繰り返す、パラノイアックな言葉の連続に不気味なものを感じてしまった。(柴野)