ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

姜信子さんの「空白」をめぐる旅

2018年12月31日 | お知らせ

知らなかったのだ。水俣病の原因企業「チッソ」が、戦前、朝鮮に大規模に進出していたことを。
12月、柏崎で行われた姜信子さんの講演で知った。社史をひもとけば確かに書いてある。無知、無関心だったことを恥じた。おそらく水銀の垂れ流しなど、環境への配慮もなされていなかっただろうことは想像に難くない。ただ、「水俣病」であれほど騒がれながら、むしろそのためにかき消されたような、もう一つの日本の闇がなぜ、ほとんど知られることがなかったのか、奇怪な感さえ抱きもしたのだった。
「チッソ」は当時、国の食料生産を左右する国策企業だったが、化学肥料だけでなく火薬も作っていた。それらのためには大量の電力も必要で、「朝鮮チッソ」操業にあたっては、発電所建設のための大規模な強制移住、危険な作業、極寒地での過酷な労働なども伴っていた。水俣では下層労働者だった人たちが、朝鮮人労働者を使う立場になっていた。使われていた者が使う側へ、権力の逆転は、より陰湿で過激なものに変わる、それを体現したような支配関係だったらしい。
こうした歴史がなぜ、埋もれてしまうのか。一方でどうやって残されてきたのか。「書かれたもの」には漏れてしまうことがあまりにも多すぎる。偏ってしまう。欺瞞もある。なおかつそれが「正史」として確定してしまう恐れがある。「朝鮮チッソ」については、「聞書水俣民衆史」が伝えている。明治からの水俣の民衆史の第5巻「植民地は天国だった」には、朝鮮人労働者を人ではなくモノとしか見ていない実態が、聞書によって残されている。「○○小唄」といった労働歌によって記憶がつながれていたのだ。
「水俣」、「植民地」、「朝鮮」そして「聞書」――姜信子さんをめぐるキーワードがいくつも含まれている。姜信子さんもまた、そうした埋もれた歴史を丹念に拾い集める人だ。それは語りや歌に託され、切れ切れになって、旅するように、思いがけないところで出会うものなのだろう。さすらうように姜さんも旅をし、耳を澄ませ、かき消されそうな記憶をつかもうとする。
 姜さんの文章を初めて目にしたのは、東日本大震災から間もない頃、新潟日報紙上である。「絆」も「助け合い」もいい。「復興」「頑張ろう」もいい。けれどマスコミの大報道にどこか違和感を覚え、また原発事故に恐怖と怒りを感じ、やり場のない気持ちでいたとき、もどかしいほどに行ったり来たりしながらも、しかし軸がぶれることはなく、弱者に寄り添い、言葉にならない、吐息やため息のように漏れるつぶやきをすくい取ろうとする、それまで見たことのない文章・文体に出会ったのだった。その軸をなすもの、背景にあるのは済州島で弾圧を受けた多くの「父」たちの歴史だ。
東日本大震災と「柏崎」・・・姜さんが一歳になるかならない頃、わずか一年ほどを過ごした柏崎から始まるその時の旅は、語ることなくして亡くなった父の物語の起点でもあった。東日本大震災の被災者に重ね合わせるように、語りたくとも語ることのできなかった、ぽっかりと空いた空白への旅だったのだ。柏崎はしかし、文中「カシワザキ」となっている。人それぞれの記憶の起点としての「カシワザキ」なのだ。
 姜さんにとって水俣もまた、強い共感の地である。「植民地」は海外だけではない、国内にもあちこちにあるのだ。熊本に住んだこともあり、石牟礼道子さんとも親しかった姜さんは、人形浄瑠璃猿八座の座付き太夫をつとめた渡部八太夫さんとともに生前の石牟礼さんから「苦界浄土」を浄瑠璃で語ることを託されたと言う。語ることさえ出来ない人たちの心の声を、まるで巫女のように生き生きと書き留めていった石牟礼道子さんの言葉の力。方言の美しさの極地ともいうべきあの言葉を、二人は「石牟礼弁」と呼ぶ。
 游文舎では来年、開館十一周年記念として姜信子さんに講演していただく。その時には八太夫さんにも語っていただくことになろう。言葉とは生きものであり、立ち上がってくるものだと実感できるだろう。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。(霜田文子)

大古書市14・15日

2018年12月10日 | 游文舎企画

游文舎では新たな蔵書などもあり、ただいま蔵書整理中です。
だぶっている本などの販売を行います。
14日・15日と大古書市を開催します。
今では手に入らない稀覯本もあり、皆さんにとっての掘り出し物もあるかも知れません。
また新刊本コーナーや100円均一コーナーもあります。
本をとおしての交流もお楽しみください。
11:00~16:00(両日とも)