ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

極私的ローマ紀行(1)

2019年07月26日 | 旅行

写真は、教会のクリプタ(地下聖堂)の一室である。おわかりだろうか。すべて人骨で飾られている。これはローマのサンタ・マリア・インマコーラ・コンチェツィオーネ教会、通称骸骨寺にある。

7月半ば、ローマを旅してきた。6泊8日のすべてをローマで過ごした。主な目的はピラネージの版画作品「ローマの景観」の追紀行と、ボマルツォ怪物公園見学である。私は数年前にようやくヨーロッパ旅行をしたばかりの、海外旅行初心者である。したがってこれまで旅行社のパックツァーに完全に乗っかってきた。それが昨年のイタリア旅行では、ミラノからローマまで、主立った都市を全て回るという、旅行社としては大サービスなのだろうが、超ハードな日程で、確かにヴェネツィアで水路を巡ったし、ウフィツィ美術館も見たし、ポンペイにも行ったし、システィーナ礼拝堂も見たし・・・けれどほとんど記憶に残らない、ただ「行ってきました」の旅に終わってしまったのだ。それでも、最終日ローマでの半日フリータイムで、フォロ・ロマーナでスケッチしたり、街中を歩き回ったりして、見所は限りなくあり、でも意外にこじんまりしていてわかりやすく、なんだか既視感にあふれているようで、次はゆっくり訪れたいと思ったのだ。いわばリベンジの旅である。
日本は長引く梅雨で、気温の低い日もあったが、ヨーロッパは熱暑と聞いていた。滞在中は少し気温が下がっていたようだが、それでも外気温は30度を超え、水が手放せない。1日目はバチカン博物館やシスティーナ礼拝堂を手始めに(これは旅行社のオプショナルツァーを利用した)、市内を歩き回る。これが疲労となって残ったのだろう、翌日、ティヴォリで腹痛を起こし、何も見ずに帰るという事態に。でもこのことで自重することを覚え(?)、以降の日程を無事にこなすことができ、結果的にはティヴォリ以外はほぼ目的を果たすことが出来た。(ティヴォリはピラネージにも、ボマルツォ庭園にも重要な関わりを持つのだが、これは後述する。)
ピラネージの「ローマの景観」そのものが観光ガイドや名所お土産を目的としているように、私が回ったのは、ほとんどが有名な観光スポットであり、今さら紹介するまでもなさそうだ。そんな中、ピラネージも描いておらず、日本の観光旅行のコースにもめったにないところをいくつかご紹介したい。

冒頭「骸骨寺」もそのひとつである。同教会は、16世紀宗教改革の時、カトリック教会内でも刷新運動が起こり、アッシジの聖フランチェスコを範として、原点に立ち戻った厳格な清貧主義を主張して分派したカプチン派修道会に属し、1626年に建てられたという。
建物はバルベリーニ広場からヴェネト通りに入ってすぐのところにある。高級ホテルやカフェが並ぶ、ローマでも特に優雅でおしゃれな場所として知られている。そんなところに骸骨寺とは、と思っていたのだが、歩道からすぐ建物になっていて、しかも通りによくなじんだ瀟洒な造りで、うっかり見落とすところだった。入館料6ユーロで「カプチン派修道院博物館とクリプタ」をセットで見学できる。

博物館の方はカプチン派の歴史や、たぶん教義を紹介する文書や遺物で理解不能、素通りしていたが、突如カラヴァッジョの「瞑想する聖フランチェスコ」の絵が飛び込んでくる。頭蓋骨を持った聖フランチェスコが、カラヴァッジョ独特の暗い背景から浮かび上がる。センターから対角線に近い人物配置、下方の木の十字架、くっきりとした頭蓋骨、モノトーンに近く明暗の階調が際立つ。どうやらバルベリーニ宮にあるカラヴァッジョの真作を弟子がコピーしたものらしいが、構図や色調などいい作品である。

そしてお目当てのクリプタへ。クリプタは1700年代に建てられ、人骨で飾るようになったのはもっと後になってからということで、ピラネージも知る由がない。撮影禁止なので、写真は図録からの転載である。通路を飾るシャンデリアもすべて人骨で出来ている。6つに分かれた部屋のそれぞれがまるで競い合っているかのように、少しずつ異なった意匠を凝らしているのだが、いずれにしても骸骨やミイラを置いた周辺をびっしりと人骨で埋めているのだ。キリスト教では、死後の復活を信じて土葬が主体であり、ここにも4000体近い修道僧たちのお骨が納められていた。またカプチン会独特の遺体埋葬方式としてミイラ保存がある。それにしても、単に保管するのではなくここまで飾りたてるとは・・・。その執念はどこからくるのだろう。
 しかしそこには決して奇異とか、グロテスクとか、まして悪趣味といった感はない。ミイラは瞑想し、骸骨は語りかけてくるようで、生と死が渾然一体となっている。肉体とは魂の入れ物に過ぎないのではないか。むしろ生という、変転きわまりない不確かなものに対して、死という現実を受け入れた(受け入れざるを得なかった)ものたちの、生者を見返す強ささえ感じるのだ。
 その一方で、大きさや部位別に揃え、例えば頭蓋だけ、大腿骨だけをびっしりと貼り付けたり、頭蓋と丸い骨を段々に組み合わせたり、小さな骨を花や樹木や宝石のようにつなげたりと、いつの間にか人骨ということを忘れてその美しさに憑かれたように、とにかく聖堂を美しく装飾することに没頭してしまっている姿をも思い浮かべてしまう。なんとなれば、私もアート作品に骨を使うことがあるからだ。もちろん人骨ではない。鶏や魚の骨だが。最初はほんの遊び心で(「駄作展」というテーマ展に出品した)、鮭の骨格標本みたいなものを作った。だが骨についた身や汚れをとり、水にさらしては乾かすという作業を繰り返すうちに漂白されていき、野ざらしの白骨とはこのようなものかと思いつつ、その透き通るような美しさと、からからと乾いた音にうっとりし、しばしば骨を使ったアートに取り組んでいるのだ。
制作したのは芸術家ではない、おそらく修道士たちだろう。さすがに本来の目的を忘れるはずはない。それについては想像するしかないのだが、ヨーロッパで「死の舞踏」が流布したのは14,5世紀のことだ。擬人化された骸骨が絵画や壁画に描かれた歴史を踏まえれば、実際の骸骨で壁画を描く発想も遠くないと言えよう。「死の舞踏」には、生前の身分にかかわらず死は普遍的に訪れるという死生観がある。大量に並んだ人骨は、もはや生前誰だったかの区別はなく、ただ等価の“物質”としてのヒトの抜け殻でもある。外観を取り払ったらみな同じ、しかも着地点はここしかない。
壁面にはいろいろ書き付けてあり、一番奥の部屋には、英訳すると「What you are now, we used to be, What we are now, you will be」と書き付けられているという。「あなた方はかつての我々であり、我々は将来のあなた方である」といった意味だろうか。我々の時間軸を超越して、しかし確固たる存在を見せつけて沈黙している骸骨たち。死者との対話などとんでもない。深い沈黙の向こうに無数の“かつての生”が蠢いているのだ。(霜田文子)




銀座ギャルリー志門で「毒立記念日」

2019年07月16日 | 展覧会より

初日のパーティで(奥は近藤武弘氏の、手前は星野健司氏の作品)

7月1日から6日まで、東京銀座のギャルリー志門で「毒立記念日」展が開かれた。出品者は新潟の阿部克志、近藤武弘、霜田文子、高橋洋子、星野健司の五氏。このグループ展は今年1月に新潟のNSG美術館で開かれた「毒立記念日」の延長戦であり、今年9月に游文舎で予定している「毒素の秋Ⅴ」の前哨戦でもある。五氏のうち四氏は「毒立記念日」に出品しているし、「毒素の秋Ⅴ」への出品を予定している。
 阿部克志の作品は版画であるが、最近はリトグラフの手法も扱っていて、刻むのではなく、奔放に描くことを志している。自由で大胆な描線は作品に深みを与えている。

阿部克志氏の作品

 霜田文子は新作を含めたボックス・アート作品を出品。間歇的に制作されている作品はそのたびに新しい地平を開いているように思われる。今度の新作も刺激的で、痙攣的な美しさを誇っている。

霜田文子氏の新作ボックス・アート

 9月の「毒素の秋Ⅴ」を楽しみに待つ材料がそろった。