ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

モンマルトルの麓で(4)

2018年11月26日 | 展覧会より
 その作品が抽象画の世界に純化しているように見える作家が他にも何人かいる。一人はNakajima Ryosukeさんでその作品は一見、いくつかの矩形で構成された純粋抽象画のように見える。モンドリアンの作品のように幾何学的でさえある。
 しかしよく見ると、矩形の中に何か小さな四角の要素が詰まっている。その一つひとつが漢字であることを発見するのに手間がかかるほどその漢字は精巧に出来ている。

Nakajimaさんの作品

 漢字は単に線で描いたものではなく、漢字の輪郭をなぞって袋文字になっている。執拗に繰り返される文字をモチーフにして描く作家は他にもあるが、ここまで手の込んだことをやってのける作家は他にはいない。
 また、文字をモチーフとした場合、全体としてそれらが構成に至ることなく、構図もなければ中心も周辺もないオールオーバーな作品になってしまうことが多いが、Nakajimaさんの作品はそうしたものとは違っている。漢字の集合がひと固まりの矩形を構成し、その矩形が複雑に配置されることによって作品として構成されていく。
 単位としての漢字がなければ幾何学的な抽象画と何ら変わるところはない。特に〈Immeuble 2009〉と題された作品では、矩形が小さくなってそれらがレンガのように積み上げられていく。そこに石の建造物のようなマチエールが感じ取れることから、無味乾燥な幾何学性を離れた実に魅力的な作品となっている。
 もう一人取り上げるとすればそれはTsukiuchi Yukiさんのような作家であろう。この人の作品もよく見ないと分からないが、無数の漢字やひらがなが構成単位となっている。Nakajimaさんと違うのは構成単位がブロックとして固まりになることがなく、不定形に拡散していくところである。

Tsukiuchiさんの作品

 Tsukiuchiさんの作品は上空から俯瞰した地形のようにも、あるいは海岸線を持った地図のようにも見えるが、地形や地図がアモルフなように、その作品もまたアモルフなものとなっている。
 海岸線があるということは余白があるということで、だからTsukiuchiさんの作品はオールオーバーなものではない。地形や地図が巧まざる構図を作り上げるように、この人の作品も巧まざる構図によって成立している。ただ直線がほとんどないところがnakajimaさんとの大きな違いである。
 考えるまでもなくこのような構図を持ったアモルフな抽象画を描く作家はいくらでもいるし、結果として表現されたものに大きな違いはないとさえ言える。つまりNakajimaさんの作品もTsukiuchiさんの作品も、彼らの意図とはまったく別に一般的な抽象の世界との大きな接点を持っているのである。
 その出発点が小さな文字であること、そのことにはオブセッショナルな意味があるに違いないし、障害者に特有のこだわりを意味してもいるだろう。しかし結果として表現されたものは、限りなく抽象画の世界に近いのである。
 だがここでも彼らが抽象画を勉強して、それに近づいているわけでは決してないことは当然のことであって、ある表現が一般的に抽象表現に向かう原理のようなものが、それを支配しているのではないかという考えは考慮に値するだろう。
 それにしても絵画の世界に抽象画というものが存在していない時代であったら、彼らの作品がどのように鑑賞されたかということは面白いテーマである。いきなり結論を言ってしまえば、彼らの作品は鑑賞の俎上にすら乗ることはなかったであろう。そこには一切参照点が存在しないのだから。
 つまり抽象画の一般的な存在がなければ、アール・ブリュットの一部の作品は概念化されて受容されることができない。だから今日アール・ブリュットがある意味で市民権を得ているのは、絵画・美術の20世紀における進展に負っていることは確実であり、それは作家の問題であるよりは受容者の問題なのである。
 Art Brut japonais Ⅱは来年3月10日までの開催である。凱旋展があるとは限らないので、ぜひ観光を兼ねて、パリはモンマルトルの麓まで足を運んでみたらどうだろう。

(柴野・この項おわり)



モンマルトルの麓で(3)

2018年11月25日 | 展覧会より
 Okamoto Toshioさんは何かに取り憑かれたかのようにトラックの絵を、しかも墨だけで描き続けている。しかし、時に自分のテーマを離れて人間を描くこともある。その人間の描き方はトラックを描くときの対象への忠実さをかなぐり捨てるように、破壊的な描線を縦横に走らせるといった風である。
 なぜなのだろう。例えばこうなのかもしれない。トラックは鉄でできていて見る角度によって見え方は違っても、その外貌が変化することはないが、人間は動けば一瞬一瞬にその輪郭を変える。そうした変化への対応が多くの描線を必要とさせ、動きへの対応が暴力的な描線を必要とさせるのだと。
 つまり、アール・ブリュットの作家達は対象に対する忠実性を基本に置きながらも、健常者が普通に使う方法を利用することができないために、一見写実から離れてしまう。人間の動きをストップモーションとして捉えることができないから、描線が多くなり、動きに忠実なはずの描線が対象の輪郭を定かでないものにしていく。

Okamotoさんの〈homme〉

 しかし、それもまた対象のとらえ方であるということは近代絵画の歴史をたどってみれば容易に分かることだ。人間の動きを時間軸にそった複数の描線で描いたのはマルセル・デュシャンだけではない。アール・ブリュットの作家の作品が、巧まずして写実から離れて抽象に向かうかのように見え、今日の先端的な絵画との共通性を持ってしまうことの原因はそこにあるだろう。
 Okamotoさんの〈ヒト〉と題した一枚は、一見幼児画のような素朴さを見せてはいるが、実はそうではない。対象に忠実であろうとする彼なりのアプローチの結果なのだと私は思う。それにしてもすてきな作品ではないか。
 白黒で作品を作る作家が多い中、究極と言うべきはHakunogawaさんのペン画である。この人の場合描く対象が現実に存在するものではないため、描線が動いたりはしない。いやそうではなく、むしろ、線と点だけで描くという緻密な作業が、彼女を現実の対象から遠ざける。
 あるいは自らの夢想の形象を対象としているのかも知れないが、それでさえ彼女の描き方そのものが作り出していくものとさえ思われる。彼女のグロテスクなモンスター達は彼女の妄想から生まれてくるのというよりは、その描き方から生まれてくるのではないか。

Hakunogawaさんの作品

 そのような傾向はペン画のような細い描線で描く作家に共通しているように思う。今回の展示の中では、Gosokuno Warajiさん、Nishida Yuichiさん、Nishiyama Yosukeさんなどがそんなケースに当てはまる。彼らの作品は描く対象を捉えきれないという印象を与えることはなく、描かれた線が次第に作者の幻想や夢想をはぐくんでいくという過程を読み取ることができるような気がする。
 それによって観る者もまた夢想や幻想の世界に巻き込まれていくという体験を味わうことのできるのは、Nishidaさんの作品のようなケースであろう。その幻想喚起力は他を圧していて、とても障害者の作品とは思えないのである。
 またそれが抽象画の世界に巧まずして近づいていくというケースを、Nishiyamaさんの作品に見ることができる。緻密な線画に一部彩色が施されているが、この彩色の仕方が効いている。構図をもたず、中心もないオールオーバーのペン画が、彩色によって一瞬にして見事な構図を持った作品に姿を変えるのである。
 ペン画自体はむしろ具象なのだが、彩色部分が意味作用を欠いているので、そこが抽象画へ接近する接点となっている。無意識に空いた空間を塗り絵のように彩色するその不定形の形が、観る者に強い印象を与える。

Nishiyamaさんの作品

 以上私が言っていることは障害者アートとしてのアール・ブリュットにのみ当てはまることではない。プロの作品であろうがアマチュアの作品であろうが、すべてのアート作品に当てはまるものであり、それを私は〝絵画的原理〟と呼びたいと思う。
 アール・ブリュットがそのような絵画的原理の下にあるということを示したのは、近代アートから現代アートに至るアートの変遷の過程においてであり、それこそがアール・ブリュットを一般のアートと同じ視点で見る視座を与えた大きな要因なのである。


モンマルトルの麓で(2)

2018年11月24日 | 展覧会より
 話は9年前に遡る。私ども游文舎では県内で最も早く、全国的にも地方のギャラリーとしては先駆的だったと思っているが、アール・ブリュットの展覧会を2009年に開いている。その時はボーダレス・アートミュージアムNO-MAアートディレクターのはたよしこさんの協力を得て作品を集め、当時から人気の高かった澤田慎一さんの作品や、2008年にスイスのローザンヌで開かれたJapon, Collection de l'art brut展図録の表紙を飾った舛次崇さんの作品を中心に、三つの会場を使ってかなり大規模な展示を行った。
 はたさんにもお出でいただいて講演をお願いしたことも記憶に新しい。その直後にフランス側からの要請によりアル・サン・ピエールでArt Brut Japonais展は開かれた。その展覧会の実現もはたさんの力によるところが大であったと認識している。
 アル・サン・ピエールでの展覧会を日本から観に行くツアーが企画されたのもその時で、游文舎としてもアール・ブリュットに関わった以上「これはどうしても観に行くしかない」と、地元から参加者を募ってツアーに同行しようと思ったが、結局人数が集まらなくて断念したのであった。
 そんな経緯が一瞬のうちに頭の中に浮上してきて、私がその夢を、パリで日本のアール・ブリュット展を観るという夢を、個人的にではあれ8年越しに実現させることになったということを実感したのだった。
 会場にはいると青木尊さん描くところの八代亜紀の顔の絵を使った懸垂幕やポスター、チラシなどがあり、そこで私はそれがArt Brut Japonais展の第2回展であることをはじめて認識したのである。

1階のラウンジ

 アル・サン・ピエールはもともと市場だった建物を改造してギャラリーとしたもので、そのために美術館なみのかなり広大なスペースが確保されている。2階の全スペースを日本からの作品が埋め尽くし、1階の一部にフランス人によるアール・ブリュットの参考出品が飾られている。しかしそれらの作品は幼児画あるいは児童画の域を出るものではなく面白みに欠ける。
 展示場にはいると8年前にも人気を集めたという澤田慎一さんのあのトゲトゲ生物の焼き物作品の新作が目に入ってくる。「相変わらずだな。少しも衰えていないな」というのが第一印象。トゲトゲ生物を作る作家はたくさんいるし、今回も似たような作品を出品している作家もいるのだが、誰一人として澤田さんの作品の完成度の高さや、グロテスクの中の優しさ、キュートな感じのレベルを達成することができていない。

澤田慎一さんの作品

 これはもう神が澤田さんに与えた才能としか言いようがないもので、その作品はまさに別格、奇跡のような造形美が実現されている。周りを見渡すと澤田さんの他に第1回展とだぶっている作家はいないようだ。
 つまり他は第1回展の後に発掘された作家がほとんどであるということだ。アール・ブリュットの世界で8年後とはいえ、これほどの新機軸を打ち出すことは至難の業であろう。地道な調査と発掘作業が必要とされるからだ。二番煎じだけではこれだけの質は決して達成できるものではない。
 第1回展を観ていないのにどうしてそんなことが分かるのかというと、アル・サン・ピエールでの開催の後に、ほぼ同じ規模と内容で日本国内における凱旋展が開かれていて、私はそれを埼玉県立美術館で観ていたからだ。
 あれから8年、日本におけるアール・ブリュットが成熟してきたという認識には誤りがあろう。作家達が孤絶の表現の中で実現させていくものに、個を越えた成熟の道筋などあり得ないからである。むしろ彼らの作品を見出す方、発掘者の感性の方に成熟をみるべきではないだろうか。
 ところで最初に私の目を射たのはOMIGAKUENの作品であった。ちなみに図録がフランス語と英語だけなので漢字が分からない。しかしこの場合は個人名ではないので〝近江学園〟と分かる。つまり共同作品なのである。
 一見共同作品とは思えない幼児画のような構図だが、背後に構成への意志が読み取れる。無数の小さな丸い粘土の中に色の違う粘土が〝線〟を形づくって、人物の輪郭線となっている。よく見ると一つひとつの粘土は、人の顔になっていて目もあれば、鼻も口もある。この〝線〟を作ったのは誰なのか。それはおそらく指導者であろうという予想はつく。しかし、そこには見事な発想と構成力がある。降参しないわけにはいかないのである。

近江学園の出品作



モンマルトルの麓で(1)

2018年11月23日 | 展覧会より
 11月11日から20日にかけてパリを訪れた。ヨーロッパの旅は初めてで不安もあったが、幸い友人のS氏がパリに長期滞在していて案内をしてくれるというので、半年以上前からの計画を実行することになった。S氏は7年前にもヨーロッパに1年間滞在したことがあり、パリにも半年いてパリのことをよく知っている。今回は約1ヶ月の滞在で、前と同じモンマルトルの中腹にあるアパルトマンを借りて生活しているという。
 S氏とは到着の翌日に落ち合い、早速アパルトマンを訪ねることになった。モンマルトルというとパリ有数の観光地でおしゃれな名前と思われるかも知れないが、その名の由来はMont des Martyrs(殉教者の丘)で、キリスト教受難の歴史を物語る。
 モンマルトルは19世紀から20世紀にかけて一大歓楽街となり、ムーラン・ルージュ(今も健在である)などのキャバレーや、シャ・ノワール(カフェだったという)に、退廃的な芸術家達が集うようになる。ロートレックの描いたあの世界である。
 モンマルトルに登るにはケーブルカーもあるが、標高がたった130メートル(それでもパリで一番高い)しかないので、歩いて登る。S氏の案内で途中、ピカソやモジリアーニなどが住んだBateau-Lavoir(洗濯船)の跡やゴッホ兄弟が住んだ建物などを見学しながら、モンマルトル美術館へ。19世紀のモンマルトルの文化や歴史を紹介するその美術館は古い邸宅を改造したもので、偉大な作品はないが、古き良き時代の雰囲気を濃厚に伝えている。

下から見上げたサクレ・クール

 頂上のサクレ・クール寺院を目指す。寺院脇に小さな広場があり、その周りを土産物店やカフェなどが取り囲んでいる。公園には似顔絵描きの芸術家達が観光客を捕まえている。似顔絵ではなく風景画で勝負の本格派もいるが、中には「おれは土産物の風景画なんか描かないぞ」といった感じで、抽象画とすれすれの表現をねらっている自己主張派もいた。

広場の絵描き達

 サクレ・クール寺院は美しい教会である。1914年に完成したまだ新しい建物のせいもあるが、遠望もきれいだし、近くで見てもその均整の取れた構造に魅せられてしまいそうになる。正面に展望台があって、パリ市街を一望できる。観光客はここで記念写真を撮ることになっている。私は近くの空き地の切り株に巨大なマスタケを見つけたのでカメラに納めた。パリのキノコ好きなら大喜びするだろうに。

これがマスタケ

 ここにサルバドール・ダリの美術館があり、S氏の目的の一つがそれであった。正式名称はエスパス・ダリ・モンマルトル。小さな館だが、展示作品は意外に多く、彫刻から絵画、ポスター、イラストなど収蔵品も幅広い。そして一番特徴的なのはダリの狂気の世界を濃厚に示しているところだろうか。
 そこでリトグラフ作品に見とれていると、若い美人の館員がファイルに納められた原画の数々を見せてくれるというのである。巨大なファイルに入った作品を一枚一枚開いて、場合によってはファイルから取り出してまで見せてくれた。どこの美術館がこんなサービスをしてくれるというのだろう。ダリに関しては油絵以外の絵画は未見の世界であり、とても嬉しかった。
 S氏の目的はもう一つ。モンマルトルの麓に美術館があり、そこで日本人のグループが面白そうな展覧会をやっているからそれを観に行こうというのである。私はそれがいったい何であるのかまったく分からずに、その美術館の前に立つことになった。

アル・サン・ピエールの外観

 サクレ・クール寺院を正面から見上げる麓の街並みの一角に、円形の建物があり、Halle Saint Pierreの名前がある。そして正面の看板にはArt brut Japonaisの文字が。私は思わず絶句してしまった。「これがあのアル・サン・ピエール美術館か。でもなんで今頃日本のアール・ブリュットをここでやっているんだろう」。
 実はここは8年前の2010年、「アール・ブリュット・ジャポネ展」が開かれたその場所であったのだ。私はタイムスリップにでも巻き込まれたような奇妙な感覚に捕らわれてしまっていた。(柴野)



游文舎10周年記念猪爪彦一展「過ぎてゆく刻の記憶Ⅱ」始まる

2018年11月03日 | 游文舎企画

游文舎10周年記念は猪爪彦一さんの個展です。游文舎では2回目となる今展では「本に囲まれた特別な画廊空間」に合わせて、手作りのノートブックやドローイングをオープンスペース全体に並べた、これまでにないユニークな展示です。創作や思考の軌跡を窺うことが出来ます。画廊内も珍しい、白を基調とした油彩画が中心。楽しみながら、あるいは試行錯誤しながらの大作や習作を存分にお楽しみください。
3日午後3時より猪爪さんのギャラリートークが行われます。