ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

雨音を楽しみながら――遊観遊音コンサート

2024年06月28日 | 日記

 

雨 音 雨 滴 音 雨 流 水 音 雨 音 音 音 雨 波 水 音 歌 歌 音 雨 水 滴 流 川 音 音 歌 雨 響 楽 雨 雨 音 水 歌 音 手 水 雨 音 音 雨 歌 水 楽 集 踊 響 環 音 流 海 歌 音 雨 水 音 楽 海 ・・・・・・

梅雨にはいってまもない日曜日、遊観遊音さん(権藤さん、古田さん、真山さん)のコンサートがありました。游文舎野外展「夏の庭」でおなじみの三人が、この日、野外ではなく体育館で行ったコンサートは、演奏者を取り囲むように椅子が並べられ、微細な音の音源まで見て、感じられるように、そしていつのまにか、観ている人も一体となっているという、趣向が凝らされていました。

音とは流れていくもの、伝わっていくもの、そんなふうに人から人へ、そうして会場からも歌う人、踊る人――空間は一つになっていくのでした。

 

 

外は小雨、その音をも取り込み、様々な「音作り」を見せて、楽しませてくれました。

 


ゲルハルト・リヒター展を待つ

2022年02月20日 | 日記




 

 新型コロナ・オミクロン株の猛威は、高止まりのまま収束のめどがつかないでいる。年末年始には感染者が急減し、このまま収束するのではと、淡い期待を抱いたことさえあったのだが・・・。これでは県外はおろか、市外に出かけるのもためらってしまう。したがって展覧会情報にも疎くなってしまった。そんな中で、6月7日から10月2日まで東京国立近代美術館で開催されるゲルハルト・リヒター展を心待ちにしている。3回目のワクチン接種の効果も考えれば、その頃には落ち着いているのではないかと思うのだが、これも二年間、予測のつかない事態がくり返されたから、気持ちに予防線を張っておくしかない。日本では2005年に金沢21世紀美術館と川村美術館で大規模な展覧会があったのだが、その時は見ていないので、まとまった数を見たことはない。掲載した写真は2017年、ドイツ旅行でドレスデンを訪れた時のものである。出身地ドレスデンの州立美術館(アルベルティーヌム)にはリヒターの部屋があり、展示替えしつつ常時リヒターの作品を見ることが出来るようになっている。
 ドレスデンは第二次世界大戦で大規模な爆撃を受け、市外の大半を破壊された事で知られている。現在の美しい街並みは戦後、特に東西ドイツ統一後復元されたものなのである。見事に復元されていて、しかも古色蒼然としていて、バロック時代の街と見誤るばかりであった。1932年生れのリヒター自身は、その時はドレスデンを離れていたから空爆に遭わずにすんだそうだが、戦後、瓦礫だらけのドレスデンで、破壊されていない建物やその一部を使ったアカデミーに通いながら、体制順応的な壁画などを描いていたという。
 昨年、U-nextでたまたま配信されていた『ある画家の数奇な運命』という映画を見た。実名こそ使っていないがリヒターがモデルなのは明かであり、それに惹かれて見たのだが、劇的な状況を恋愛ドラマの道具立てにしてしまっているようでしらけてしまった。リヒター自身はどう思っているのだろうと、気になるところであった。ただ、当時の状況を具体的にというか、視覚的に知る手がかりは多い。
 たとえば少年時代に見た「退廃芸術」展。クレーやカンディンスキー、モンドリアン、それにドイツ表現主義の絵などが並んでいる。この辺りは丹念に調べてのことだろう。(ちなみに、退廃芸術展は逆に国外コレクターらに注目されたという。エミール・ノルデはその筆頭で、さらに余談となるが、ノルデはかつてナチス党員だっただけでなく、近年、戦中もナチスに取り入り、反ユダヤ的発言をしていたことがわかっている。もちろん、作品と作家とは切り離して考えたいが。)この展覧会に連れて行ってくれた叔母は、とても感性豊かで少年にも影響を及ぼすのだが、時々奇矯な行動を取り、ある日精神障害者として強制連行され、ガス室に送られる。T4作戦の犠牲者である。映画ではのちに義父となる、恋人の父親がこの作戦を主導した医師であり、実父は不遇な戦後を送っている。実際に精神分裂症で犠牲になった叔母がいたということだが、ここでは当時のアートシーンについてだけ思い出してみよう。
 戦後ドレスデンで美術を学ぶ傍ら描いている壁画は社会主義リアリズムそのものだ。ベルリンの壁が作られる直前に西側に亡命し、旧知の友人に出会い勧められるのがデュッセルドルフ大学。デュッセルドルフは当時最先端のアート現場だったのだ。背景に映っている彼らの制作風景が、当時模索していた“現代アート”を垣間見せてくれる。ヨーゼフ・ボイスとの出会いもあり、トレードマークの帽子の秘密も明かされる。(後にリヒターはボイスのことを「作家として誰よりも魅力的、特別な輝き、危うさ」(『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』淡交社 2005年)と語っている。) そんな中で独自の世界を作り出すべくキャンパスに向かい、生まれたたのがフォト・ペインティングだ。写真を拡大し描いたモノクロームの世界をさらにぼかし、拭き取ると、現実感が薄れ、謎めいていく過程がよくわかる。映画は確か、個展で成功していくあたりで終わっていたような気がするが、あるいは私が見るのを止めてしまったかもしれない。
 その後のリヒターは多様な手法で、しかもそれらを同時進行的に制作している。ドレスデンで撮影した写真のうち、ガラス板が並んだ作品は制作年を見落としたのだが、見えない壁に向かっていくような、あるいは無の中に向かっていくような不確かな、迷走するような感覚を覚える。油彩(アブストラクト・ペインティング)は当時の最新作、2016~17年の作品だ。何層もの油絵の具がまるで時間の層のように堆積している。塗り重ね、スキージで伸ばし、こそげ取り、下層の色をむき出しもする。物質と光が現前する、ある意味実にリアルだと言える。生成と破壊そのものとも見える。
 ゲルハルト・リヒター展では2014年の大作《ビルケナウ》も出品されるという。30代半ばに収容所でひそかに撮られた写真を集め、描こうとしたが放棄せざるを得ず、《アトラス》シリーズでポルノ写真と組み合わせるという方法で試みたことはあったが、その後もずっとこの主題にこだわり続けていたのだ。これほどの実績を積んだ作家にして、半世紀もの歳月を要していたことになる。リヒターには、イデオロギー性に対して極めて強い拒絶を感じるだけでなく、明確で単一のメッセージ性というものもあまり感じられない。むしろ世界の有り様を見せ挑発しているようにさえ見える。先の《アトラス》では人間の本源的な闇を開いてしまったように思う。そうしてたどり着いた《ビルケナウ》については、もはや抽象とか具象とかいう区分は無意味に思える。(霜田)

雪の庭

2021年01月11日 | 日記


1月2日と同じ場所の、今日の様子です。海岸に近く比較的少雪の地域なので、これほどの雪は記憶にありません。しばらく外出困難な状態です。
さらに大雪の地域の皆様、大過なくお過ごし下さいますよう。

リービさん、読売文学賞受賞おめでとう

2017年02月05日 | 日記


 2月1日、第68回読売文学賞受賞者の発表があった。小説賞はリービ英雄さんの『模範郷』が受賞した。
 游文舎は2014年4月にリービさんの講演会「日本語への旅~万葉から現代・越境の文学」を開催、翌年2015年4月にはリービさんが幼少時代を両親とともに過ごした台湾を52年ぶりに訪れるドキュメンタリー、大川景子監督の「異境の中の故郷」上映会を開いている。
 リービさんと游文舎のつながりには浅からぬものがあり、企画委員の一人として今回の受賞を喜びたい。リービ英雄さん、受賞おめでとうございました。
『模範郷』は、ドキュメンタリーの撮影に併せて、リービさんが台湾は台中の「模範郷」Model Villageと名付けられた地区を52年ぶりに訪れたときの体験を描いた作品である。
 単行本『模範郷』は2016年3月集英社刊。表題作「模範郷」と「宣教師学校五十年史」「ゴーイング・ネイティブ」「未舗装のまま」の四作を収めるが、いずれも文芸誌「すばる」に掲載された作品である。
「模範郷」以外はエッセイ的な要素が強い。「模範郷」はこのところ中国大陸をたびたび訪れて、エッセイというか紀行文を書いてきたリービさんにとって、伊藤整文学賞を受賞した「仮の水」以来八年ぶりの小説作品であった。
 リービさんは外交官であった父親の赴任によって、台中で少年時代を過ごすが、父の不倫のために両親の離婚をそこで体験している。リービさんにとって台湾は決して良い思い出に満ちた地ではない(訪問先の近くに出来たコンビニを見て、リービさんは「家庭崩壊の場所に何でファミリーマートを作るんだ」というジョークを飛ばしている。台湾にも日本のコンビニは進出していて、セブン・イレブンとファミリーマートがいたるところにある)。
 だから、撮影のために訪台することになっても、育った地に行きたくない気持をどうすることも出来ない。台北から台中へ向かう新幹線の中でも「来るんじゃなかった、という思いにもう一度かられて、足の下にある幻のブレーキを踏もうとした」などと書くのである。
 リービさんの文学はよく「越境の文学」と呼ばれるが、それは母語と母語以外の言語を話し、そして書くという主体の在り方に大きく関わっている。とりわけ台湾では、國語(現代の中国語)、台湾語(日本による統治以前から話されていた言葉)、客家語(主に漢族である客家人が使う中国語)の三つの言語が現在でも使用され、リービさんはそれらの言語が錯綜する環境の中で育った。
 リービさんの幼少時代は日本統治の名残もあり、これらの言語の他に日本語ともちろん英語も、台湾の言語環境を複雑なものにしていた。リービさんが育った家は、日本の統治時代に日本人が建てた家であり、その官舎での思い出(楽しいものではない)を「国民の歌」という作品に書いている。
 越境の文学への道を、リービさんは幼少時代から辿ることになったのだし、そこには台湾近代史の複雑な政治過程も影を落としていたことになる。
 リービさんの小説は日本文学のくくりで言えば、「私小説」ということになるだろうが、決して単なる私小説ではない。両親の離婚や障害を持った兄のことなど、私小説的なテーマを追究しているにしても、そこには日本の私小説とはまったく違う要素がある。
 それはやはり、母語と母語ではない言語との間に引き裂かれた越境者としての体験そのものであるし、あるいは母語ではない言語によって自らを他者として認識せざるを得ない体験もまた大きな意味を持つ。
 ジャック・デリダの言うように「あらゆる言語は他者の言語」である。母語しか知らない者は言語の他者性を認識することが出来ないし、ひたすら母語の〝私性〟に淫することもしばしばである。それが日本における私小説の主要な特性であった。
 リービさんの作品の言語論的なアプローチは、言語の他者性の中から生み出されるものであって、リービさんは日本文学にそのような稀有な体験を付加したのである。
 ところで第68回読売文学賞の詩歌俳句賞はわが玄文社が発行する「北方文学」第74号の巻頭に作品を寄せてくださったジェフリー・アングルスさんの詩集『わたしの日付変更線』であった(これについてはブログ「玄文社主人の書斎」にすでに書いたし、受賞に際してもう一度書くことになるだろう)。
 さらに戯曲・シナリオ賞はケラリーノ・サンドロヴィッチという人が受賞していて、読売文学賞というのは外国人にばかり賞を与えるのかと思われるかも知れないが、ケラリーノさんはれっきとした日本人である。
 しかし今回、二人の日本語で書く外国人(アメリカ人)が受賞したということは、日本文学において外国人の果たす役割が拡大している証拠であるし、選考委員がそうした作品を日本文学における、ある正統性の中に位置づけていることの証拠でもある。
 リービさんもジェフリーさんも、今の若い日本の作家が喪失している重要な部分を担っている。それは言語に対する深い意識性に由来するもので、それこそが越境者が必然的に自らのものとする資質なのである。
(柴野)

模様替え

2017年01月24日 | 日記

冬期休廊中、游文舎は図書整理などをしています。昨年の今頃は、引っ越し作業から開館と慌ただしい時間を過ごしましたが、今少しゆっくり蔵書を見ています。新しい物も揃えていきたいとは思っていますが、小谷文庫・安藤文庫の充実ぶりに改めて注目しているところでもあります。
この度、蔵書類の配置換えをしました。写真は入ってすぐの部屋。ミニギャラリーを兼ねて、小谷文庫や游文舎文庫を気軽に楽しんでいただけるようにしました。突き当たりの作品は木下晋作「デッサンハル」。一瞬にして捉えた小林ハルさんの肖像は、小さいながらも存在感たっぷりです。LPレコードを楽しむ会もこの部屋で。小谷文庫は音楽関係の本も豊富。1月20日の同会ではドビュッシーを取り上げましたが、彼の発想源となっている詩人たちの詩集はもちろん、ドビュッシーの影響を最も強く受けた武満徹の著作なども揃っています。