柄沢恭治展に寄せて 魚家明子(詩人、北方文学同人)
柄沢恭治展「暴(あかしま)~幻視」が21日から始まった。初日のギャラリートークは残念ながら見逃し、二日目の朝に観に行った。柄沢恭治は精力的に作品制作を行い、その熱量が作品の線にも生き生きと表れているエネルギーのある作家だ。柄沢の作品へのアプローチはユニークだ。彼は架空の地「辺境特区9号」なるエリアを設定し、そこに棲息する様々な形態の「怪獣」を生み出す。そしてそれらを画面の中で育て、暴れながら自身のかたちからはみ出しそうになるような怪獣の生命力をキャンバスに描き込む。それらの作品の根底には少年の時に「すごい」と興奮した異形のものの独特なかたちへの偏愛がいまだに素直に存在しているような印象を受ける。無骨な甲殻類や昆虫、大きな背骨をもったみっしりと密度の濃い肉体の獣が合体したような怪物が、ギャラリーのスペースから不穏に吠えるように私たちを圧倒する。しかし柄沢の作品の魅力は、そのデザイン、造形にももちろんあるが、それ以上に微細に描き込まれた線の繊細さや墨の濃淡で表された陰影のある色調にあるのではないかとも思う。実際に会場で絵を間近に見ることで、その線や色は私たちを魅了する。密集する植物のしべ、湧きおこり流動する雲、煙るような影、細かな海面に起きるさざ波のような生き生きとした柔らかい線の集合体が、不思議とその自然そのもののような動きあるかたちで私たちの心を撫で、優しく慰撫する。「暴」(読みの“あかしま”は台風のような風を意味するのだろうか)と名付けながらも、観る者を受容してくれるような、包容力のようなものも伝わってくる作品群。人の内にある普段は抑圧されているような生き生きとした怪獣的生命エネルギーが表現されているというのも理由であるだろうが、細かな線をも愛するように描き込む作者の、絵を描くことへの深い信頼と情熱、自由な精神のようなものも同時に伝わってくるからかもしれない。私たちが「文明的な」生活の中で身に付けた虚飾の外殻を暴風で吹き飛ばしてしまい、内なる怪獣性を「暴く」ようなイメージが背後に見えるように思うが、その虚飾の剥がし方の根底には人が全人的な野生を取り戻すための優しい手つきがあるように感じる。会場の突き当りには様々なタッチで描かれたパーツを切り、組み合わせて貼り付けた大きな作品があり、明確な輪郭のないような渦巻く命を描いて圧巻だ。今にも飛び立ちそうな大きな火の鳥のようにも見えるし、いくつもの怪獣たちの命が集合してから四方へ走りだそうとしているようにも見える。いつまでも観ていたいような、視覚を存分に楽しませてくれる大作である。この作者の作品は、観るものとの間に何か深いところでのコミュニケーションを生み出す。ぜひ会場で作品のエネルギーに触れてほしい。