ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

コイズミアヤ展「うつしかえ」を観る(ギャラリーろば屋)

2016年06月22日 | 展覧会より


コイズミアヤさんの個展DMの作品がとても気になっていた。白い図面に設置された建物の骨組みのような作品である。不思議な骨格は、上方にも左右にもまだまだ延伸しそうで、とらえどころのないスケール感を伴っていた。
会場には緻密な、建築模型のような作品が並ぶ。思っていた以上に小さい。(この意外性こそがコイズミさんの特徴でもあるのだけれど) 繊細で静謐な世界、そこに入り込むための“通路”は一本のひも――あやとりのひもであった。なんと、あやとり“亀の子”の、指の動きに合わせて形が変わっていく10段階(輪っかのままの状態を入れて11段階)の、それぞれを作品にしているのだった。それにしても、ふにゃふにゃの、指に絡め、支えられてしか形を与えられないものを、建築物のような堅固(そう)な立体に“うつしかえ”(タイトルの本当の意味は聞きそびれてしまった)てしまうとは・・・。
図面には、精緻な計算による細かな数字が並ぶ。そこに支柱を立て、細長くカットした厚紙を渡していく。あやとりのひもの、交差するところも5㎜空けていくことでより立体化する。内部とも外部ともとれるような骨組みは、見る人の脳内にも自由に構築物を想像させるのだが、建築のための模型と違うのは、用途を持たないばかりでなく、架橋のような紙の斜線が多いことや、必ずしも左右対称というわけではないことだ。それが一見静穏に見える作品群に、小さな違和を生み、眼眩むような感覚を覚えさせる。
コイズミさんの、空間感覚、着眼点の斬新さなどを改めて感じると共に、新たな展開を堪能した。新潟市内野山手・ギャラリーろば屋で、26日まで。


日本エッセイスト・クラブ賞受賞――温又柔さん『台湾生まれ、日本語育ち』

2016年06月13日 | 読書ノート
昨年4月、游文舎7周年記念企画「異境の中の故郷」上映会で、作家のリービ英雄さん、大川景子監督と共に柏崎に来られ、鼎談を行った作家の温又柔さんの著書『台湾生まれ、日本語育ち』が、第64回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。本書は2011年9月から2015年5月まで白水社のメルマガに連載されていたもので、加筆等をして今年初めに上梓された。
表紙カバーは、台湾の古い地図の上を「東京」を象った「やど」を背負って歩くやどかり。本体よりも借りてきた貝殻の方がアイデンティティになっているようなやどかりに、自身と日本語との関係を重ねる。
 温さんとその作品については昨年、このブログで紹介しているので、そちらをご覧いただきたいが、三歳で日本に移住し、ほとんど母語同然に日本語を読み、書き、話していた著者が「母語とは?国語とは?」と問い直していく過程は、まさに「日本語」が豊かになっていく過程そのものであると、改めて思い知らされた。
 台湾は日本の統治下にあっては日本語を強制され、蒋介石政権下では國語=中国語(北京語)を強制された。つまり著者の祖父母の代は日本語を、両親の代には中国語が公用語であったが、それでも彼等は台湾語を日常語として使い続けていた。幼い頃聞いていた、そして日本語が苦手な母が今なお混用する中国語や台湾語、それらが響き合う状況を表現するために、著者は二種の仮名と日本の漢字、簡体字、繁体字という三種の漢字、さらにピンインというローマ字の記号を駆使して、「音」という目に見えないものを掴まえ、留めようとする。
なぜなら著者にとっての「母語」とは3つの言語を話す「母の言葉」に他ならないから。そして言葉とは歴史を背負っているものだから。
 多和田葉子さんは著書『エクソフォニー』の中で「すべて創作言語は「選び取られたもの」」であり、「一つの言語しかできない作家であっても、創作言語を何らかの形で「選び取って」いるのでなければ文学とは言えない」という。しかし現実にはリービ英雄さんのように日本語を母語としない作家が日本語で書くのとは異なり、日本人が日本語で書くことを書き手も読み手も自明のこととしている。温さんが日本語で書くことに対しても同様に受け止められることだろう。ほとんど日本人同然なのだから、と。実際、温さんの思考のための言語は日本語だ。だからこそ、温さんが自身と日本語との関係を問い直したことは大きな意味がある。こうして一つの言語だけでは表現しきれない、意識の底の様々な音まで掬い取るために「選び取った」ニホンゴには、台湾人たちの中国語や大陸の中国語が通奏低音のように織り込まれることになった。その生き生きとした文章には新鮮な響きと発見が満ち満ちている。これからも視覚や聴覚をフル駆動させて、温さんの文章を楽しみたいと思う。(霜田文子)


五感を駆使して創造の源泉へ――佐藤美紀展

2016年06月02日 | 游文舎企画

《2016-11》


F120号二点を始め、F100号、S80号などの大作がギャラリーいっぱいに並んだ。原色を多用した躍動感溢れる作品が22点。画面を埋め尽くす色彩はそこからさらに飛び出し、ギャラリー中を埋め尽くすかのような勢いで、それぞれの作品と連動し、共鳴し、空間を飲み込んでいく。この人の作品は壁面など意に介さないのではないか。
無数の小さなつぶつぶ。それらを一気に覆い隠す黒や青の大きな楕円、あるいは赤や黄の塊。色面を引き裂くような直線やうねるような線。次々と映像が繰り出されるように、猛烈なスピードで描かれたであろうことが伝わってくる。構想を決めず描き出し、「こんなものができた」とばかりに筆を置く。タイトルらしいタイトルはない。後は見る人に委ねる。目眩くばかりの色彩や線、大胆で奔放なまでの筆致は挑発的でさえあるが、どこか懐かしさを覚える。
もちろん写実や具象ではない。だからといって抽象、と言ってよいのだろうか。見る人の共感を呼ぶのは、確かに見たもの、記憶の奥底にある、見えていたはずの何かだからではないか。「幻視」とか「白日夢」、「既視感」といった曖昧なものではない。もっとリアリティーを伴った力強いもの、と言ってよい。
アール・ブリュットや幼児の絵とも異なる。もしかしたら乳児や胎児のように識別も峻別もできなかった頃、世界はこのように迫ってきていたのではないか。意味も輪郭も重量感も定かではない色の塊や音がもたらす快、不快、恐れや不安。五感を駆使して世界のすべてを捉えようとしていた頃を想像する。ざわめきや、空気を切り裂くような音、さらには光や時間によって刻々と移り変わる光景さえも捨象できずに重層的に画面に込められているのではないか、と。
ほとんど反逆的なまでの「回帰」――佐藤美紀さんは自らの内面を問い、自らを溯行し、源泉に向かうことによって、世界をあるがままに感覚として、体感として捉えようとしているのではないか。そしてとどまることのないダイナミズムと、渾沌のままを画面に焼き付けようとしているのではないか。何というエネルギーだろう。佐藤さんは誰よりもよく知っているのだ。渾沌とは創造力の源であるということを。そして実に変化に富み、豊かな可能性を秘めているということを。最新作「2016-26」がそれを如実に語っている。


《2016-26》

(霜田文子)