ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

游文舎企画展野外篇「夏の庭2022」 7月31日から

2022年07月26日 | 游文舎企画
戻り梅雨も明けていよいよ盛夏になりました。今年も「夏の庭」展のシーズンを迎えます。11展示作品と1名・1組のパフォーマンスとなります。初日7月31日は3時よりアーティストトーク、その後ダンスと即興、8月7日には夜8時まで開場の上、月明かりの中でダンスをお楽しみいただけます。ぜひお出かけ下さい。




「時代を超えてあるもの、つねに新しいものを目指す」 高橋睦郎氏×田原氏対談

2022年07月13日 | 游文舎企画
6月11日、游文舎開館14周年記念対談が行われた。今年八五歳になる高橋睦郎氏は、少年時代からずっと詩、俳句、短歌を作ってきた。片や中国人で、中国語と日本語で詩を作り、日本の詩を翻訳していた田原氏は松尾芭蕉の俳句を中国語に翻訳したのを契機に、歴代の日本の俳句のアンソロジー『百代の俳句』を編訳した。日本と中国の詩、俳句、短歌について、日本が外来の文化を受け入れながら、独自の文化を築いていった歴史などについて、その上で自身の創作について、縦横に語り合った。



〈俳句と短歌、詩との違い〉
高橋氏は中学生のころから投稿少年で、詩と俳句・短歌を中学生新聞に投稿していたという。いろんなジャンルに手を出した方が賞を取りやすいからだ。やっているうちに一つのジャンルに収斂していくのが普通だが、高橋氏は全く仕分けなどせず、三つのことを同等に扱ってきた、それが今日まで続いている。そんな高橋氏は「詩と短歌または詩と俳句は一緒に作れるが、短歌と俳句は一緒に作れない」と言い、「俳句というのは〝別れてやる〟、短歌というのは〝でも別れられない〟、つまり俳句というのは決断の形式、それに対して短歌というのは未練の形式だと思う」と話した。また俳句は「短くても一つの宇宙」であるのに対して、短歌は「長歌の一部」であり、「部分で切れ端」としての性質があって、俳句のような広がりを持たないと、高橋氏は話す。
 田原氏は俳句には季語と五七五という束縛があり、それに対して現代詩は自由な形式を持っているとし、それは「中国の漢詩と現代詩の関係と同じ」と話した。中国にも「漢俳」(漢訳俳句)というものがあるが、「美しい言葉を選んで韻を踏んで耽美的なだけ」であり、日本の俳句の精神を継承してはいないという。翻訳者として俳句と現代詩の関係をみた時にも、現代詩に近いのは俳句であり、短歌ではないと言い、「もし形式がなければ、俳句は一篇の短い現代詩になる。俳句に潜む意味、意義、広さはたぶん現代詩と変わりはないんじゃないか」と話した。

〈世界に類を見ない俳句〉
 世界から日本文学を見た時に、代表的な文学者は紫式部と松尾芭蕉であり、あの長大な『源氏物語』の世界と、芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」の世界、極大と極小の世界が同等に捉えられていると、高橋氏は指摘した。高橋氏によれば俳句はアメリカの詩人エズラ・パウンドを介して、ヨーロッパの現代詩にも大きな影響を与えたのであり、それはだから長さの問題ではなくて、「その中にどれだけのポテンシャルパワーを持っているか」にかかっているという。「俳句というのは、あの短さの中に日本の文学史のすべてを包んでいるようなところがある」と話して、俳句の奥深さを強調した。
 田原氏は俳句と現代詩を大きく〝文学〟の問題として捉え、「文学は内在的なメカニズムを持ち、常に新しい発見を通して、言語の境目に向かって、文学の本質を示さなければならないという行為」だとし、中国と日本の歴史や民族性、宗教などの違いを通して、文学というものの本質を考える必要性について語った。また芭蕉の俳句についてはその意味よりも〝美〟を強調し、「美を最大限に表現して、この上ない美意識。美は古くならない。意味を表現すると、古くなる可能性がある。だから、現代詩も同じじゃないか」。と話した。

〈現代詩ではなく、現代俳句でもなく〉
話題は少し変わって、高橋氏は「僕は詩を書いているのであって、現代詩を書いているのではないし、俳句を書いているのであって、現代俳句を書いているのではない」とし、それは「時代とともにあるのではなくて、時代を超えてあるという、そういうようなものを目指しているのであり、常にこれまで誰も言わなかった新しいことを一歩でも新しく言わなければ新しく作る意味は全くない」からだと話した。また「誰かが既に言っていたことを、もう一回繰り返してもしようがない。そこに新しさがないと、作る人にも何の意味もない、それを読む人にも何も意味がない」と、表現することの本質に触れた。さらに「生きていることは、たぶんそういうことだろう」と、文学と生きることの意味を関連付けた。
 田原氏は自身が編集した俳句アンソロジー『百代の俳句』から、高橋氏の作品を紹介した。「帚草抜かれねば夜も雲を掃く」の句を高く評価し、「やっぱり良い俳句はどのくらいの余韻を読者に残せるかが問題だ」と述べた。寺山修司の「暗室より水の音する母の情事」の句についても、真剣勝負の真面目な句と評価した。ここから直接的な性表現についての話に転じると、田原氏は「赤裸々な表現よりも、性を超えた美しい表現でないと効果的ではない」とし、中国の作家莫言などのあからさまな描写を批判した。
 田原氏が中国での漢詩と現代詩の状況について、「漢詩は完全に周縁的になって、もう誰も相手にしない。完全に主流は現代詩」といい、それと違って「日本では俳句の方がはるかに力がある」と話すと、高橋氏は俳人や歌人は「詩に対してある種のコンプレックスを持っている」との認識を示し、そこに俳句や短歌が詩よりも劣っているのではないかとの劣等感があると話した。高橋氏は「三つは全く同等なのだ」と、詩人が俳句や短歌を読まなかったり、俳人や歌人が現代詩を読まなかったりする傾向を批判した。

〈和魂漢才洋識〉
 田原氏は『百代の俳句』編集を通して、「明治、大正、昭和と俳句が変化していることに気づいた」とし、それを明治以前の「和魂漢才」、明治以降の「和魂洋才」という用語にまとめた。それに対して高橋氏は、「そんなに単純ではない」とし、折口信夫が言っている「和魂漢才洋識」という言葉を挙げ、「和魂が漢才を取り入れた。そこでできた和魂漢才というものが、今度新しいヨーロッパの知識を取り入れた。これが洋識というものだ。これが和魂だけだったら、取り入れられたかどうかは分からない。漢才があったおかげで、実にすっきりと取り入れることができた」と述べた。
 また高橋氏は「だから日本人は中国文化に触れて、日本を発見したし、そしてまたそれを同化して、新しい日本文化は和魂漢才の文化を作った。そのことの良さに気付くためには、また今度ヨーロッパ・アメリカの文化に触れるということがあった」と、異文化に触れることによって自身を発見することの重要性を主張した。

〈ホメロスに始まり、ボルヘスに終わる〉
最後に高橋氏は自身の仕事の展望についても語った。最近の詩集『つい昨日のこと』は、氏が最初に受けた古代ギリシャの影響を整理した詩集であり、最新の『深きより』は、自ら口寄せとなって日本の古典詩人たちに語らせたものだ。今は「世界の詩人について、一人語りさせるのではなくて、僕の方から問うてみたい」との考えから、初めにホメロスに問い、ウェルギリウスに問い、ダンテに、エズラ・パウンドに、孔子に、屈原に、曹植に問うて、一番最後にアルゼンチンのボルヘスに終わるという計画だ。
なぜか? それは、ホメロスもボルヘスも最終的には盲目となって最期を迎えたが、「僕は詩人というものは、本来、いろんなことに対して精神的に盲目でなければならない。実際に眼を開いてものを言うのは、作品であって、作者というのは盲目でなければならない」と考えるからだという。
 高橋氏は最後にまだ雑誌発表前の、「詩人誕生」という曹植に問うた作品を朗読して、対談を締めくくった。



游文舎前にて。(6月10日)