ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

常に挑戦する、世界に誇る彫刻家・運慶――「運慶」展(1)

2017年11月30日 | 展覧会より
円成寺の大日如来像を見たのは学生時代のことだった。奈良市街からかなり離れた山あいの静かな古刹の、堂宇に射す光を一身に集めながら、そこだけ清澄な空気が取り巻いている。金箔の多くが剥がれ、漆色がかえって艶めいている。張りのあるほお、引き締まった体躯、一途に何かを見つめ、追求しようとするまなざし。仏像にも若若々しさ、瑞々しさというものがあるのだ、とはじめて知った。青年らしいひたむきさ、思慮深さ。しばらくその場を動くことが出来なかった。
その後奈良を訪れる機会はほとんどなく、この像にまみえることはなかった。当時は重要文化財だったが、いつからか国宝に引き上げられた。でもそんなことは私にとってはどうでもよい。記憶の中の大日如来像はなお鮮明によみがえる。

この秋、空前の運慶展が開催された。興福寺中金堂再建記念展である。現存する運慶像31体中、円成寺像も含めて22体が一堂に会する。これは見逃すわけには行かない、と思っていたものの、結局会期末ぎりぎりになってしまった。混雑は覚悟の上で、東京国立博物館平成館前に並んだ。入場制限はかかっていたが、それでも40分というのは十分想定内である。(ちなみに同じ日、上野の森美術館の「怖い絵」展は80分待ち。こちらも見たかったが、諦めた。)しかも、館内の展示はゆったりとしていて、一体一体時間をかけて見ることが出来、あまり混雑を感じなかった。日頃、仏像は本来の場所で観るべきだ、と思っていたが、そしてそれは今でも変わっていないけれど、像の周囲をぐるりと回り、側面や背面も観ることが出来るのは大変ありがたい。
真っ先に円成寺の大日如来像が展示されている。運慶の処女作なのだ。安元二年(1176)、運慶20代半ばという。通常は3ヶ月ほどで作られるものを、運慶は一年近くをかけ、おまけに完成した暁には台座裏に墨書名までしている。いかに造像に精魂を傾けたか、そして職人ではなく、一人の作家としての自負も窺える。自身の若さ、気概が込められているのだ。
再会した像の周囲には人があふれていたが、かえって、かつて堂内で観たときよりも落ち着き、静けさを感じた。喧噪に巻き込まれるほどになお毅然と孤高を守っているように見える。あるいは観る側の見方、現在の心境にもよるのだろうか。その上で、それらを全て受け止めてくれるようにも感じたのだった。
これまで運慶というと、すごい彫刻家だとは思うものの、どうも全体を捉えられないでいた。それも今展で、運慶には「定型」というものがなく、常に挑戦し続け、作風の幅広さは類を見ないのだということに改めて気づいた。しかもそれぞれの完成度が極めて高い。片や快慶は、人物としては謎が多いけれども、たくさんの遺作は「安阿弥様」から大きく逸脱することはない。快慶に比べて、銘記された像が少ないのも、類型化を避け、なおかつ完成度にこだわったためではないか、とも思えてくる。(ここで「運慶作」が、工房制作を前提としているのは言うまでもない。)

さて、そんな運慶は、一代の天才として忽然と現れたのだろうか。今展で注目したのは、父・康慶の存在である。円成寺像の少し後に展示されていた、康慶作の、静岡・瑞林寺地蔵菩薩座像と円成寺像との類似である。実は瑞林寺像の方が一年後の作だが、むしろ康慶工房の「型」があり、そこから運慶がさらに技量と独創性を発揮し、円成寺像を完成させたと考えられる。そして康慶の地蔵菩薩像の端正な作りは、運慶にも快慶にも行く道が開かれていたとも思う。

また康慶の、興福寺「法相六祖坐像」にも驚かされた。目の周囲の彫り方や頬の肉付けなどは運慶に見劣りするものの、六人それぞれの個性を捉えた豊かな表情や、深く刻まれた衣紋線などに、運慶に直結するものを感じたのである。(霜田文子 この項続く)


Niigata Art Typhoon ―熱帯低気圧展―

2017年11月23日 | 展覧会より
外は早くも雪、けれども新潟市美術館市民ギャラリーは季節外れの台風である。

「周りと少し違う」を理念に、第4回、熱帯低気圧展を行います。
新しいメンバーが「熱低」の渦になり、清らかな目になりそうです。
過ぎた事も大事ですが、私達は、今の向こう側を見て制作に精進しています。
それぞれ高いレベルで刺激しあい、さらに深い制作意欲が沸いて来るような「場」で有ること、
熱帯の生命発生的な圧力!熱い気持ち、とこしえに。
                        代表 阿部正広

県内外から9名が出品している。(游文舎企画委員の霜田文子も初参加)
それぞれのこだわりを見て、感じてほしい。
11月26日まで開催。最終日午後4時まで。