先日朝のラジオの番組の中で「雑談力」というハウツー本が出版されたり、「雑談力」のセミナーが開かれて好評だという話をしていた。それを聞いていて「雑談」にも力がいるのか?、「雑談」するのになにか能力や知識が必要なのか、と思わず聞き入ってしまった。話の内容は今の若い人達は同じ世代や同じような価値観を持つ人達とは雑談できても、それ以外の人とは会話が旨くいかずコミュニケーションがとれないという悩みが多いようである。学生時代はそれで良いとしても、一旦社会に出るとそれでは通じなくなる。上司との関係、営業先との商談など、当然仕事の話だけでは味気ないから、関係を和ませるためにも雑談を挟むわけである。そのときの雑談で「話のネタがない」とか「会話が続かない」などの苦労があるようである。コミュニケーション能力の向上を図って、良い人間関係を築きたい。そんなニーズから「雑談力」なるものが注目を集めているのだそうである。
書店に行くと「人間力」「発信力」「決断力」「悩む力」「断る力」というような本を目にすることがある。このような本を「力(ちから)本」とよぶのだそうだ。今までそれらの本は読んでいないからなんとも言えないが、いずれの力も教えてもらって学び取るものではなく、自分の経験や体験の中から自分なりに会得していくもののように思うのである。本を読んだからといって速成で人間力がアップしたり、決断力が付いてくるような簡単なものではないだろう。社会の中で、もがき苦しみ、悩み考えながら人間力は上がり、自らの勇気を振り絞って実行してこそ、決断力や断る力が付いてくるように思う。だから「雑談力」も然りであろう。雑談の中身は相手によりシュチュエーションにより変わってくるものである。あるときは時事問題になり、あるときは社会問題になり、あるときは趣味の話になり、あるときは身の上話しになったりと、雑談のテーマに定型はなくその時々で変わっていく。これこそ「人間力」の問題のように思うのである。
私自身は仕事で営業職の経験が少ないから、相手に対して気を使いながら雑談を意識したことは少ない。それに元々社交的なタイプではないから、こちらから話題を作って話を盛り上げていくのは苦手である。そんな私でも、商談相手と「良い気候になりましたね」、「この時期、仕事の状況はどうですか」、という話から入って次の話の矛先をどうもって行けば、相手と親近感が持てるようになるかを考える。今までの経験上、時事問題などはそれぞれが捉え方が異なることが多く、意見が違うと反対に反感を買うようになるからあまり適切ではない。どちらかといえば個人的な話題のほうが、お互いの人となりが解かり、親しくなれるように思うのである。さりとて初めから相手の内情にずかずかと入っていくことははばかられる。そんなことから最近は、「今はどこにお住まいですか?」とか「どこのご出身ですか?」という風に、個人情報の中でも比較的差し支えのない質問からはじめることにしている。
それは以前の仕事の関係から日本全国で和歌山県以外すべての県庁所在地には訪れていること、そしてブログでも時々紹介しているが、この10年で関東近県の主だったところは大体散歩で歩いている。そのことで相手の居住地や出身地を聞けば、その近辺の名所旧跡、公園や主な神社仏閣は大体は分かるのである。そして会話の中から共通の場所を見出すことが出来れば、それが糸口になって話は広がっていく。人とは不思議なもので、一つでも共有する話題があれば意外と親近感を覚えるものである。そして2回3回と回数を重ねるごとに、お互いの認識を深めていけるものである。そしてそれからは私の興味「人間観察」の段階に入っていく。
人は付き合いが浅く、相手のことが分からなければ当然警戒するものである。だから親しくない相手には自分の内情はあまり喋らないのが普通である。しかしこちらの質問に答える形で、知らず知らずに自分の内面を喋べらされたとする。すると相手は「ここまで喋ったのはまずかった」とは思わず、「自分はこの人を信頼しているから喋ったのだ」と逆に考えてしまう。だから相手が自分のことについて喋れば喋るほど、聞き手に対しての信頼感は増すことになる。結果としてよく言う「聞き上手は話し上手」、「聞き上手は得をする」ということになるのだろう。後はその信頼を裏切らないようにすれば、人間関係はより深くなり、長く維持していけるように思うのである。
今までに歳の分だけ多くの人と雑談してきたことになる。その中でつまらないと思う雑談はテレビネタや新聞ネタに終始する時である。テレビの解説者が喋ったことを、さも自分の意見のように喋ったり、マスコミの論調にのって世の中のことをダメだしする人達である。自分の意見に対する反論を恐れるからか、自分の見識のなさが晒されると思うのか、自分の感じたことや意見を喋らず、人の意見を借りて話す人である。反対に魅力を感じるのは自分のことを素直に語れる人である。自分の失敗や苦労話、今の悩みや課題、将来の夢、そんなことを何の衒いもなく語れる人である。そんな人達は年齢や性別や地位に関係なく好感を持つのである。意外と自分と共通することが多いこと、自分とは違う感覚や感性を教えてもらえること、そんなことがお互いの信頼感につながり、一層親近感が持てるようになるものである。近しい人達だけの打ち解けた雑談だけではなく、思い切って世代も性別も違う人達と胸襟を開いて雑談して見ると、意外と自分の視野が広がり、世の中捨てたものではないと気づくものである。たかが雑談、されど雑談である。
書店に行くと「人間力」「発信力」「決断力」「悩む力」「断る力」というような本を目にすることがある。このような本を「力(ちから)本」とよぶのだそうだ。今までそれらの本は読んでいないからなんとも言えないが、いずれの力も教えてもらって学び取るものではなく、自分の経験や体験の中から自分なりに会得していくもののように思うのである。本を読んだからといって速成で人間力がアップしたり、決断力が付いてくるような簡単なものではないだろう。社会の中で、もがき苦しみ、悩み考えながら人間力は上がり、自らの勇気を振り絞って実行してこそ、決断力や断る力が付いてくるように思う。だから「雑談力」も然りであろう。雑談の中身は相手によりシュチュエーションにより変わってくるものである。あるときは時事問題になり、あるときは社会問題になり、あるときは趣味の話になり、あるときは身の上話しになったりと、雑談のテーマに定型はなくその時々で変わっていく。これこそ「人間力」の問題のように思うのである。
私自身は仕事で営業職の経験が少ないから、相手に対して気を使いながら雑談を意識したことは少ない。それに元々社交的なタイプではないから、こちらから話題を作って話を盛り上げていくのは苦手である。そんな私でも、商談相手と「良い気候になりましたね」、「この時期、仕事の状況はどうですか」、という話から入って次の話の矛先をどうもって行けば、相手と親近感が持てるようになるかを考える。今までの経験上、時事問題などはそれぞれが捉え方が異なることが多く、意見が違うと反対に反感を買うようになるからあまり適切ではない。どちらかといえば個人的な話題のほうが、お互いの人となりが解かり、親しくなれるように思うのである。さりとて初めから相手の内情にずかずかと入っていくことははばかられる。そんなことから最近は、「今はどこにお住まいですか?」とか「どこのご出身ですか?」という風に、個人情報の中でも比較的差し支えのない質問からはじめることにしている。
それは以前の仕事の関係から日本全国で和歌山県以外すべての県庁所在地には訪れていること、そしてブログでも時々紹介しているが、この10年で関東近県の主だったところは大体散歩で歩いている。そのことで相手の居住地や出身地を聞けば、その近辺の名所旧跡、公園や主な神社仏閣は大体は分かるのである。そして会話の中から共通の場所を見出すことが出来れば、それが糸口になって話は広がっていく。人とは不思議なもので、一つでも共有する話題があれば意外と親近感を覚えるものである。そして2回3回と回数を重ねるごとに、お互いの認識を深めていけるものである。そしてそれからは私の興味「人間観察」の段階に入っていく。
人は付き合いが浅く、相手のことが分からなければ当然警戒するものである。だから親しくない相手には自分の内情はあまり喋らないのが普通である。しかしこちらの質問に答える形で、知らず知らずに自分の内面を喋べらされたとする。すると相手は「ここまで喋ったのはまずかった」とは思わず、「自分はこの人を信頼しているから喋ったのだ」と逆に考えてしまう。だから相手が自分のことについて喋れば喋るほど、聞き手に対しての信頼感は増すことになる。結果としてよく言う「聞き上手は話し上手」、「聞き上手は得をする」ということになるのだろう。後はその信頼を裏切らないようにすれば、人間関係はより深くなり、長く維持していけるように思うのである。
今までに歳の分だけ多くの人と雑談してきたことになる。その中でつまらないと思う雑談はテレビネタや新聞ネタに終始する時である。テレビの解説者が喋ったことを、さも自分の意見のように喋ったり、マスコミの論調にのって世の中のことをダメだしする人達である。自分の意見に対する反論を恐れるからか、自分の見識のなさが晒されると思うのか、自分の感じたことや意見を喋らず、人の意見を借りて話す人である。反対に魅力を感じるのは自分のことを素直に語れる人である。自分の失敗や苦労話、今の悩みや課題、将来の夢、そんなことを何の衒いもなく語れる人である。そんな人達は年齢や性別や地位に関係なく好感を持つのである。意外と自分と共通することが多いこと、自分とは違う感覚や感性を教えてもらえること、そんなことがお互いの信頼感につながり、一層親近感が持てるようになるものである。近しい人達だけの打ち解けた雑談だけではなく、思い切って世代も性別も違う人達と胸襟を開いて雑談して見ると、意外と自分の視野が広がり、世の中捨てたものではないと気づくものである。たかが雑談、されど雑談である。