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60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

存在感

2012年02月17日 08時26分43秒 | Weblog
 以前、地方の食品小売り店の店主に意見を求められたことがある。「お客さんの目線で見て、改善すべき点を指摘してほしい」、そんな内容であった。店内は何本かの蛍光灯が間引きされ暗くなっていた。商品の棚はロス対策なのだろう、一種類の商品を横に伸ばし、商品の品揃えもボリューム感もない。売れ行きが悪くなってくると守りに入る。経費を節約し商品を絞ってロスを減らす。当然の対策のように思われるが、買う立場から見れば、どんどん魅力のない店になって行く。そんなことを話しても、「では品揃えを増やし、ボリュームを上げてロスが出れば、結局は自分の負担になるではないか」、ということで堂々巡りになってしまった。「貧すれば鈍す」とはまさにこのことである。

 店を外から眺めると、入り口や窓ガラスにべたべたとポスターが貼ってある。「このポスター剥がしたらどうでしょう。その方が、店内が良く見え、お客さまも入りやすくなると思いますよ」と言うと、意外な返事が返ってきた。「いや、店内を覗かれないように貼ってあるのです。一人で店番をしていると店を離れることが多いので、不用心なのです」、と言うことであった。結局は自分の都合で店が変わってしまったのである。こういう人は商売センスが無いから、商売は止めた方が良いように思ってしまう。
 
 上の写真、会社の近くにある昔ながらの薬局である。地下鉄の駅前にドラッグストアーが出来るまでは、ここで何度か薬を買ったこともある。しかし今は立ちよる気もしない。棚に薬が並んでいるから、まだ営業はしているのだろう。店の入り口は何時も閉まっていて、ガラス戸にはべたべたとポスターが貼ってあり、中の様子は判らない。「なぜ、こんなにポスターを貼るのだろう?、このポスターにどれだけの販売効果があるのだろう?」、そんな疑問を持ったことも有った。しかし、今はこれは目隠しの為だということが分る。店の前を通る通行人に自分を晒したくないのである。ドラッグストアーが出来、さびれていく店の内情を隠したくないという心理が働くのであろう。毎日のようにこの前を通るのだが、存在感は無く、よほど意識しないと目に止まることもない。

 下の写真、同じ通りにある喫茶店である。ビルのオーナー夫婦がやっているようである。何年か前に一度入ったことがある。その時は店内には誰もいなかった。奥さんだろう人が入り口に近い2人席を指さし、「こちらでお願いします」と言う。一方的に指定され「ムッ」としたが、一人で来ているのだからと思いそこに座った。それから常連だろう3人組が来て一番奥の席にどっかと座り、喋りはじめた。小一時間の間これだけの客である。カウンターを含め20席以上はある店内で、方や一番奥の4人席、方や入口に近く便所の傍の2人席である。いかにも居心地の悪さを感じてしまった。店を出るとき、「もう2度とこの店には来ない」、そう決めた。多分2組、3組とお客さんが来ることを期待して、良い席は空けておこうという計算が働くのであろう。しかし、目の前の客を大切にしない店主の態度は私には受け入れることはできない。

 その後、店の前を通るたびに意識して中をうかがってみたが、店が混んでいるのを見たことはない。オーナーで家賃が要らないからやっていられるのだろうが、基本的には成り立っていない店である。店は入口を除いて、ぐるりとプランターで囲んであるから窓際には近づけない。照明は落としてあり、窓は何時もブラインドが降ろしてあって、中の様子が分かりづらい。これもまた薬局と同じで自分を晒したくないという気持ちが働くのであろう。今年になって「営業中」という大きなPOPを掲げるようになった。店内を明るくし、ブラインドを開ければ営業していることは一目諒前だと思うが、それはしない。多分「お客さんが外から見られるのを嫌うから」、そんな言い訳があるのだろう。しかし本当はそうではなく自分が見られたくないからだろうと思ってしまう。

 一般に入りやすい店とは、お客さんが気負い無く入れて、店員にも干渉されず、豊富な商品の中から自分の気に行ったものを選べる店だそうである。反対に入りにくい店は、入口が閉ざされ、中の様子がわかりにくい。商品が少なく、店員はいるが他のお客さんが全くいない店らしい。マツモトキヨシなどのドラッグストアは店頭は開け放たれ、品数は豊富で、これでもか!と言うぐらい歩道にはみ出して商品を陳列して自己主張している。コンビニも店頭はガラス張りで店内も明るくし、お客さんに安心感を与えるように作られている。最近では美容室も全面ガラス張りで、セットしている様子が外からでも分るような店も多い。今の傾向は明るく開放的で清潔感がある店なのである。今は消費者心理を考え、専門家が店舗設計やデザインにつなげていく小売り企業が主体になっている。こうなると個人での営業は、相当な個性を打ち出していかないと、ますます難しくなっていくのであろう。

                

 人は落ち目になると、人の目から自分を隠そうとする。よく言われる「存在感を消す」という行為である。親会社の営業担当者の様子を見ていてもそれがよく判る。営業成績が落ちてくると、直行直帰が多くなり会社にいる時間が少なくなる。営業活動を一生懸命にやっているというフリはするが、実績はなかなか上っていかない。社内では最低限の話しかしなくなり、自分の存在感を消そうとしているかのようである。反対に調子が良い営業は電話の声も大きく、何かと社内で喋る頻度も高くなる。自分の仕事がうまくいっているという自信がそうさせるのであろう。人間も動物である、自分が不利だと思えば一時的に隠れてやり過ごし、状況が良くなればまた表に出ようとするのだろう。これが本能である。しかし人間社会で本能に従順であれば、なかなか生き辛くなってくる。存在感を消していれば、再び日の目を見るチャンスは少なくなり、やがて存在自身が危うくなってくるのである。

 人の社会で、長く営業活動(個人でも企業人としてでも)を続けて行こうとすれば、自分の性格や癖、自分の陥りやすい傾向などを自ら把握しておく必要があるように思う。自分はこの会社の中で、また営業の相手から、どんな風に見られているのだろうか?周りと自分の位置関係どうなっているのだろうか?そんなことは常に意識しておき、自分の立ち位置をハッキリしておく必要がある。立ち位置さえ明確であれば、あえて自己主張しなくても、いずれ相手がこちらを認めてくれるようになる。その為には、あまり自分の我に固守せず、感情に左右されず自在に動けることが理想のように思う。どんなに絶好調でも謙虚な態度は崩さず、どんなに落ち目になっても明るさを失わず、苦手な相手にも臆さず、親しいい相手にも慣れ合いにならず、常に一定のスタンスを保っておく必要があるのだろう。そして自分の立ち位置はあまり動かさない方が良いし、存在感は決して消してはいけないのである。