以前の会社の同僚3人(私よりずーっと若い30代と40代の女性)とでランチをすることになった。
彼女たちが設定したのが「cafe紅」というところ。小伝馬町から歩いて3分程度のところにある。
その店はビルとビルの狭間に残っている昭和に建てられた個人住宅をそのまま使用している。
道路に面した開口分はペンダント、ブレスレット、ブローチ、イヤリング等を並べて販売している。
お店に上がるには家の左側にある人一人が通れる程度の狭い路地を入って行く。
その突当たりに玄関があり、ガラス戸を開けると、2人でいっぱいになるぐらいの小さな土間がある。
左側には昔ながらの木製の下駄箱があり、玄関を上がってガラス障子を開けると畳の8畳間である。
部屋の左は広いガラス窓になっていて、外は小さな中庭があり、植木が数本と庭石が配置してある。
八畳間の中央にはテーブルやちゃぶ台が4卓、ガラス窓の前に一人用のテーブルが庭に面して4卓、
それぞれに赤い座布団が敷かれていた。板の間の部屋には椅子席も2卓用意されている。
昭和の初期に建てられたであろうその家は、当時は何の変哲もない一軒の民家ただったはずである。
1時を過ぎての入店であったが、席は7割方埋まっていて、ほとんどが30代からの女性であった。
ランチメニュー4品の中から、私は「とうふと鶏ひき肉のハンバーグ¥1000」を選んだ。
この店のコンセプトは自然食、健康であろう。他のメニューも「ハマナス紅茶」「ジンジャーオレ」など、
ドリンク類も個性的なメニューが多く、いかにも今風な雰囲気のお店である。
丸いお盆に乗せて出てきたものは、ハンバーグと雑穀を混ぜたご飯、味噌汁、香の物だけである。
古い民家の畳の部屋でテーブルを囲んでの食事。何か昭和の時代にタイムスリップした感じである。
中庭に面した一人席には女性が背中を向け、何か調べ物をしながら、お茶を飲んでいる。
我々のように3人で語らう組、2人でおしゃべりをする組、一人で静かに自分の時間を過ごす人、
この昭和を彷彿させてくれる空間で、それぞれがそれぞれに、思い思いの時間を過ごしている。
店のキャッチフレーズに、「小伝馬町の隠れ家的古民家カフェ、都心にありながら京都町屋の赴き、
平成でありながら昭和の佇まい、お店でありながら我が家のくつろぎ」とあった。
休日の閑散としたオフィス街にあるこの店、最近はこんな雰囲気のお店に人気が集まるのであろう。
昨年の夏からのサブプライム問題に端を発した金融危機、いわゆる世界的なバブルの崩壊である。
日本としては20年前に続いて、二度目でもあり、免疫があってか、ある意味対岸の火事であった。
食品の仕事が中心の我々の周りでは世間で言われるほど劇的な変化も動揺もなかったように思う。
しかし半年以上経過し、その影響はじわじわと現れてきて、次第に切羽詰まってくるようになった。
消費の鈍化、百貨店の不振、企業の経営統合、スーパーの安売り、新規の商品開発の停止、
年が明けてからは1割2割のダウンは当たり前、ピタリと物が動かなくなったような感じである。
今は景気浮揚に向けて全世界の国々が取り組んでいる。いずれはこの危機も脱出するのであろう。
しかし、今回の危機後は今までの大量生産大量消費の時代と違って大きく様相が変わるように思う。
これから先、世界のバランスは変化していき、どんな世界になり、どんな方向に向かっていくのか?
それに合わせて会社や個人は、どう変わっていくのか?今はそんなことを問われているようである。
第二次世界大戦後、日本も世界も復興と経済成長を目指し右肩上がりの成長を目指していた。
我々の時代は「車」を持つことが夢であった。「家」を持つことが人生の目標でもあった。
経済的に豊かになれば自分の周りも物が豊かになり、つれて心も豊かになるうように錯覚していた。
しかし、いくら身の回りを固めても、いくら贅沢なものを揃えても、心はいっこうに豊かにならなかった。
物と心とは別問題だったのである。物が豊かになるにつれ反対に心は疲弊して行くようでもあった。
たぶん、今回の金融危機をきっかけに世の中(特に日本)は大きく変わっていくのであろう。
それは今までの反動で、物に執着しなくなり、精神的な充実を求めるようになるように思うのである。
今までにも傾向としてあったが、今の若者は「車」離れが始まり、高級ブランドにも関心が薄い。
飲食でいけば、すかいらーくのような大衆路線がダメになり、日常ではマックやドトールなど低単価、
すこしハレの日の食事は今回の「cafe紅」のように、より個性的な店が選ばれるように思う。
決して高級豪華なものではなく、雰囲気を楽しめるような場所が好まれるようになったのである。
日常は質素で慎ましやかに、非日常はより個性的な方向へ向かっていくのではないだろうかと思う。
「大衆」「皆一緒」というものが嫌われ、「自分らしさ」がキーワードになるのかもしれない。
ファッションも、食べ物も、趣味も、音楽も、持ち物も、鉛筆1本から、自分らしさの追及になる。
自分の内側から出てくる譲れないことをしっかり言葉や形にして行く、そんな時代になるように思う。
若い女性が、安い「しまむら」の衣類をコーディネートして楽しむように、押しつけのものや、
世の中の基準やものさしに合わせるのではなく、自分のオリジナルを作っていくようになる。
我々の時代から2回のバブルを経て、今の若い人達は大きく「チェンジ」して行くように思うのである。
「省エネ」「エコ」そんな言葉をキーワードにして、この「行き過ぎた世の中」は変わっていくのであろう。
それに伴い問われる個人の生き方、若い人は何を求めていくのだろう、そして老年の私はどう変化
していけるのであろうか、「古民家カフェ」を体験したことで、そんなことを思ってみた。
彼女たちが設定したのが「cafe紅」というところ。小伝馬町から歩いて3分程度のところにある。
その店はビルとビルの狭間に残っている昭和に建てられた個人住宅をそのまま使用している。
道路に面した開口分はペンダント、ブレスレット、ブローチ、イヤリング等を並べて販売している。
お店に上がるには家の左側にある人一人が通れる程度の狭い路地を入って行く。
その突当たりに玄関があり、ガラス戸を開けると、2人でいっぱいになるぐらいの小さな土間がある。
左側には昔ながらの木製の下駄箱があり、玄関を上がってガラス障子を開けると畳の8畳間である。
部屋の左は広いガラス窓になっていて、外は小さな中庭があり、植木が数本と庭石が配置してある。
八畳間の中央にはテーブルやちゃぶ台が4卓、ガラス窓の前に一人用のテーブルが庭に面して4卓、
それぞれに赤い座布団が敷かれていた。板の間の部屋には椅子席も2卓用意されている。
昭和の初期に建てられたであろうその家は、当時は何の変哲もない一軒の民家ただったはずである。
1時を過ぎての入店であったが、席は7割方埋まっていて、ほとんどが30代からの女性であった。
ランチメニュー4品の中から、私は「とうふと鶏ひき肉のハンバーグ¥1000」を選んだ。
この店のコンセプトは自然食、健康であろう。他のメニューも「ハマナス紅茶」「ジンジャーオレ」など、
ドリンク類も個性的なメニューが多く、いかにも今風な雰囲気のお店である。
丸いお盆に乗せて出てきたものは、ハンバーグと雑穀を混ぜたご飯、味噌汁、香の物だけである。
古い民家の畳の部屋でテーブルを囲んでの食事。何か昭和の時代にタイムスリップした感じである。
中庭に面した一人席には女性が背中を向け、何か調べ物をしながら、お茶を飲んでいる。
我々のように3人で語らう組、2人でおしゃべりをする組、一人で静かに自分の時間を過ごす人、
この昭和を彷彿させてくれる空間で、それぞれがそれぞれに、思い思いの時間を過ごしている。
店のキャッチフレーズに、「小伝馬町の隠れ家的古民家カフェ、都心にありながら京都町屋の赴き、
平成でありながら昭和の佇まい、お店でありながら我が家のくつろぎ」とあった。
休日の閑散としたオフィス街にあるこの店、最近はこんな雰囲気のお店に人気が集まるのであろう。
昨年の夏からのサブプライム問題に端を発した金融危機、いわゆる世界的なバブルの崩壊である。
日本としては20年前に続いて、二度目でもあり、免疫があってか、ある意味対岸の火事であった。
食品の仕事が中心の我々の周りでは世間で言われるほど劇的な変化も動揺もなかったように思う。
しかし半年以上経過し、その影響はじわじわと現れてきて、次第に切羽詰まってくるようになった。
消費の鈍化、百貨店の不振、企業の経営統合、スーパーの安売り、新規の商品開発の停止、
年が明けてからは1割2割のダウンは当たり前、ピタリと物が動かなくなったような感じである。
今は景気浮揚に向けて全世界の国々が取り組んでいる。いずれはこの危機も脱出するのであろう。
しかし、今回の危機後は今までの大量生産大量消費の時代と違って大きく様相が変わるように思う。
これから先、世界のバランスは変化していき、どんな世界になり、どんな方向に向かっていくのか?
それに合わせて会社や個人は、どう変わっていくのか?今はそんなことを問われているようである。
第二次世界大戦後、日本も世界も復興と経済成長を目指し右肩上がりの成長を目指していた。
我々の時代は「車」を持つことが夢であった。「家」を持つことが人生の目標でもあった。
経済的に豊かになれば自分の周りも物が豊かになり、つれて心も豊かになるうように錯覚していた。
しかし、いくら身の回りを固めても、いくら贅沢なものを揃えても、心はいっこうに豊かにならなかった。
物と心とは別問題だったのである。物が豊かになるにつれ反対に心は疲弊して行くようでもあった。
たぶん、今回の金融危機をきっかけに世の中(特に日本)は大きく変わっていくのであろう。
それは今までの反動で、物に執着しなくなり、精神的な充実を求めるようになるように思うのである。
今までにも傾向としてあったが、今の若者は「車」離れが始まり、高級ブランドにも関心が薄い。
飲食でいけば、すかいらーくのような大衆路線がダメになり、日常ではマックやドトールなど低単価、
すこしハレの日の食事は今回の「cafe紅」のように、より個性的な店が選ばれるように思う。
決して高級豪華なものではなく、雰囲気を楽しめるような場所が好まれるようになったのである。
日常は質素で慎ましやかに、非日常はより個性的な方向へ向かっていくのではないだろうかと思う。
「大衆」「皆一緒」というものが嫌われ、「自分らしさ」がキーワードになるのかもしれない。
ファッションも、食べ物も、趣味も、音楽も、持ち物も、鉛筆1本から、自分らしさの追及になる。
自分の内側から出てくる譲れないことをしっかり言葉や形にして行く、そんな時代になるように思う。
若い女性が、安い「しまむら」の衣類をコーディネートして楽しむように、押しつけのものや、
世の中の基準やものさしに合わせるのではなく、自分のオリジナルを作っていくようになる。
我々の時代から2回のバブルを経て、今の若い人達は大きく「チェンジ」して行くように思うのである。
「省エネ」「エコ」そんな言葉をキーワードにして、この「行き過ぎた世の中」は変わっていくのであろう。
それに伴い問われる個人の生き方、若い人は何を求めていくのだろう、そして老年の私はどう変化
していけるのであろうか、「古民家カフェ」を体験したことで、そんなことを思ってみた。