60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

硝子体はく離

2009年03月24日 08時41分20秒 | Weblog
会社へ出勤し、階段を上がっていると、突然左上に糸くずのようなものが見え始めた。
机に座って、目をこすってみたが、その糸くずは取れない。「はて、何が起こったのだろう???」
左目を手で押さえて右目だけだと異常がない。反対に右目を押さえて見る。
左斜め上2~3㎝前に糸くずのようなものがボケた感じで、大きいのと小さいのと二つ見える。
その先に景色があり、ちょうど3D映像を見ているようだ。そして目を動かすとその糸くずも動く。
「網膜はく離?」そんな語句が頭をよぎり、何となく嫌な予感がする。
眼球に傷が付いているのかもしれないと思い、洗面所に行って鏡の前で左目を開けて覗きこむ。
しかしなんともなっていないようである。時間が経過してもその糸くずは消えてくれない。

朝の朝礼が終わって早速眼科へ行くことにした。
受付を済ませると、看護婦の人が視力と眼圧を測る。視力は0.2と0.3である。また悪くなった。
視力検査が終わって待つこと30分、やっと先生に呼ばれ、診療室に入った。
正面を向いて顔を固定され、部屋が暗くなり、そして光が眼の中に飛び込んでくる。
「顔を動かさないで、右を見て。ハイ左。ハイ上。ハイ下」医者の指示に従って眼球を動かす。
左目をみながら「相当うっとおしいですね」と先生は言う。私のうっとうしさがわかるのであろうか。
両眼を同じように診察してから診療室の明かりが灯る。改めて先生の顔を正面に見た。
カマキリのような顔である。最初からこんな顔だったかと不思議な気がしてきた。
診察の間、ビデオカメラを回していたのだろう。機械の操作をする間先生は無言である。
「はたして、このカマキリ先生に何を言われるのだろう」そう思うと少し心配になる。

「これはショウシタイハクリと言います。ショウシはガラス(硝子)と書きます。タイは体ですね。
糸くずのように見える現象を飛蚊症と言います。蚊が飛んでいるように見えるからです。
人によって違いますが、目の前を小さな 「浮遊物」が飛んでいるように見えたりします。
形状は糸状や、小さな粒や丸い輪 、また、半透明の場合もあります」と説明が始まる。

この先生は結論は後回しにするタイプらしい。重大な病気なのか早く言ってくれればと思う。
テレビモニターに眼球を輪切りにした写真を写してから、再び先生の説明になる。
「これを見てもらえばわかるように、目の中には硝子体というものがあります。
これはコラーゲンの線維で出来ていて、網膜と3ヶ所でくっついています。
その網膜とくっついている奥の視神経との接着面がはがれ硝子体が収縮しているのです。
その離れた接点を今あなたは見ているのです。それが糸くずのように見えるわけですね」

ここから私の質問が始まる。
「はく離は何が原因なのですか?視力に影響するのでしょうか?なにか問題がでますか?」
「子供の時から、硝子体は収縮していって、歳をとるごとに離れて行こうとしています。
それがやがて耐えられなくなって、接点が離れ、はく離するわけです。
はく離した時点で像が見え始めたのです。しかしそれで視力が悪くなるわけではありません。
近視の強い人はなり安いですが、やはり一種の老化現象です。ほっておいて大丈夫ですよ」

「ではずーっとこの糸くずは見えているのですか?」
「今は、はく離したばかりでお互いの距離が近いからはっきり見えます。しかし距離が離れると、
その像もボケてきて、気にならなくなります。これも人によりけりで、ずっと見える人いますね。
まあいずれ右目も同じようなことが起こるでしょう。しかしそのことでは心配することはありません。
ただ硝子体が他の部分で網膜と癒着していて、はがれる時網膜に穴を開けることがあります。
その穴から水が入ると網膜がはがれ網膜剥離ということになります。そうなると視野が狭くなり、
はく離が網膜の中心部に及ぶと急激に視力が低下し、最悪の場合は失明するようになります。
今回は良いですが、右目の時も検査した方がいいでしょうね」
そんな話で、診察は終わった。歳をとるとこんな事も起こるのか、と改めて思う。
眼球が動くたびに、この糸くずも目の先をうろうろする。何時になったらとれるのだろう。
これが両目に来たら、さぞかしうっとうしいだろうと思うと、憂鬱である。

歳とともに、だんだん頭が薄くなって白髪が多くなる。歯が衰えガタがきて虫歯が多くなる。
そして今度は目、60年に渡り使い続けてきた体、支障がくるのは仕方がないことなのであろう。
今回は前触れもなく突然に現われた。今からはいろんなことが突然に起きてくるのかもしれない。
60年間住み続けた家にガタがきて、建てつけが悪くなり、壁ははがれ落ち、雨漏りがし始める。
何時までもつのか、何時まで住み続けられるのか、いずれは朽ち果てていくのは免れない。
人の体もそんな感じだろうか、母が82歳、父は94歳まで生きてくれた。
家系的に免疫系は丈夫な方だから、大事に使えばあと20年は使えるかもしれない。
この際、定期健診をやって、もう一段のメンテナンスを強化しておこうと思った。