60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

誕生日

2009年03月06日 08時32分39秒 | Weblog
3月は長女の誕生日がある。「はて、今年何歳になるのだろうか?」
26歳か?27歳か?わからない。昭和何年生まれだったのかも定かではない。
まだ、学生の時代は何年生だから何歳と、だいたい類推して娘の歳を言うことができた。
しかし成人式が終わり、大学を卒業して就職するとその関連付けが使えなくなる。
就職してから何年になるかがはっきりしないからである。
長男も昭和何年生まれで、今何歳になったのか分からない。
「確か去年か、一昨年に30歳になったとか言っていたなぁ」そんな程度である。
下の娘は昭和が終わる年(昭和63年)に生まれているから、平成の年と同じですぐわかる。
そんなことで、良いのだろうか、我ながら自分の家族への無関心さに驚くばかりである。

毎年誕生日にはプレゼントを贈る。これがまた困りもので、何を贈るか悩みの種である。
娘が小さい時はおもちゃや絵本でよかった。小学生の時は学年に合わせての本を買ってやった。
中学生や高校生になると親から押しつけられるのは嫌であろうと思い、図書カードにした。
大学生になるとCDカードが多かったように思う。
しかし就職して自分でお金を稼ぐようになれば読みたい本や聞きたい音楽はさっさと買うだろう。
そうすると金券的な贈りものは貰った方も印象がないだろうと思う。
このことで毎年悩むことになり、誕生日が来るのが憂鬱である。

母親はTシャツやセーターや手袋やバックなどを贈っている。
果たして本人が気に入っているかはわからないが、娘は「いいわね~ぇ」といってにこにこしている。
女同士、相手にはこれが似合うという自信があるのだろうか、身に着けるものが多いように思う。
男親はそれができない。娘はどんな趣向を持ち、どんなものが気に入るのかが皆目分からない。
年頃の女性としては親父が選んだものを身につけるのは嫌であろうと思うのである。
また、贈ったはいいが、気に入られず一度も使われないままに放置されるのは辛いものである。
だから、好みがあるものを避け、出来るだけ無難なもので、しかも本人が持っていないものになる。
以前は目覚まし時計を贈った。しかし携帯の着メロを鳴らして朝は起きているようである。
去年は電動歯ブラシ贈った。しかし使っているのを見たことがない。
さて今年はどうしよう? 考えても考えても全く思いつくものがない。

娘の誕生日が明日に迫り、買物の時間が無くなった来たので、会社帰りに百貨店を歩いてみる。
食品売り場を歩いていて、一旦はチョコレートにしようと思った。一番無難だと思ったからである。
しかしもうすぐホワイトデー、娘からはチョコレートを貰ったから何か返さねばいけない。
返すなら、やはりクッキーかチョコレートだろう。ダブってもいけないからと思ってチョコレートは諦める。
フロアーを順次上がって行って、化粧品の売り場、衣料品の売り場も歩いたが、全く歯が立たない。
「あいつはどんなものが好みなのだろう、全くわからない」そう思うと娘が他人のように思われてくる。
やはり文房具だろう、そう思って百貨店の上の階にあるLOFTに行ってみることにする。
雑貨、化粧小物、文具、CD、・・・・どこを歩いてもコレというものは何も思いつかない。
唯一、目がとまったのが貯金箱。30万円とか50万円貯まるものから、声が出るのもまである。
まあ、しかし少し子供じみているし、お金が入れられず、放置されているのを見るのは忍びない。

歩いているうちに健康グッズというコーナーがあり、万歩計や体脂肪測定器が置いてあった。
自分が使っていた万歩計をなくしていたので、もう一度買おうと思い自分のものとして選んで見た。
レジに並んで、考えた。自分のものは買えても、娘のものは買えない。
「これからまた探すのか?え~い面倒だ。これを娘のプレゼントにしよう」
レジで自分の順番が来た。「すみませんが、これプレゼント用に包んでもらえますか」
これでやっと、苦しさから解放される。

娘に「どんな音楽を聴くの?」と聞いて、今の歌手の名前を言われてももさっぱりわからないだろう。
「どんな本を読むの?」と聞いても、自分が読んだ本は1冊もないかもしれない。
今娘が、何を考え、何を思い、何に悩み、どんな希望を持っているのか私は分からない。
毎日会社に通い、時には夜遅くに帰ってくる。残業なのか、遊びなのか?
土日はほとんどどこかに出かけて行き、家にいる日は朝から洗濯をしている。
こちらが尋ねることも、ぽつりと返事を返すだけで、会話としては成り立たない。
「まあ、仕方ないだろう」私自身も親の干渉がわずらわしかったのだから、と思うことにしている。
小さい時、1日中私の周りを付いて離れることがなかった娘。それが今次第に距離が広がっていく。
やがては我が家を巣立っていくであろう。そうなれば娘の顔を見ることも少なくなるかもしれない。
「話さなくてもいい。離れて行ってもいい。健康で、楽しそうであればそれでいい」今はそう思う。

誕生日おめでとう。
今、大切なことは自分に対する投資。
たくさんの本を読み、映画を見、旅行をし、友人と語らい、自分の好きなことを続けてみる。
そんな積み重ねが何時かきっと役に立つことがある。   父より

家族で書くメッセージカードにこんな言葉を添えてみた。