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ブッダの教えを例え話で説く「人生の目的」を読んでみた

2023年12月20日 15時52分02秒 | 宗教

 

親鸞聖人の教えを説く親鸞会関連の1万年堂出版が今年発刊した最新の書籍である「人生の目的」を図書館で予約していたが、やっと順番が回ってきて、読むことができた。親鸞会の教祖である高森顕徹氏のご子息である高森光晴氏と大見滋紀氏の共著で、先の「歎異抄ってなんだろう」の続編ともいえる。トルストイが衝撃を受けたブッダの寓話から始まる。本の随所に描かれている茂木ヒデキチという墨絵アーティストの絵がやたら目を引く。特に、本の表紙にも描かれている追いかけてくる獰猛なトラはあまりに強烈であり、本を読んでいくと、このトラは、無常(死)のことであり、追いかけてくるとは突然襲ってくることを表しているというからゾッとする。蓮如上人の「白骨の御文章」そのもので、「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」の世界である。ブッダの例え話ということであるが、本の前半は、「広野に散らばる白骨に驚く旅人」とか「死は突然背後から襲ってくる」とか「いつまでも他人の葬式ばかりではない」とか恐ろしい話ばかりで読みたくなくなるほどである。

トラに出くわした旅人は、断崖上の松の木に登ろうとしたが、トラは木登りが得意なことに気づき断念した。「松の木」に例えられたのは、日頃頼りにしている家族や財産、お金や健康、能力や社会的地位などという。どれも生きていくには大事で必要なものであるが、どんなに恵まれていても、トラ(死)から逃れることはできないのである。また、松の木の太い下枝から絶壁に垂れ下がっている藤ヅルを発見し、それにすがってスルスルと滑り下りたが、ブッダは、短い我々の寿命をその藤ヅルに例えている。いつ切れるかわからないが、必ず切れる時が来るという。藤ヅルのお蔭で助かったと思いきや、ぶら下がっている足下には、怒涛逆巻く深海が広がり、そこに青と赤と黒の三匹の毒竜が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ち構えているのを見た。旅人が頭上を見ると白と黒のネズミが藤ヅルを交互にかじっていることに気づいたが、ネズミを追い払おうとしてツルを揺さぶったところ、ボタボタと美味しいハチミツが落ちてきた。旅人は、迫り来る危機を忘れ、落ちて来るより多くのハチミツを舐めて愉しむことに心を奪われる。

白と黒のネズミとは、白のネズミは昼、黒のネズミは夜を例えており、昼と夜が交互に命を縮めているという。三匹の毒竜とは、我々の心の中にある毒を持つ三つの煩悩を例えているという。三毒の煩悩とは、「欲」「怒り」「愚痴」である。色でいうと、「欲」が青い毒竜、「怒」が、赤い毒竜、「愚痴」が黒の毒竜である。「限りなき欲に振り回されて苦しんでいる」「欲望が妨げられると怒りの炎が燃え上がる」「人をねたんだり、うらんだりする醜い心」である。落ちてきた五滴のハチミツは、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲であり、魔力があるという。また、ブッダが一貫して説かれた根幹の教えは、「因果の道理」で、「善因善果」「悪因悪果」「自因自果」の道理であり、「自分のやった善行は自分に善果を生みだし、自分のやった悪行は自身に悪果を生みだす」のである。

最終章では、絶望の闇を破る光ありということで、細い藤ヅルにぶら下がりながら、ハチミツに心を奪われている旅人を救うには、どうしたらいいかの対処法についてブッダは、「一向専念 無量寿仏」が最も肝心であると説かれている。「無量寿仏」とは、「阿弥陀仏」のことで、それを一途に念じなさいという教えである。ブッダと阿弥陀仏は、全く別の仏で、阿弥陀仏は、宇宙に存在する唯一の仏だが、地球上で唯一人仏のさとりを開かれたのがブッダであり、阿弥陀仏はブッダの師匠あるともいえる。阿弥陀仏は、「どんな人でも、生存中に、後生の一大事を解決し、絶対の幸福に救い、必ず極楽浄土へ往ける身にさせる」と誓っている。その誓約を果たせる力がある「南無阿弥陀仏」の六字の名号を創ったという。この本を読んでも、よくわからないが、ひとまず、「南無阿弥陀仏」と念じてみよう。


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