花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
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夏の終わりに 海蔵院墓石群 2023/08/28(鹿児島

2023-09-01 15:04:01 | 史跡巡り
8月28日(月)南方神社に伊作太鼓踊りが奉納される前に立ち寄りました。

日置市吹上町南方神社 参道の鳥居 以下の画像は8月28日に撮影


神社の鳥居ですが両側には仁王像が立っています。鹿児島では時々見かける風景ですが、よく考えるとちょっと不思議です。

海蔵院跡の墓石群は右側の林の中


参道の先には南方神社があり、祭り関係者などの車が両側に止まっています。

車の後ろには「島津日新公学問所跡」の案内板があり、海蔵院跡の石碑が建っています。墓石群は50mほど先ですが、訪れる人は少ないと思われます。

海蔵院墓石群の案内板


ネット上の日置市の史跡マップには次のような説明がありました。

海蔵院跡 市指定史跡
真言宗の寺院で応永5年(1398)に創建で、伊作郷最大の寺院であった。島津忠良(日新公)は7歳から15歳まで当院8代住職頼増の教育を受けた。五輪塔・宝篋印塔・月輪塔など80数基の様々な石塔が残っている。

9時5分 木の間から差し込む光と墓石群


大きな石塔などには案内板がある


一段下がった場所の墓石群


同じく南西側の墓石群


桜のような木 惜しいことに枯れているようだ


杉木立の横にはお地蔵様


心落ち着く場所


海蔵院の歴史や、墓石・石塔などについて詳しく説明されている方のネットページもあります。

グーグルマップで存在は判っていましたが、実際に足を運んだのは初めて。単純に写真的な興味だけで言えば、霧の朝や雪の日、桜の咲くころだと雰囲気のある場面が写せそうです。

南方神社での太鼓踊りが始まる前の、ごく短時間に撮影したものを掲載しました。近くには伊作城跡もあり、いずれ再訪したいものです。

ここから南側へ直線で400mほどの山中には神護石があります。伊作温泉側から道なき斜面を登ると、山頂部近くの大岩に仏様が彫り込まれています。今年3月に神護石を訪れた時のブログはこちらからご覧ください。

11時ちょうど 多宝寺跡での伊作太鼓踊りが終わるところ


画面右上の林の中に墓石などがあります。日置市史跡マップの多宝寺跡についての説明です。

多宝寺(たほうじ)跡 市指定史跡
島津氏の分家であった伊作島津氏代々の菩提寺。歴代の領主(3代及び10代を除く)と婦人の墓がある。10代当主忠良(日新公)は、九州の大半を支配した戦国島津氏の基礎を作った人物。多宝寺跡には忠良の両親と娘の墓がある。

多宝寺自治会公民館 島津日新(じっしん)公の歌


日新公いろは歌は、関ヶ原の合戦(1600年)で活躍した島津義弘の祖父・日新公こと島津忠良が5年余りの歳月をかけて完成させた47首の歌です。

加世田青年会議所発行の日新公いろはかるた解説書を引用して、歌の一部を紹介します。

いにしえの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし

「意味」 昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。

楼(ろう)の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき

「意味」  二階造りの立派な家に住む人も、みすぼらしい小屋に住む人も、その住むところによって人の値打ちは定められるものではない。その人の心にこそ、尊い、いやしい、の区別があるのだ。

はかなくも明日(あす)の命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせで

「意味」   世の中には、今日は用事がある、今日は気分が悪いなどと言って、大事な学問を勉強せず、あてもなく、明日の日を頼みにしている人がいる。

貴重な日々を惰性で生きているようで、わが身につまされます。時には普段の行いを振り返り、悔いなく生きたいものです。
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