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花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

吹上町 妙見神社の巨石群 2023/03/06(鹿児島)

2023-03-09 18:59:21 | 史跡巡り
3月6日(月)神籠石の次は、同じ吹上町内の妙見神社を訪ねました。

16時1分 湯之浦の田の神様 以下の画像は3月6日に撮影


温泉街入口の道路横です。ここでは高い場所に祭られていて、他とはちょっと雰囲気が違っていました。

16時18分 妙見神社入口


国道270号の宮坂交差点の南側300mほどの地点に、旧道を利用した駐車スペースがあり便利です。

道沿いのオドリコソウ


1月下旬の寒波では指宿方面を中心に大きな農業被害が出ましたが、3月は温暖な日が多くなっています。

16時19分 日は西に傾く 鳥居の先に神社が少しだけ見える


5年ほど前から巨石群が有名になり多くの人が訪れています。近い場所なのですぐに行けると思いながら、今日になってしまいました。

神社の西側には墓地があり、古い石塔が残る


神社参道に向かう時、左手の緩やかな階段道に気付きました。その先には地元の人が教えてくれた、古い石塔や墓石のようなものがあり手を合わせました。

ここも古いお寺と関係のある場所のようです。吹上町の海蔵院跡、多宝寺跡などにも多くの史跡が残っています。

参道から見た東側の風景 先ほど上った神籠石の山


手前は馬場病院です。見た目には小さな山ですが、殆ど道のない足元の悪い急斜面には苦労しました。

妙見神社 簡素な社殿


祭礼や行事の時以外は、神社関係者は不在のようです。

社殿横の山桜


古い石碑にもたれかかるようにして、山桜の古木が花を咲かせていました。

セルフサービス 自分たちで願い事を書き込む


準備された竹の小片に願い事を書き込み、巨石群の西側に連ねたロープに括り付けているようです。

お賽銭はこちらへ


16時38分 巨石群への階段 滑らない岩、落ちない岩 


時折風に吹かれて祈願の竹片がカラカラと音を立て、良い雰囲気でした。この時期は合格祈願が多いことでしょう。

16時24分 北側の風景


小学校、市役所の吹上支所などが見えます。景観を良くするために周辺の木や竹をかなり伐採してあるようです。

地元の方や関係者のご尽力により、だれでも気軽に巨石風景を目にすることができてありがたいことです。同じ巨石でも神籠石のような山中では、覚悟がないと危なくてとても近づけません。

裏手は大きな岩の断崖


岩に彫られた文字


岩の上に根を張る木々


車を止めて軽く坂を上がり5分もかからず、巨石群を楽しめる神社でした。境内には屋根付きの相撲場もありました。

16時45分 駐車場方向へ戻る モミジも楽しみな場所


若葉が広がる頃や、秋に色づけば見事なことでしょう。便利な場所なので機会を見て再訪したいものです。
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吹上町 湯之浦の神籠石 2023/03/07(鹿児島)

2023-03-07 21:53:04 | 史跡巡り
3月7日(月)午後から日置市吹上町の温泉近くの史跡を訪ねました。

西郷どんの来遊地 以下の画像は3月6日に撮影


案内板 ここは昔からの温泉地


13時49分 ここが上り口 神籠石(しんごいし)・天狗岩


西郷どんの道路向かいに上り口があります。ネット情報では神籠石まで行くのはかなり大変だとのこと。

カメラ用の一脚を杖代わりに、手袋をつけ首にカメラを掛けて背中にリュック。下りではカメラもリュックに入れて、靴紐をきつめに絞めて安全を期しました。

石垣が残っていた


足元は枯葉が一杯で踏み跡はないものの、最近人が通ったようで一部で通路らしき部分の木の枝が折れていました。

所々に緑のロープがあった すぐに息が上がった


設置されてだいぶ経つようです。一部は木の枝に食い込んでちぎれ、もろくなっておりロープに頼りすぎると危険です。

5分もせずに踏み跡は消えた


石垣を過ぎると道らしきものは全く消え、ロープもありません。すぐにあきらめて帰るのも残念なこと、足元に気を付けて横方向に動きながら大きな岩を探しました。

どこも同じに見えて見当もつかない


足元は落葉と風化した石や土で足の踏ん張りがきかず、この辺りが一番登りにくいところでした。安全そうな場所を探して慎重に登ると、ずっと上の方にロープが見えました。

手掛かりに乏しいですが、枯れた木や竹を誤ってつかむと危険です。体の動きが柔軟な若い人は大丈夫でしょうが、安全第一です。

14時16分 大岩が見えた


ロープの方向よりも大分西側に大岩が目に入りました。大岩の画像は多く目にしていたので一安心です。

説明板 かなり文字はかすれている


光の方向が変わるのを待つ間に、東側にある環状列石と天狗岩の方向へ歩きました。

山桜だろうか


巨木と呼ぶほどの木はなく、雑木はある程度で弱って世代更新している感じです。山桜のような肌合いの木がありました。

途中には風化した岩のかけらも


風化してかけらになった岩と、巨岩とは全く岩の成分が違うのでしょうか。不思議なことです。

14時25分 ピンクのテープ 道案内ではなかった


人が並べたように所々に丸い輪のように置かれた石と、天狗が腰掛けそうな平たい岩もありました。

その先へ進むとピンクのテープがあり、天狗岩方向かと思いましたが真新しい測量標柱が立っていました。作業の人が最近この山に入ったのでしょう。

天狗岩は見つけられず引き返しました。帰宅後のネット情報には10年ほど前の天狗岩画像があり、すぐ近くの急斜面のようでした。

あらためて大岩を見る


どうしてここだけに大きな岩がうまい組み合わせで残っているのでしょうか。上の岩は相撲の土俵ほどの広さがありました。

怖くて岩の上には上がりませんでしたが、木々の間から少しだけ湯之浦の風景が見えるようです。大岩が木々に隠されていなかった頃もあるようです。

大岩の下に入れる


神籠石は最近グーグルマップで存在を知り、気になっていました。天気が良いので急に思い立ち、誘われるようにこの場所まで来ました。

途中の道路では、2車線道路の数台前を走る工事車両から脚立が道路上に落ちるトラブルが発生。交通量が少なめで巻き込まれた車両はありませんでした。

帰宅後落ち着いて考えると、わずかな時間差次第では私が事故に遭遇したかもしれません。難を免れて幸いでした。

14時52分 岩に彫られた仏様と文字


穏やかな表情


怖さは感じず安心感があった


帰り道は西側にずれていた

帰りは汗をかくこともなく、滑ったり転んだりしないよう用心深く下りるだけと安心したものの・・・下山にも20分ほどかかりました。

ロープはどこにも目につかず、ケガでもすると寝たきりになる恐れもあり、安全な場所を探してゆっくりと下りました。

似たような林の斜面が続く中を石垣のある所まで下りましたが風景が違います。道路が見えたので竹林を抜け出すと、上り口から150mほど西側に出ました。

近所の人が目に付き、お話を伺いました。

前にも西側に外れて下山してきた人がいた。石垣は昔の段々畑の名残で、40アールほどもあり唐芋(サツマイモ)を作っていたとのこと。

子供の頃は毎日のように登って大岩で遊んでいたが、説明板にあるような人々が行楽で集まるほどのことはなかったそうです。

安易に近づける場所ではありませんでした。足元に不安を感じる方にはリスクが大きく、単独行は避けた方が無難です。

珍しい大岩と穏やかな仏様を拝み、ケガもなく無事に下山できて感謝、感謝です。
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入来町副田 下手の田の神様 2023/02/27(鹿児島)

2023-03-02 11:45:23 | 史跡巡り
2月27日(月)帰り道の入来町で、下手の田の神様を訪ねました。

右奥は藺牟田池の外輪山 以下の画像は2月27日に撮影


薩摩川内市入来町副田の国道328号と県道333号線の交差点の100mほど西側です。農耕道路があり田の神様のすぐ横まで車で行けます。

左奥は県道333号市比野東郷線


道路を挟んで北側に50mほどのところには、早馬段の田の神様が祭られています。

史跡表示板


だいぶ風化が進んでいますが、合併前の入来町が建てた簡易な史跡表示板がありました。

下手の田の神様 女人像


田の神様(たのかんさあ)は鹿児島と宮崎県の一部に今も多く残されており、農地を見守る神様として祭られています。

グーグルマップを最大限まで拡大表示すると、あちこちで田の神様の表示を目にします。写真データもあり実に便利です。

殆どは前を見据える姿ですが、前屈みの姿勢は珍しく感じました。

時代の変化を感じる 大正15年(1926年)の田の神様


ここの田の神様は珍しい女人像とのことで、今回立ち寄ってみました。

日差しが眩しくて表情が判りにくいものの、一般的な田の神様とは異なり昔の女学生のような雰囲気を感じました。

右手には飯貝(めしげ)


左手は欠落したのかと見ると、つつましく着物の袖を持っていました。

近くに見えるのは柿の木か


すぐ東側に民家があり、柿の実が秋空に映える頃はきれいだろうと思うことでした。

各地に残る史跡に足を運ぶと自分なりの発見があり、動き回る中で写真に残したい風景に出会うことも多く楽しいものです。
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薩摩川内市樋脇町 笹嶺馬頭観音 2023/02/27(鹿児島)

2023-03-01 16:11:18 | 史跡巡り
2月27日(月)香積寺跡からの帰り道、樋脇町の笹嶺馬頭観音を訪ねました。

石段を上がってすぐのところにある 以下の画像は2月27日に撮影


倉野小学校跡から南へ180mほどですが訪れる人は少ない感じです。周囲はきれいに草が刈られていました。

東側から見た階段 左上は説明板


しっかりした手すり付きですが、夏場は手すりを隠すほどに草が茂ります。自然な岩場階段は濡れると足元が悪いのでご注意ください。

説明板と笹嶺(ささみね)馬頭観音


削った岩棚に置かれたような感じ


昭和50年9月1日指定 薩摩川内市指定文化財 説明板


馬頭観音は、人の煩悩を食べ尽くして救済する観音ですが、江戸時代以降、牛馬の安全と増産や死んだ家畜の供養などの信仰の対象として、一般に広がりました。他の観音と違い、憤怒の表情で、馬を頭上にいただいているのが特徴です。

この像は、三面八臂(顔が三面、手が八本)で彩色が施され、その精巧な彫刻技法は驚くべきものがあり、美術工芸的な観賞価値も認められます。手法から江戸時代のものとみられますが、作者は不明です。

頭上に馬をいただく


憤怒の表情


厳しい表情ですが保存状態が良く一見の価値があります。

北側の風景 遠くに紫尾山


田起こしが始まった水田地帯の農耕道路を北側へ600mほど進むと、倉野の磨崖仏があります。道路のすぐ横にあり、こちらもおススメです。
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香積寺跡 薩摩川内市東郷町 2023/02/27(鹿児島)

2023-02-28 18:42:00 | 史跡巡り
2月27日(月)藤川天神からの帰り道、香積(こじゃく)寺跡を訪ねました。

藤川のお寺跡
田海川を渡りすぐのところ 以下の画像は2月27日に撮影


東郷藤川ふれあい交流公園のすぐ上流で小さな案内板が目に留まり、引き返して橋を渡ってすぐの空地に車を止めました。

少し歩いた先で地元の方に道を尋ねると、お寺跡があり墓のようなものが残っているとのこと。

竹林の中に残る寺跡


獣害対策の鉄格子が張り巡らされている中で、入り口部分を探し出して竹林内に進みました。

古い説明板があった


太い孟宗竹が折り重なり行く手を阻み、足元や竹の枯れ枝をよけながら慎重に進みましたが、ここに残されたものはわずかでした。

香積寺(跡) 文明11年(1479年 室町幕府の時代)9月開山、藤川天神の別当寺であり、禅宗の名寺として、一時郡内に名を得た寺であった。寺跡には、住職石塔が、原形を保つものとして、貴重なものである。

石塔などはわずか


いずれも苔むして文字などはよく判りませんでした。おそらく訪れる人は殆どなく、管理の手が届かないのでしょう。

足元が悪く倒れた竹に行く手を阻まれるので、安易に行かない方が賢明です。

再建された香積寺跡
東郷町南瀬(のうぜ)地区 香積寺跡地 


お堂の横に1台分の駐車スペースが確保されています。左側には建築資材置場があり、たまに作業車が出入りするのでご注意ください。

薩摩川内市教育委員会の説明板 次のように記されています


薩摩川内市指定文化財 香積寺跡石塔群等 昭和46年7月13日指定

香積寺は、鹿児島福昌寺(曹洞宗)の末寺で、本来は東郷町藤川の庵袋(あんたい)地域に建っていました。

一度は廃寺となりましたが、日置市出身の名僧「普峰京順和尚」が、名寺の香積寺を廃するのは惜しいとして、寛文6年(1666)4月15日に、この地に再建しました。

再建された寺は「不二山(ふじやま)香積寺」と呼ばれ、京順和尚自ら住職となり、布教に努めたと言われています。

京順和尚は名徳であり、その教えを受ける者や慕うものが数多く集まり、参拝者も絶えなかったようですが、明治2年(1869)に廃仏毀釈の影響で廃寺となりました。

現在、この地では、香積寺に由来する石像や石塔を見ることができます。その中には、京順和尚が自身を自作したと言われる小袴(こばかま)の像をはじめ、仁王像や、歴代住職の墓も含まれており、これらはまとめて薩摩川内市の指定文化財となっています。

小さなお堂に残る山号 不弐山


木像は当時のものらしい


保存状態が良い


地域の方々が大切に保存されています。300年以上を経て今なお素晴らしい表情と彩色も一部残っています。

知識の乏しい私にはまさに猫に小判ですが、手を合わせ頭を下げました。うまく書けませんが、心に直接響くようなものを感じました。

右奥 桑畑の横に残る石塔群 


漢方薬の原料になる桑畑では、草取り作業が昼休みに入りました。除草剤を使えないので夏場の作業は大変だと聞きました。

石塔群 石仏、墓石など


奥の方から


石仏


右から、不動明王、お地蔵さん、阿弥陀如来、観音像のようです。

厳しい表情にユーモラスさも漂う 不動明王像


阿弥陀如来


ここでも明治初期の廃仏毀釈の影響を受けたものと思われますが、比較的損傷が少ないように感じます。

「鹿児島 香積寺跡」で検索すると詳細な説明をされたページがありますので、興味のある方はご覧ください。

日差しが強烈で仏様の表情が良く写せなかったので、機会を見て再訪したいものです。
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カメラ散歩 木屋園の田の神様 2023/02/27(鹿児島)

2023-02-27 18:54:36 | 史跡巡り
2月27日(月)薩摩川内市の藤川天神に向かう途中で立ち寄りました。

薩摩川内市平佐東小学校の北西約1km 以下の画像は2月27日に撮影


グーグルマップを拡大すると、各地に田の神様の表示に気付きます。ここは鹿児島県道394号山崎川内線沿いの墓地手前です。

普段は県道335号市比野東郷線を利用していますが、今朝は平佐東小学校から北側へ400mほどの地点を左折(西側へ)、500mほど走った左手です。

8時45分 木屋園の田の神様 正面


かなり風化が進んでいますが、形が少し変わっていて背中に大きな俵を担いだ姿です。車を墓地駐車場に止めて写しました。

大きな俵が3俵 見通しの悪いカーブ


県道ではありますが、この辺りは昔ながらの狭い道です。墓地があるためでしょうか、西側からの道路拡幅が途中で止まっています。

将来的に道路整備が進めば田の神様も移転するのかもしれません。

車で走っていると気付かないかも


交通量が少ない分、狭くてもかなりの速度で車が走り見通しも悪いので運転には要注意。事故多発地点の表示もありました。

豊作への強い期待感


道路から写す場合は車に十分注意してください。西側からは下り坂のカーブで、人がいることは想像しにくい危険な場所です。

見守る田圃の様子


今朝は各地で冷え込み、まだ日陰のところでは霜が残っていました。日中は風も雲もなく、春の日差しが一杯でした。

27日、川内のアメダス観測値は、最低気温マイナス0.2度、最高気温15.4度。

すぐ南側に残る鉄橋 国鉄宮之城線


鉄橋をくぐった先から見た様子


1987年(昭和62年)1月10日に全線廃止され、線路跡の一部は生活道路として利用されています。

鉄橋下の道路利用率が低く、鉄橋も頑丈でそのまま残したのでしょうか。水田の先には数軒の民家がありました。
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カメラ散歩 薩摩永野駅跡 2023/02/23(鹿児島)

2023-02-24 18:40:20 | 史跡巡り
2月23日(木)天皇誕生日、旧国鉄宮之城線の薩摩永野駅跡を訪ねました。

1987年(昭和62年)1月10日、 宮之城線廃止に伴い廃駅、跡地に永野鉄道記念館が建てられ鉄道施設の一部が残っています。

永野鉄道記念館 以下の画像は2月23日に撮影


1988年(昭和63年)5月、旧駅舎跡地に4770万円をかけて建設された公民館を兼ねた建物です。

ホームと保線車両 バス駐車場と右奥には線路が残る


急勾配でもありませんがスイッチバック方式の珍しい駅です。永野金山近くの大きな集落であり、大口に向かう線路を伸ばして立ち寄る感じです。

永野区観光案内板


将来的に線路を東側に伸ばし、横川辺りで肥薩線につなぐ構想もあったとか。急速な自動車社会への移行で国鉄そのものが衰退・民営化され、不採算路線は次々に廃線となりました。

旧薩摩町の案内図


1954年(昭和29年)永野村・求名村・中津川村が対等合併し、薩摩町が発足。2005(平成17)年に薩摩町は鶴田町、宮之城町と対等合併し、さつま町(2023推計人口19千人)が誕生しました。

昭和40年代には宮之城町の人口が3万人に迫り、広域合併で宮之城市誕生かと思わせるほどの勢いでした。多くの地域と同様に過疎化が急速に進みました。

緩急車(車掌車) 右奥から大口へ 左奥から川内方向へ


ネットで見かけた2004年の駅跡画像では現在と同じ車掌車(緩急車)が残る線路脇に桜の幼木が見えます。

シーサースクロッシングと呼ばれる、隣接する2つの軌道の間に2組の渡り線をX字状に設けた軌道構造が残されています。

廃線直前の記録動画と見比べると、現在は半分程度のスペースで当時を再現しているようです。

大口方向への線路は緩やかな築堤を上っていました。川内方向へはまっすぐ進む感じですが、線路はかなり左の田圃側へ続いていました。

記念館の内部


待合室にはテレビらしきものがあり、見学者が多いときはビデオでも説明するのでしょう。

窓口の奥には鉄道設備も見える


内部にも展示資料が多く見えましたが、施錠されていました。鍵を借りて中に入ると見ることができるようで、連絡先の電話番号が表示されていました。

さよなら列車の様子


今日は天皇誕生日です。時代は昭和から、平成、さらに令和へと移りました。ずいぶん前のことになりました。

降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)・・・わが身のこととして実感します。

西側から見た鉄道記念館


左側は大口方向の針持駅から下りてくる線路、右側は川内方向の広橋駅に向かう線路です。

かつての線路脇


白梅が満開で菜の花も咲いてきれいでした。

右は大口、左は川内方向


大口方向に伸びる築堤は撤去され平坦な道路になっています。

鉄道記念館ができてから35年


雨に降られずすみました。祝日でしたが他に見かけたのは、カメラを手にした若い男性が一人だけでした。

今日は各地の梅や早咲きの桜を探して回る中で、かなり奥まで来てしまい・・・いつか訪れようと思っていた永野駅跡を訪ねました。

桜が咲くころはもっと多く人が訪れることでしょう。鹿児島の自宅まで一般道直帰で1時間5分、遠いようでそうでもありませんでした。
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蒲生町漆 滝と田の神様 2023/01/18(鹿児島)

2023-01-20 15:53:15 | 史跡巡り
1月18日(水)かくれ念仏窟の後、姶良市蒲生町の漆地区に向かいました。

広木の滝入口 以下の画像は1月18日に撮影


広木の滝は県道463号漆蒲生線沿いの後郷川(うしろごうがわ)にあります。後郷川は鹿児島湾(錦江湾)に注ぐ別府川の上流部です。

案内板の先、ガードレールの間から杉木立の踏み分け道を慎重に下ります。

15時19分 広木の滝(左側) 右側にも小さな滝


落差は2m程度でしょうか、大雨時には水の流れに隠れそうなほどです。すぐ下流側にはそれよりも落差のある滝が見えましたが、水量は少なめでした。

水音が心地良い


午前中だとこの位置からは逆光になりそうな感じです。足場が悪いものの、三脚を使ってしっかり写すと絵になりそうな滝です。

岩の間に流木や倒れた竹などが絡まり足元が悪いので、撮影場所を探す際は思わぬケガをしないよう注意が必要です。手袋をすると安心でしょう。

川原は自然のまま


川に流されないよう、杉の根がしっかりと岩を抱え込んでいます。画像左上には道路のガードレールが見えます。

道路から全景は見えずとも滝の音が聞こえ雰囲気が伝わるので、川原まで下りて写したのはこれが2回目程度です。

漆の田の神様


久しぶりに訪れましたが、近くの住宅が新築されていてうれしく感じました。画面左奥は漆小学校で、画面外のすぐ左後ろには満徳寺があります。

どっしりした田の神様


案内板には次のように書かれています。
鹿児島県指定の民俗文化財 漆(うるし)の田の神

大きな石の前面に像高108cmの田の神像が浮き彫りにしてある。長袴にタスキをかけた立て膝で、両手に大きな飯杓を持っている。傍らの石碑に「享保3年(1718)寄進)の記銘がみえる。

田の神舞型の像としては県内最古といわれ、壮大で豪放な彫りは、田の神像の代表作である。【昭和43年3月29日指定】

鹿児島県教育庁文化財課による鹿児島文化財事典には次のようにありました。

この田の神は,像の高さが108cmで,亨保3(1718)年につくられています。胸ははだけた状態で,上衣のそではタスキでまきあげ,長いはかまをつけ左足を立て,右足をななめにひいた姿は今にも動き出しそうです。

また両手でメシゲ(しゃもじ)をななめにもっています。農作業姿の神舞型の代表的な石像です。

中村集落の玉石垣 


お寺の南側70mほどにきれいな石積みの通りがあります。1990年(平成2年)放送のNHK大河ドラマ、「翔ぶが如く」で西郷隆盛役の西田敏行さんが歩いたところです。

一字一石経塚


案内板がありましたが見つからず、帰宅後ネットで調べると民家庭先にあるようです。

田圃の脇に水仙が咲いていた


この時期は花が少なく、目に付くのはサザンカ程度ですが梅や桜の季節はきれいなことでしょう。

川風は冷たい


姶良市北西部の蒲生町漆地区は蒲生の街中から遠く離れ、山間の狭い道をたどります。山を抜けると急に視界が開け、盆地に田園風景が広がっていて初めて訪れた時は驚きました。

山間をさらに進むと北は薩摩川内市の祁答院地区、東は鹿児島県民の森方向につながっています。この先何度訪れることができるかわかりませんが、季節の花を訪ねて巡りたいものです。
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都迫かくれ念仏洞 吉田本名町 2023/01/18(鹿児島)

2023-01-19 15:56:15 | 史跡巡り
1月18日(水)雲の多い日、午後から吉田~蒲生方面に出かけました。

県道横の上り口 以下の画像は1月18日に撮影


都迫(どんざこ)かくれ念仏洞は鹿児島市本名町(旧吉田町)都迫地区、県道40号伊集院蒲生溝辺線のすぐ横にあります。

細い階段道を上がっていきます


左手は竹林 手すりはあるが足元注意


坂道の手すりは一部で交換されていますが、大部分はさび付き足元のコンクリートも不安定なところがありました。

入口は左手 上には大木がある


参観者名簿 今は使われていない


平成17年8月1日付けの鹿児島市指定記念物です。最初訪れたのはその数年後でしょうか、当時は道路脇に大きな案内板がありました。

参観者名簿箱を開けると中が蜂の巣になっていて驚いた記憶があります。

入口 周囲はシラス崖 落葉がかなり溜まっている


かつての案内板には次のように書かれていました。

都迫(どんざこ)の念仏かくれ窟(くつ)
薩摩のかくれ念仏、殉教秘話「血は輝く」佐々木教正著に取りあげられている洞くつである。

薩摩藩が厳しい真宗禁止を行った頃(1550年頃以降)藩の役人の目を逃れて、仏を拝んだり修行するために造られた洞くつであろう。

入口は、断崖の中ほどにあり、外部からは所在がわかりにくくなっている。

内部の構造は、よほど巧みに造られており、上部に向かって空気抜けの穴がある。奥に小さな室を設け、通路、位置などにいろいろな工夫がなされている。(引用終わり)

かなり古い仏具などがあった


奥行きは10mほどですが、入り口部分の数メートルは天井高が低く背中が当たります。奥の広い部分は高さがあり普通に立っていることができました。

初めて中に入るのは勇気がいることでしょう。前向きには進みにくく、後ろ向きに入って行きましたがすぐに頭を打ちました。懐中電灯も必要ですが、壁にはゲジゲジのような大きな虫がいてゾッとしました。

虎ロープにすがり、助けられる


やはり光の届かない洞窟の中は不安なもので、一通り撮影するとすぐに出たくなりました。ありがたいのは手すりから伸びる、黄色と黒の長い虎ロープ。

外に出るときは背中を丸めながらも前進で出られます。まるで蜘蛛の糸にすがるようにして外に出ました。

撮影で県内各地を巡る中には、もう一度訪れたい、あるいはもう一度来れるだろうかと思うようなところも多いものです。

民家後ろの崖にある


あらためて振り返ると、全く外見上は気付きません。信教が自由になった明治期以降すでに150年以上も過ぎて今も残る念仏洞、再訪できて何よりでした。

殆ど人が訪れない洞窟で、出入りもしにくいので単独では行かない方が無難です。

かくれ念仏の史跡として比較的訪れやすいのは、鹿児島市花尾町の花尾かくれ念仏洞です。花尾山、念仏洞などのブログはこちらからご覧ください。

南天と菜の花


近くの方にお話を伺うと、以前はバスで訪れる団体さんもありましたが、今はコロナ禍が続き訪れる人はいないようです。おそらく近隣有縁の方が普段の管理などされているのでしょう。

立ち話でしたが、ロープに助けられ、奥まで入り南無阿弥陀仏とお念仏ができてうれしかったことをお話しできて幸いでした。
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カメラ散歩 伊集院町飯牟礼 2023/01/05(鹿児島)

2023-01-06 18:04:52 | 史跡巡り
1月5日(木)帰りに日置市伊集院町の飯牟礼地区に立ち寄りました。

飯牟礼小学校跡地の標柱


目的地は熊野神社ですが、パソコンで見たグーグルマップで大まかに方角と距離の見当を付けていただけでした。

実際に車で走るとそれらしき場所が判らず、引き返して道路脇の広い場所に車を止めて歩きました。北側に歩いた先で四角い標柱に気付きました。

明治20年代に小学校があったと記されており、古い時代のことを大切にされていることに感心しました。

坂道を下りていくと田圃が続いていた


この辺りは日置市日吉町の帆の港に流れ込む「大川」(おおかわ)の源流部です。名前は大川ですが、長さは10km未満の小さな河川です。

日置で育ちながら、すぐお隣の飯牟礼地区のことは殆ど知らないままでした。地区内に3か所池があり、一番上流部の上池への小さな案内看板がありました。

上池(桜ケ宇都池) 南西側には諸正岳(301m)


江戸時代の大飢饉後に造られたと思われる溜池です。

休憩所


諸正岳の北側には矢筈岳(302m)があり、東に桜島、西には吹上浜などの見晴らしが良いそうです。

池から東側に上がる


離合はできませんが普通車がどうにか通れる幅はあります。両側の竹や木が伐採されていました。最近ではこのような場所は木や竹が覆いかぶさり、荒れることが多いものです。

おそらく地元の方々が道路整備の共同作業をされたのではないでしょうか。ご苦労に頭が下がります。

門松と門猫?


まだ今日は1月5日、民家の入り口にはきれいな門松が並び、猫が暖かい午後の日差しを受けていました。

道に落としてしまった柿


逃げそうな感じがあり、驚かさないよう道の端から写しました。柿が美味しいようで、こちらを気にしながら何度も啄んでいました。

今日の目的地 飯牟礼の熊野神社


小鳥のいた場所から少し南側へ歩くと熊野神社がありました。車を引き返した地点からわずか数十メートル先でした。

神社は集落から離れた広い場所にあると思い込んでいました。自分でも可笑しいことでしたが、歩き回ったことで上池を見ることができ、猫と門松、小鳥にも出会いました。

鬼瓦だが笑顔の大黒様 社殿の左手


鹿児島のブロガーさんの記事を見て、大黒様の笑顔を現地で拝見したいと思っていました。

今や古い民家に残るものは数少ないことでしょうが、いずれも笑顔一杯で心が和みます。

こちらも可愛い絵


神社境内のすぐ隣の民家ブロック塀に描かれた絵が可愛かったです。

飯牟礼の田の神様


車を北に走らせ飯牟礼峠に向かうと、左手に田の神様が見えました。農地整備の記念碑の横にかなり古い田の神様が祭られていました。

大きな藁つと


大きな藁つとが全身を包み込んでいました。いつもの帰り道の途中、歩き回って1時間程度のごく狭い範囲でしたが、様々な出会いがあり楽しいことでした。今年も元気で各地に足を運びたいものです。
コメント (2)
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。