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花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

高田の磨崖仏 石切場と命水 2023/05/10(鹿児島)

2023-05-11 16:39:48 | 史跡巡り
5月10日(水)郵便局での写真展鑑賞後、川辺町の高田に立ち寄りました。

12時12分 高田の磨崖仏 以下の画像は5月10日に撮影


高田(たかた)の磨崖仏について南九州市のページから引用して紹介します。

江戸時代の貞享4(1687)年,高田の西山観音寺の是珊住持の時に,鹿児島の石工・久保田太右衛門によって彫刻された仏像と,正徳元年に頴娃の脇七兵衛による天照大神像があります。1687年から1711年までの25年間にわたって彫られました。(引用終わり)

阿弥陀如来坐像


左から聖観音座像、薬師如来坐像


左から阿弥陀如来坐像、大黒天立像・毘沙門天立像


明治初期の廃仏毀釈を逃れ、しっかりした姿です。たかた命水の水汲み場近くの道路が拡幅された西側岩場にあり、多くの車を止められます。

12時を回り磨崖仏に日差しは当たっていませんでした。早朝に日差しが当たるとすれば、違った感じに見えそうです。

桜は各地とも一斉に咲くので、よほど計画しないと忘れがちですが・・・ここは川沿いに桜並木があり良い雰囲気です。

12時30分 石切場入口から中を見る


磨崖仏から南へ、たかた命水を過ぎて500mほど、道路から少し入ると石切り跡の広場があり周囲は緑に囲まれて異空間のように感じます。

石切場の作業跡 今は使われていない


作業跡や高い岩壁がそのまま残っています。若葉の香りが充満して気持ちが良いですが、川の瀬音が岩壁に反響して不気味に感じる方もありそうです。

清流の瀬音が心地良い


石切場の道路横を流れる永里川の清流です。下流部には古い時代に造られた堰が今も残っているそうです。

川沿いの黄色い花 メキシコマンネングサ


小さな帰化植物で地味な存在ですが、固まって咲くので花の季節には存在感があります。

たかたの命水 駐車場の楓


水汲み場に駐車場、トイレが整備されています。野菜の小さな無人販売もあり、地元の方が大切に管理されています。

24時間水が汲める 古い演歌が聞こえた~長崎の夜は紫


次々に水汲みの人がやって来て、しばらく時間待ちして写しました。料金は決まっていないようで、コインを入れるとお礼の言葉と帰りは気を付けてと、自動音声が流れます。

高齢者を中心に大きなペットボトル容器20~30本程度の量を汲んでいました。少し口に含むとまろやかで、自宅から近ければいつも使いたい味わいでした。
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蒲生漆から木津志へ 田の神様 2023/05/03(鹿児島)

2023-05-05 17:23:33 | 史跡巡り
5月3日(水)憲法記念日、吉田を経て姶良市蒲生町の漆地区へ向かいました。

12時6分 姶良市蒲生町の米丸(よねまる) 以下の画像は5月3日に撮影


画面奥(東側)を別府川の支流、後郷川(うしろごうがわ)が流れています。

ここは直径約1kmの円形盆地で今は整然とした水田地帯ですが、8000年前のマグマ水蒸気爆発で形成された火口跡(マール)です。

2003年(平成15年)、約3km東にある住吉池マールとともにランクCの活火山に指定されました。一万年以内に噴火しているので、いつ噴火してもおかしくない火山とのことですが、全く実感がわきません。

漆(うるし)の広木の滝 落差2m 滝と言えなくもない


漆への県道463号浦蒲生線は川と崖に挟まれ離合困難な区間が続き、通るたびに緊張します。連休のためか普段は殆ど見かけない対向車や後続車がありました。

道路から10m下まで行くと滝が見えますが、川までは岩や木の根、竹などが絡み合って足場が悪く、遠目に眺めて瀬音を聞く程度が良さそうです。

黄菖蒲でしょうか 民家跡に残ったものらしい


漆の集落北側で県道391号下手山田帖佐線へ右折、少し進むと黄色い花が目に入りました。自生するようなものには見えず、車を止めて撮影。

県道ではありますが狭く、日差しも届かないような山間部で落石注意個所も多く、いわば険道。車を見かけたのはツツジ撮影で停車中に2台だけでした。

13時29分 姶良市木津志(きづし)地区 天気は少しずつ下り坂か


昼を過ぎて薄雲が現れ飛行機雲が目立ち始めましたが、写真的にはきれいな新緑風景でした。

木津志の田の神様


久しぶりに訪れました。白いツツジが咲き、北側の城野神社境内にもわずかにツツジが残っていました。

蹲踞の姿勢で少し上を見つめるユウモラスな、親しみを感じる田の神様です。

城野神社(じょうのじんじゃ)


昔からの小さな村社(そんしゃ、むらやしろ)で、御祭神は源為朝の浄之御前(ミナモトノタメトモノキヨノゴゼン)。

創建年代は不詳で、慶長十七年(1612)に島津義弘公が再建し、現在の社殿は文久三年(1863)に改築されたものです。

訪れる人は少ない感じですが、境内には桜やご神木のような大木近くに祠があり、写真的には興味深い場所です。

ツタが覆う廃屋


山間部の狭い水田地帯に沿って民家が点在しています。かつては集落の中心部であったようなところに残る廃屋です。

近くには樹齢50年ほどと思えるイチョウ数本や、自生とは思えない背の高い木も見かけました。

木津志堂崎の田の神様


田の神様は鹿児島県内各地の水田地帯に今も残っていますが、耕地整理や休耕に伴い移転、草に隠れたものなども多いことでしょう。

堂崎の田の神様は珍しいことに農家(Kさん)の庭先にあります。家人のお話によると最初からずっと動いていないそうです。

先ほどの田の神様と形が似ていて、背中に年号など刻まれていますが草に隠れてよく判りませんでした。

小さな田の神様


両手に入る大きさで、かつては農家持ち回りで祀っていたものですが、過疎化が進み今はここで預かっておられるとのこと。

お仕事の手を止めて、あれこれ話を聞かせていただきありがとうございました。

14時39分 後郷川の堰


木津志からの帰りは小さなトンネルを抜けた先を右折して川沿いに下りました。姶良市山田方面に向かっているように感じましたが、ほどなく漆に向かう道に合流しました。

道路左手には堰があり下流部には子供たちの水遊びに恰好な場所がありました。現在は水難事故を懸念して立ち入り禁止個所も多いのですが、水辺のキャンプなどもできそうな場所でした。

山手から農作業に向かうような大型農機が走ってきました。田起こし時期であちこちと忙しく動き回っている感じでした。

近くの方の話では大雨時には川の水が道路まであふれだし、道路でアユが獲れることもあるとか。想像もつかない水量ですが、流域が広いためでしょう。木津志では水路の災害復旧工事が続いていました。

北側の分水嶺を越えると薩摩川内市祁答院地区で、地図を広げないと位置感覚が判らないほどの山深さです。

今日は天気に恵まれ、近場から姶良市の山間部まで広く巡りました。道の狭さは仕方ありませんが、季節の移ろいを写し止めたいような場所でした。
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岩の鍾馗様 小野公園近く 2023/04/26(鹿児島)

2023-04-27 11:48:25 | 史跡巡り
4月26日(水)雨上がりの午前中、昨年に続いて鍾馗様を訪ねました。

天候回復 鹿児島市の小野公園 以下の画像は4月26日に撮影


24日からの雨が止んで、少し風が強めながらも青空が広がってきました。

野球場ライト側を南西方向へ山手に向かう


球場の周囲をウォーキングする人も見かけました。鍾馗様が彫られた岩はこの100mほど先の右手にあります。

左手には数枚の田圃が残る


昨年6月に訪れたときは田植えがすんでいました。今回右手のコンクリート水路が一部改修されていました。

楓のある所を右へ入る


グーグルマップを見るうちに「磨崖仏」の表示に気付き、昨年6月に訪れました。

付近には案内板など一切なく、場所が判らず山手へずっと進んで探し出せず、ウォーキングをしていた地元の方に教えてもらいました。

雨上がりで判りにくい


飲料水容器がありました。お供えの意味でしょうか、昨年はありませんでした。

顔の表情が力強い


コケや草に覆われた部分もありますが、安易に手を付けることもはばかられます。

入口には小さなバラの花が咲いていた


昨年見かけた小さなこいのぼりが、少し中の方にありました。バラは園芸種と思われ、狭いながらも平坦地で住宅跡だったような雰囲気です。

特に史跡に指定されているわけでもありませんが、お寺跡だったのでしょう。

送電線の維持管理


少し山手に進むと、このような標識がありました。大きな送電鉄塔の保守管理作業用の通路になっているようです。

普段気にも留めないことですが、地道に生活インフラを守る人々のおかげで、なに不自由もなく暮らしていけることに感謝です。

この後は昨年と同様に上流部の幸加木神社に向かいました。
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藺牟田池 周辺の史跡 2023/04/18(鹿児島)

2023-04-22 16:08:50 | 史跡巡り
4月18日(火)藺牟田池外輪山に登り花など撮影、周辺史跡も巡りました。

法蓮寺跡と河内神社 以下の画像は4月18日に撮影


県道42号川内加治木線の世界一郷水車に通じる道よりも900mほど西側地点を、藺牟田池方向に上がり始めた左側山手にあります。

いつも目にしながら訪れたのは初めてです。最近では気付いた時に史跡訪問などを心がけています。あちこち巡るのも元気なうちのことです。

神社なのに仏像が保管されている


説明板には藺牟田氏の菩提寺であった法蓮寺(真言宗)は明治2年の廃仏毀釈で壊され、本尊は不動明王あるいは地蔵菩薩である。

本尊は後方一段高い場所に河内神社と称し御神体として祀られたとありました。

わずかに残る仏塔など


祠内には不動明王、地蔵菩薩等の木像が安置されています。訪れる人は殆どないようで筍があちこち伸び出していました。

山王岳環状列石 古代人の祭祀遺跡らしい


藺牟田池北西部の周回道路の少し山手にあります。ここも訪れる人はないようです。

竹林のため形状は不明確


並び具合は不明瞭で、竹が伸び出せば様相が変わりそうな場所です。

瑞奥寺(ずいおうじ)跡と木像仏三尊像


ここの仏像は廃仏毀釈の難を逃れ、個人宅に保存されているとあります。

五輪塔などの一部が残るだけ


環状列石の手前で隣には小さな個人墓地があり、周囲の立木が伐採されていました。

大翁寺跡 藺牟田池から北東方向に1kmほどの場所


説明板には大翁寺は鹿児島市の福昌寺(曹洞宗の大寺。薩摩藩主島津氏の菩提寺)の末寺、本尊は正(聖)観音(座像)とあり、近くには仁王像が一基ありました。

天正18年(1590年)帖佐(姶良市)に通善寺を建立、開基は樺山第9代忠助。慶長14年(1609年)に寺号を大翁寺と改め、慶長19年(1614年)第11代久高の藺牟田転封の際、この地に移りました。

藺牟田の田の神様


大翁寺跡の100mほど南側にあります。多くの田の神様が道路脇か見晴らしの良い場所に置かれているのに対して、ここは少し半端な感じです。

顔面が欠損しているのが気になります。かなり古いものと思われ、石仏に似ていて廃仏毀釈の折に壊されたのでしょうか。

田起こしが近い


レンゲソウが所々に咲き、昭和を思わせる雰囲気があります。

ここにも田の神様が 麓東の田の神様


車で走っていると気付かないような石碑の隅に置かれています。

かなり小型


田の神様はどっしり動かせないような大きなものばかりではなく、小型で農家を持ち回りでお祀りする地域もあります。

藺牟田池への上り口の広い場所にあり車を止められます。近くを通られるときはお立ち寄りください。

18日は藺牟田池外輪山の山王岳、竜石を巡り、ベッコウトンボやツツジを撮影、さらに史跡も巡る充実した一日でした。健康に、家族に感謝、感謝です。
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カメラ散歩 新緑の多賀山公園 2023/04/15(鹿児島)

2023-04-17 18:28:39 | 史跡巡り
4月15日(土)市民文化ホールからの帰り道、多賀山公園に立ち寄りました。

稲荷川の北側にある多賀山 以下の画像は4月15日に撮影


多賀山公園に行く前に、石橋公園を流れる稲荷川を河口まで歩きました。朝方雷雨のためか、いつも見かける釣人の姿はありませんでした。

石橋記念公園(2000年に開園)の西田橋


平成5年(1993年)の大水害により甲突川に架かる五石橋の内、新上橋と武之橋は流出。残る玉江橋、西田橋、高麗橋について、撤去か現地存続かで大きな社会問題となりました。

玉江橋、高麗橋は狭かったこともあり移転やむなしだが、文化的に価値の高い西田橋は現地に残すべきだ・・・移設保存の飾り物ではなく、現地に残し人や車が利用し続けてこそ石橋の存在価値がある・・・移設反対運動が巻き起こり、移設に至るまでは大きな苦労がありました。

今にして思えば30年も前のこと・・・あのまま狭い道を残していては交通のネックになり、広い代替橋を短期間で設置できるはずもなく・・・鹿児島市の発展にそぐわず、移設保存が正解でした。

高麗橋、玉江橋は稲荷川をはさんだ北側に移設保存されています。

稲荷川河口の砂州


桜島はまだ雲隠れ、朝方までの雨で濁っていましたが川の水量は多くありませんでした。引き潮時で、わずかに砂州が伸びていました。

多賀山公園(東福寺城跡)


石橋公園から歩いても10分程度、入り口が狭い坂道なのが少し難点です。大型観光バスの出入りは難しいと思われます。

ツツジが花盛り


今年は花の開花が例年より少し早く、公園などのツツジも多くは開花ピークを過ぎる中で、ここは今が花盛りでした。

猫を数匹見かけた


普段餌をもらっているようで、人慣れして逃げることもなく動きはのんびり。

先に多賀神社に行く


国旗掲揚台の先を50mほど進むと、半分木に隠れたような鳥居があります。

迫力ある狛犬 「阿(あ)形」


こちらも力強い狛犬 「吽(うん)形」 


神様から向かって左側が、口を開けた「阿形」。神様から向かって右側は、口を閉じた「吽形」とのこと。いずれも迫力があって多賀山に来たときは立ち寄っています。

今日は旭日旗が揚がっていた


旭日旗について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように記されています。

太陽および太陽光(旭光)を意匠化した旗。光線(光条)が22.5度で開く16条のもの(十六条旭日旗)がよく知られている。

他にも4条・8条・12条・24条など光線の本数が多彩に渡るものが存在している。

日本では大漁旗や出産・節句の祝い旗等の日常生活の場面で使われる。古くよりハレを意味する縁起物であり日本の伝統的な旗である。

明治維新以降は軍旗としても用いられるようになった。(引用終わり)

右手上には東郷元帥の銅像


穏やかに鹿児島湾を見つめる銅像


右手の鹿児島港に護衛艦「あけぼの」が寄港、一般公開


8年ぶりの寄港で、15日と16日には一般公開がありました。

東郷元帥の墓所


日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破ったことは、我が国の興廃に掛かる歴史的勝利でした。

シベリヤへの強制連行、北方領土の不法占拠、最近ではウクライナへの軍事侵攻など残虐非道な勢力を打ち破りました。

仮にバルチック艦隊が無傷であったとしたら、その後の日本の運命は危ういもので、その後の歴史を塗り替えたことでしょう。

今こそ、当時の功績を振り返る時ではないでしょうか。憲法9条を唱えるだけでは国は守れません。

東福寺城跡


自然のままに残る林


東郷銅像とは反対側にあり訪れる人は少なく、桜島は木々に隠れて良く見えません。城山の遊歩道のような感じでゆっくり散策するには良い場所です。

途中には桜並木の広場があり、ちょっとした花見の隠れ名所です。駐車場の車両数に比べて、公園で出会った人の数は少なく気になりました。

駐車場を公園利用以外に使用しないよう警告表示があり、守られずに利用制限されるとなれば残念なことです。
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足元に注意 龍門司坂を歩く 2023/04/04(鹿児島)

2023-04-07 18:04:29 | 史跡巡り
4月4日(火)龍門の滝の後は龍門司坂を歩きました。

13時44分 龍門司坂上り口 以下の画像は4月4日に撮影


画面外右手に駐車場とトイレがあります。龍門(りゅうもん)の滝に対して、こちらは龍門司坂(たつもんじざか)、読みの違うところが不思議な感じです。

NHK大河ドラマのロケ地


平成8年に文化庁より「歴史の道百選」に選定され、NHK大河ドラマ「篤姫」(2008年)、「西郷どん」(2018年)のロケ地としても有名です。

ここにも杖がありました


最初は普通の広い石段ですが、すぐに石畳の坂道になるため杖を利用した方が安心です。

薄暗い坂道が続く 雨に濡れているときは歩かない方が無難


ここ数日雨は降っていませんが、雨の日や石畳が濡れているときは特に足元に注意が必要です。

苔むした石畳


日頃足元に不安を感じる方は坂の往復にこだわらず、途中で引き返した方が無難です。

林の中を歩く


よくこんな場所に道を通したものだと思いますが、江戸時代には大事な幹線道路でした。

明治10年(1877年)の西南の役では、西郷隆盛率いる薩軍がこの坂道を通って熊本へ向かいました。

時折日差しが届く


天気は下り坂、雲が多めでたまに日差しが出る程度でした。林の中に強い光が届くと、薄暗い部分との明暗差が際立って撮影しにくい感じでした。

西郷隆盛決意の杉 ロケに使われた杉の木


大河ドラマ「西郷どん」オープニング映像で、西郷が手を触れ空を見上げているシーンの杉です。

坂の終点


龍門司坂は寛永12年(1635年)に着工し、その100年余後に完成したと言われます。石は近くの樋ノ迫山から切り出されたと伝えられています。

全長1500mほどの道のうち、今も残る500mほどを上がりました。これより上の方では、現在ある道路の下に古道が埋もれているようです。

軽やかに上がっていく若者たち


高校生らしい若者が上がっていきました。急勾配個所はありませんが、杖を利用してゆっくり歩くうちには汗が流れました。

実際に歩いてみると500mがかなり長く感じられ、下りは特に足元に注意して駐車場まで戻りました。

あまり日の当たらない石畳は苔が付き、濡れていると危険な感じです。コロナ禍が過ぎれば観光客が戻るとしても、安全対策が何より大切でしょう。
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春山町岩屋観音 轟の滝 2023/04/03(鹿児島)

2023-04-05 16:44:21 | 史跡巡り
4月3日(月)春本番、家にいても日が長く午後から出かけました。

14時36分 鹿児島市春山町 登り口は200mほど先 以下の画像は4月3日撮影


鹿児島市南部地域は殆ど土地勘がなく、頭に地図が思い浮かびません。頼りになるのはグーグルマップの道路地図と航空写真です。

先達のブログ記事を頼りに、早めに訪れたいと思いながら月日が過ぎました。

鹿児島市犬迫町から県道210号小山田谷山線を南下、春山町の都市農村交流センターお茶の里前の交差点を県道35号永吉入佐鹿児島線へ左折。

1kmほど下った地点のゴルフ練習場の200mほど先を右折、轟の滝横を田園地帯へ600mほど進み、岩屋観音案内板に従って左折。200mほど先の道路が広めの場所に車を止めました。

登り口 岩屋観音まで500m 杖が準備されていた


50mほど手前の記念石碑には、昭和62年に春山地域公民館の宿願であった岩屋観音一帯の整備が行われたと刻まれていました。

最初は竹林 やがて杉山に


道は狭いですが足元に注意して登れば大丈夫です。落葉が多く、木の根も出ているため杖を利用したほうが安心でしょう。

10分ほどで到着 展望所まで130m


急勾配ではありませんが歩くうちには汗びっしょり、平坦地を進んだ後に鳥居から少し登るだけの鹿児島市五ヶ別府町の茂頭観音に比べると何倍も遠いです。

訪れる人は殆どいない場所であり、単独行や夏場、悪天候時の入山は避けた方が良さそうです。

3月に訪れた茂頭観音のブログはこちらです。

巨岩が積み重なっている


日置市吹上町の妙見神社を思わせるような巨岩です。重なった岩の間をくぐるようにして奥へ入ります。

天井部は2m以上 奥に石廟が並ぶ 観世音菩薩と不動明王像


薄暗い巨岩の洞窟内であり、石廟の丸い穴からは中の様子は良く判りませんでした。

この山中まで往復して管理されている方々の苦労は大変なものだろうと頭の下がることです。

内部から南側の岩を見る


日置市吹上町の妙見神社を訪れたブログはこちらです。

大きな木が立ち並んでいる


同様な山中の巨岩、日置市吹上町の神護石のブログはこちらです。

巨岩をつかむ木の根


展望所からの眺望


桜島を望む眺望は、木々の成長でやがて失われそうな感じもします。右側には紫原のテレビ塔、鴨池新町の県庁も見えていました。

北側には轟の滝1400mの案内板もあり、ハイキングコースがあるようですが踏み跡ははっきりしませんでした。

展望所からの下山で道に迷ったとの情報もあったので、すぐに引き返し下山しました。

轟の滝

永田川上流部 右岸側には用水路が見える


最初通った道沿いに見える轟の滝です。橋のすぐ上流部に取水堰があり、右岸側に農業用と思われる小さな水路が続いていました。

用水路から川に放出されている水音と、岩盤を流れる下る水音が入り混じっていました。

道路側から川面を見る


川は緩やかな傾斜があり、一般的な落差の大きい滝と言うよりは早瀬の感じです。昔であれば格好の子供たちの遊び場ですが、今は危険個所。

川に近づかないよう、わざと藪払いをしていない感じです。所々には不法投棄のゴミも見えて残念。北側の山手には大岩の岸壁も見えました。かねて気に留めていたところに足を運べたことは幸いでした。
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カメラ散歩 皆与志町の史跡 2023/03/31(鹿児島)

2023-04-01 16:48:10 | 史跡巡り
3月31日(金)近場のため、天候回復を待って16時過ぎに出かけました。

16時45分 川路利良生誕の地 以下の画像は3月31日に撮影


鹿児島市北部の皆与志町(みなよしちょう)は自宅から車で15分程度。朝から雲が厚い日でしたが、日差しが出そうになりチャンスを生かすことにしました。

昔ながらに道が狭くカーブが多いなか、交通量が少ないため飛ばす車もありますが、ここだけは拡幅されて安全。車を止めて歩き回りました。

石碑と桜


桜の季節に写したいと思っていました。日本の初代大警視(警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した川路利良の誕生地です。

石碑には 大警視川路利良誕生之地 公爵島津忠重書 と刻まれています。

同時代に活躍した薩摩の偉人は,西郷隆盛(7歳上),大久保利通(4歳上),五代友厚(1歳下)です。

16時58分 釈迦山磨崖仏 東側の岩


大警視誕生地の西側およそ300m、皆与志町生活改善センター北側の竹山にあります。近所の方によると、お寺跡だったらしいとのこと。

グーグルマップで存在に気付いた史跡です。花立は空のままで最近訪れる人が全くないようです。

仏様の下には横長で多くの人名らしきものが刻まれていますが、よく読めませんでした。

こちらは西側にある 月形でしょうか


月形の右上の岩 釈迦三尊像でしょうか


風化というよりは顔面が削られているように感じました。磨崖仏としては小規模で世間に殆ど知られていないところを訪れることができて幸いでした。

すぐ近くに桜があった


車で走っていると気付きにくい高い位置に桜が何本もありました。花や緑が好きな方が自宅裏山に植栽したもののようです。

花桃がきれい


近くの方に史跡のことなどお話を伺うと、磨崖仏のある所の地主さんで、ご先祖に著名な軍人さんがおられたとのこと。

ネットで見ると当地出身らしい、日本陸軍中将の比志島さんではないかと思われます。個性的な長い口髭のことなど、次回お尋ねしてみましょう。

中組の田の神様 小鷹神社境内 大警視誕生地の北東側およそ400m


田の神様は田圃を見守る神様、神社の境内とは珍しいことです。おそらく農地、宅地開発や道路整備などで、小高い神社境内に引っ越しされたのでしょう。

田の神様らしいスタイル


それほど大きなものではありませんが、しっかりと彫られています。右手にしゃもじ、左手にお椀の田の神様です。

周辺の木が伐採された電柱 小鷹神社前から北側へおよそ200m


電柱の近くから温泉が湧いたかと一時話題になりました。周囲の樹木を撤去してトラブルが解消、電柱はそのままで溜まっているのは水でした。

<2月14日のブログ記事>
再調査で近くの樹木が電線に引っ掛かり、電柱の絶縁器具が損傷しているのを確認。漏電で電柱地下に伸びるアース線に電気が流れ、何らかの原因で雨水などが沸騰。2月11日に木を撤去し、絶縁器具を修理。温泉の期待は消えたものの、原因がわかり地元の方は安堵されたようです。

18時15分 上流部に耕作中の棚田があった 話題の電柱から800mほど


前回2月10日には雨で水路があふれて行けませんでした。軽トラが行き来しているようで、上流部へ歩くと数枚の田圃がありました。

杉林の中に埋もれるように農機具資材倉庫があり、新しい筍の皮が少し落ちていました。梅の古木と柿の木もあり、今も耕作中のようで驚かされました。

話題になった電柱から山手へ500mほどの間には廃屋が5軒ほど残るだけで、農地跡はすべて原野に戻っていると思ったので意外でした。

グーグルマップの航空写真画像を見ると、近くにも畑が数か所耕作中のようです。

18時40分 薄暗くなった


車に戻る頃には夕暮れとなり、わずかに夕焼けが見えました。近場ながらも桜の季節に巡ることができて幸いでした。

桜、特にソメイヨシノは開花時期がどこも同じようで多くの所を巡るのは困難です。

形ばかりに見て回っても面白くないし・・・満開の桜に圧倒されてどこも一緒に思えたり、飽きてしまうこともありますが・・・桜巡りは毎年楽しいものです。
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陰陽石 子授け岩と安産神 2023/03/16(鹿児島)

2023-03-17 11:39:30 | 史跡巡り
3月16日(木)日置市東市来町の皆田地区にある陰陽石を訪ねました。

皆田(かいだ)地区ふるさと地図 以下の画像は3月16日に撮影


安産神のある内ノ田ため池に建つ大きな看板には、地元の史跡や伝統の祭りなどが判りやすい絵とともに細かく記されています。

内ノ田ため池 画面外右手に安産神


飼われていたアヒルがいなくなり寂しくなった池のほとりに、今年もコブシが花を咲かせていました。5台ほどの駐車場、トイレがあります。

安産神 階段を20mほど歩く


杉木立の中


安産岩 こちらは陰石


右側にはかすれた、さつま狂句(鹿児島の方言による川柳)


軽産りごっち 産婆も撫ぜけ 詣けち云っ 
(かりごっち さんばもなぜけ いけちゆっ)

作者は実方天声(さねかたてんせい)さん 
訳すと、「安産を願い、産婆さんも(石を)撫でにお参りしなさいと言った」

願い事やお礼が書かれた石


訪れる人は少ないようですが、石に書かれた日付は最近のものもありました。

子授け岩もある


今日は700mほど離れたところにある陽石の「子授け岩」にも立ち寄りました。

道沿いの子授け岩


通行量の少ない道ですが、車1台を止めるスペースが作られています。

ここにも同じような子供の石像


草木に隠れて見えにくい状態 高さ5.5m 胴回り11m


地元の方の管理もなかなか大変でしょうが、今も多くの人に慕われています。

宮崎県小林市の陰陽石は特に有名ですが、田の神様の中には背後から見ると陽石をかたどったものも多く見られます。

子授け岩の案内板


ここにも同じ作者のさつま狂句が


撫ぜすぎっ 双生じゃったや 目を廻えっ
(なぜすぎっ ふたごじゃったや めをまえっ)

子授け石を撫で過ぎたら双子だったので目を回した

近くで見かけた桜と新緑


養鶏場跡のようなところに桜が咲き、新緑が広がり始めていました。この後は桜の多い、いちき串木野市の観音ケ池公園を訪れました。
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駅名になった 上伊集院の饅頭石 2023/03/11(鹿児島)

2023-03-12 13:49:41 | 史跡巡り
3月11日(土)茂頭観音の帰りに饅頭石(まんじゅういし)に立ち寄りました。

盛りを過ぎた白木蓮 以下の画像は3月11日に撮影


近いところなのでと思いながら、ようやく訪れることができました。白木蓮の向かい側のカーブミラー地点を右側山手へ歩きました。

史跡巡りの先達、ブログ「鹿児島の自然と食」さん、今回も参考にさせて頂きありがとうございます。

離合に気を遣う狭い道ですが近道のようで、車が次々とやって来ます。離れた広い場所に車を止めました。

林の狭い道路 私道らしい


この辺り一帯は私有地で、この道も右手奥の民家に通じる私道のようで、車では行かず饅頭石までの100mほどを歩きました。

坂の上にそれらしき場所があった 饅頭石は左手上にある


やはり私道のようで、民家を過ぎると道は落葉で埋もれていました。画面右奥から上がってくると、左側に小さな上り口がありました。

左側は水道施設らしい 右奥に見えるのが饅頭石


この辺りは私有地との表示


「饅頭石を含めここは私有地です」と書かれていました。建物は公共の水道施設のようですが、私有地とあり早々に引き上げました。

苔がきれいだが長居する雰囲気ではない 右が饅頭石


先に訪れた茂頭観音とは真逆で、写真を写していても私有地立入で怒られそうで気になって落ち着きません。

人が腰掛けるには手頃で、古くからの逸話が残っています。周囲には岩がないのに、ここだけに置かれたような不思議な岩です。

石碑 右は島津貴久公休息の地 左は饅頭石水道建設記念碑


ここは鹿児島市五ヶ別府町、すぐ西側は旧松元町の春山地区です。江戸時代にはこの地を巡り鹿児島と伊集院の間で争いもあったとか。

この辺りは分水嶺になっていて、東側は鹿児島湾に注ぐ永田川の上流部、西側は東シナ海に注ぐ神之川の上流部です。

上に小さなくぼみがあった


貴久公が、この石に腰を下ろし、くぼみに溜まった水でびんのほつれを直したと伝わっています。

まさに饅頭の形の石


日置市吹上町の神籠石、妙見神社の巨石と比べるのもどうかと思いますが、形が饅頭型で面白い程度にしか感じず、私的には少しガッカリ。

饅頭石駅は改称され上伊集院駅に
現在の上伊集院駅は、大正2年(1913年)に国鉄川内線として開業した際に、饅頭石(まんじゅういし)駅として開設されました。

饅頭石駅は日置(ひおき)郡の上伊集院(かみいじゅういん)村にあったことから、駅名を村名に合わせるよう請願が出され、昭和24年(1949年)に饅頭石駅が上伊集院駅に改称されています。

一方で、上伊集院村の中心部は松元(まつもと)にあったことから、駅設置の請願が出され、昭和29年(1954年)に上伊集院駅の北西約2キロのところに薩摩松元(さつま まつもと)駅が開設されています。

1889年(明治22)の町村制施行に伴いそれまでの伊集院郷(外城)のうち南部にある6村の区域を以って上伊集院村(かみいじゅういんむら)として発足。

1960年(昭和35)に上伊集院村を松元村に改称、即日町制施行し松元町となり、2004年(平成16)11月1日に鹿児島市に編入されています。

私の中では・・・鹿児島市松元町に薩摩松元駅があるのに、鹿児島中央駅に近い方に上伊集院駅がある・・・伊集院の飛び地だったのか・・・昔は饅頭石駅だったとも聞いたが・・・頭の中の混乱が解消されました。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。