龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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旧福島市内のおコメ出荷停止のニュースに対して

2011年12月07日 01時01分24秒 | 大震災の中で
あまりにも周囲の人が驚いていないことに、今日は驚いた。

その土地で作った米を食べられない、そういう場所に住むことのしんどさったらないと思うんだけどなあ。
どうなんだろう。

私は、身体から何かが抜け落ちてしまいそうな脱力感を覚えます。

旧福島市内のコメ出荷停止は、とてもとても大きなショックでした。
このままでいいのだろうか、と考えているうちに心が音をたてて軋んでいくような気がします。

自分の住む土地の作物が食べられないということ。
しかも、主食ですから。毎日食べるべきものがクチにできない悔しさ、不安、憤りに、身体が震えてきそうです(必ずしも比喩ではなく,寒気がします)。

東日本のものはクチにしない、という人もいます。
福島県内に留まっていること自体が大問題だ、という人もいます。
そんなことをいったってそう簡単じゃないぜ、と私自身はずっと感じてきたけれど、今回は正直しんどい。

後出しで、安全を何度も何度も語った挙げ句にもう、身動きが取れなくなったところでハシゴを外すようなことをし始めている。福島県が他県に避難住宅の費用立替え終了を要請する、なんて話もご同様か。
重大でかつ数値の出そうな内部被曝・食品関係の計測は遅々として進まない現状も同断だろう。
福島県沿岸部の魚への影響も、とうてい積極的な情報の開示にはほど遠い。

このまま福島県に踏みとどまりながら、闇の中を立ちすくむようなことに、十分な意義を見いだせるのだろうか。
セシウムの被害それ自体よりも、食べられないことがダメージだった、といったら、愚かだと笑われるだろうか。

たかが人為的にしかも暫定的に決められた出荷基準に抵触したというだけのことだ。
だが、それほどの「とりあえず」のなんちゃって基準でも、食べられないと判定されたっていうことの負の意味は、思いの外に重かったようだ。

福島市民にとっては余計なお世話、かもしれない。外野が何をいってもなかなか境界線の内部には声は届かないものだ。

でも。

「境界線の近傍」に身を置くようなふらふらした生き方をしてきたからか、むしろ余計に今回のことがボディブローのように「効いて」きそうなのです。





上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ』講談社学術文庫を読む

2011年12月07日 00時44分03秒 | 評論
上野修『デカルト、ホッブズ、スピノザ』講談社学術文庫を読む
メディア日記龍の尾亭」に書きました。

上野修センセの文章が頭にすっきり入ってくるようになったのは、時代の変化かこちらの脳味噌が変質したのか(進歩したと言うより、むしろ惚ける一瞬前のクリアさ、という意味で)。

國分センセがデカルト読みというスタンスからスピノザを丁寧に読んでいったと言っていたのに少し近い感じで、この本での上野センセは、ホッブズからスピノザに接近している。

その中でスピノザがデカルトやホッブズから「異様」にズレている様を描き出していく。

まあ、スピノザっていう人をデカルトの延長戦上の言葉で語ろうとするとどうしてもそうなっていくのだろう。
もう一つの「近代」の可能性をはらんでいた17世紀、という視点。
そして、私達がその説明として使用している近代的な「論の前提」それ自体が反転していく形で示されていくスピノザ像。

かつては「近代的思考」を自明の前提としている、ということを前提としてスピノザの「異様さ」を描出していたのだろうな、と上野論文を読んで感じた。

それは上野センセが、というより、時代がっていう感想ですが。

だから、今読むと分かりやすい。
その場所から距離を持つようになったから。

じゃあ、「今」私は私達はどこにいるのか?
「本来性なき疎外」(國分)や、「一元論的<力>」(白井聡)という言葉がその場所を指し示しているようにも思われる。

今はもっと様々なところからのアプローチが始まっている、という感じもある。
そういう意味では上野修のこの論文集は、ちょっと息苦しい生真面目な感触もないではない。

偉そうにいうなって話ですがね。
いや、その「生真面目」な感じに導かれてやっとぼんやりと話の輪郭が見えてきたってことなんですけれど。

面白いです。お薦め。



週末、温泉に行ってきた

2011年12月06日 00時23分17秒 | 大震災の中で
週末、温泉に行ってきた。
県内の近場で済ます手軽な一泊温泉旅行である。
老母の気分転換もあり、自分自身の逃避モードもあり、蕎麦懐石というタイトルに惹かれたのもあり。
宿の名前は
「悠ゆ亭」
猪苗代で1日5組だけお客を取って蕎麦懐石を提供する宿だ。

ここで食べた蕎麦掻き田楽が絶品。
温泉は5組のお客に貸切風呂1つのみ、というちょっと不自由な印象なのだが、とにかく蕎麦が旨い。
旨い蕎麦のためならたいていのことは許せる。少なくても蕎麦っ食いならね(^^)。
最後に出た十割蕎麦も逸品。

蕎麦掻きも十割蕎麦も、組織がダマになるのを極力防ぐと同時に、肌理細かい練りによって食感が極めて上質のものになっている。
蕎麦掻きの田楽は外側は薄皮がパリパリとしてこんがりとした風味をもたらし、中はあくまでふんわりと柔らかく、蕎麦切りは蕎麦切りで、ぼそぼそごそごそは全くなく、つなぎなしにも関わらず組織がきちんと繊細につながり、緩み無くツルツルの食感に仕上がっていた。

山都の蕎麦は食べたことがないので、会津若松市内の桐屋の蕎麦が私にとっては会津地区での標準になるのだけれど、目の前で一から蕎麦打ちを見せてくれて、茹でたてをさっと出してくれるパフォーマンスまで含めると、これは一度食してみて悪くはあるまい、と思われた。


まあ、麺類は好みが十人十色なので、押しつけがましいお薦めは禁物。

でも、十割蕎麦でこんなに美味しいのは食べたことがないなあ。

帰りは例によって郡山でジュンク堂立ち寄り。
これもいつものようにカードでカゴ一杯(詰め放題じゃないのに!)本を購入して帰宅。
ここの本棚を見ていると、「こっからここまで全部……ってか店ごと」購入したくなって困る。

「アマゾンクリック」では味わえない実物の贅沢が間違いなく本屋さんにはあるね。
本からオーラが出てるもの。

蕎麦も本も、目の前にあってこそ。お取り寄せだけじゃあ旬は見えない。
当たり前のことなんだけれど。

ついに福島旧市内の米が出荷停止に。

2011年12月05日 22時39分48秒 | 大震災の中で
日経新聞2011.12.5政府、旧福島市内のコメ出荷停止

伊達市→大波地区→渡利地区
とくれば、「福島旧市内の米が出荷停止になった、と聞いても意外ではない。

悔しさというか切なさというか、正直涙がにじんでくる。

福島の旧市内地区は、私が生まれ育った街だ。そこの土地で作られた米が食べられない、とはどういうことか。

政府の基準値など満たしていても今年の福島県産米は食べないよ

っていう人もいるだろう。
だいたい安全基準自体さして根拠があるとも思わないし、検査もまた、安全宣言の後で次々に基準値超の結果が出てくるなど、マネージメントとしては最悪の状況だ。

そういう意味では、昨日と今日で事態が本質的に変わったわけでもない。

しかし、人為的かつ恣意的な基準と制度の中ではあっても、昨日まで食べられたはずのお米が食べられなくなった土地に留まって生きることの悔しさを思う。
そこに住む沢山の知人・友人・親戚の人々、そしてお店やさんや街の風景などを考えただけで、100キロ離れたいわき市に住む自分の背中から何かがすうっと抜けていってしまうように感じる。

食べられないお米を産する土地に住むことの不幸は、計り知れない。
繰り返すが、昨日までは食べられたお米が食べられなくなってしまった土地(厳密には出荷停止と食べられる食べられないはイコールじゃないのだろうが)の上になおも生活していくことの意味は重い。

明日から、福島市では

「これは余所の米だから安全だ」

っていう話でもちきりになるのだろう。
あるいは、

「福島旧市内の米は出荷停止になったけれど、うちのは基準値以下だから構わずに食べるよ」
、という話だって盛んになされるはずだ。

へこたれそうになっているのは、福島県民の中で、オレだけだろうか……うみぅ……。

生まれ故郷の米が食べられない、というのは離れている者にとっては逆にショックなのかもしれない。
しかし、やっぱ折れるわぁ。


サーバーが長時間ダウンしていた。

2011年12月01日 19時12分14秒 | インポート
ここのブログのサーバー(plalaのブログサービス「Broach」)が長時間ダウンしていた。
12時間以上、である。

すげえびっくりした。

こういうことってあるんですねえ。
今ここのデータが無くなったらかなり困る。
念のために、バックアップを取っておくことも考えるべきだろうか。
書き出しツールとかあるのかどうか。
調べてみようっと。