あまりにも周囲の人が驚いていないことに、今日は驚いた。
その土地で作った米を食べられない、そういう場所に住むことのしんどさったらないと思うんだけどなあ。
どうなんだろう。
私は、身体から何かが抜け落ちてしまいそうな脱力感を覚えます。
旧福島市内のコメ出荷停止は、とてもとても大きなショックでした。
このままでいいのだろうか、と考えているうちに心が音をたてて軋んでいくような気がします。
自分の住む土地の作物が食べられないということ。
しかも、主食ですから。毎日食べるべきものがクチにできない悔しさ、不安、憤りに、身体が震えてきそうです(必ずしも比喩ではなく,寒気がします)。
東日本のものはクチにしない、という人もいます。
福島県内に留まっていること自体が大問題だ、という人もいます。
そんなことをいったってそう簡単じゃないぜ、と私自身はずっと感じてきたけれど、今回は正直しんどい。
後出しで、安全を何度も何度も語った挙げ句にもう、身動きが取れなくなったところでハシゴを外すようなことをし始めている。福島県が他県に避難住宅の費用立替え終了を要請する、なんて話もご同様か。
重大でかつ数値の出そうな内部被曝・食品関係の計測は遅々として進まない現状も同断だろう。
福島県沿岸部の魚への影響も、とうてい積極的な情報の開示にはほど遠い。
このまま福島県に踏みとどまりながら、闇の中を立ちすくむようなことに、十分な意義を見いだせるのだろうか。
セシウムの被害それ自体よりも、食べられないことがダメージだった、といったら、愚かだと笑われるだろうか。
たかが人為的にしかも暫定的に決められた出荷基準に抵触したというだけのことだ。
だが、それほどの「とりあえず」のなんちゃって基準でも、食べられないと判定されたっていうことの負の意味は、思いの外に重かったようだ。
福島市民にとっては余計なお世話、かもしれない。外野が何をいってもなかなか境界線の内部には声は届かないものだ。
でも。
「境界線の近傍」に身を置くようなふらふらした生き方をしてきたからか、むしろ余計に今回のことがボディブローのように「効いて」きそうなのです。
その土地で作った米を食べられない、そういう場所に住むことのしんどさったらないと思うんだけどなあ。
どうなんだろう。
私は、身体から何かが抜け落ちてしまいそうな脱力感を覚えます。
旧福島市内のコメ出荷停止は、とてもとても大きなショックでした。
このままでいいのだろうか、と考えているうちに心が音をたてて軋んでいくような気がします。
自分の住む土地の作物が食べられないということ。
しかも、主食ですから。毎日食べるべきものがクチにできない悔しさ、不安、憤りに、身体が震えてきそうです(必ずしも比喩ではなく,寒気がします)。
東日本のものはクチにしない、という人もいます。
福島県内に留まっていること自体が大問題だ、という人もいます。
そんなことをいったってそう簡単じゃないぜ、と私自身はずっと感じてきたけれど、今回は正直しんどい。
後出しで、安全を何度も何度も語った挙げ句にもう、身動きが取れなくなったところでハシゴを外すようなことをし始めている。福島県が他県に避難住宅の費用立替え終了を要請する、なんて話もご同様か。
重大でかつ数値の出そうな内部被曝・食品関係の計測は遅々として進まない現状も同断だろう。
福島県沿岸部の魚への影響も、とうてい積極的な情報の開示にはほど遠い。
このまま福島県に踏みとどまりながら、闇の中を立ちすくむようなことに、十分な意義を見いだせるのだろうか。
セシウムの被害それ自体よりも、食べられないことがダメージだった、といったら、愚かだと笑われるだろうか。
たかが人為的にしかも暫定的に決められた出荷基準に抵触したというだけのことだ。
だが、それほどの「とりあえず」のなんちゃって基準でも、食べられないと判定されたっていうことの負の意味は、思いの外に重かったようだ。
福島市民にとっては余計なお世話、かもしれない。外野が何をいってもなかなか境界線の内部には声は届かないものだ。
でも。
「境界線の近傍」に身を置くようなふらふらした生き方をしてきたからか、むしろ余計に今回のことがボディブローのように「効いて」きそうなのです。