定価6万円ほどの
G-SHOCK GULFMASTER
を買って、短針がプラプラ動くとかいって修理に出したら「この程度は歯車の仕様です」といわれてビックリしている場合ではない、というのは分かっている(笑)。
元々使い捨てに近い2万円以下の時計に対する
「覚悟?覚悟ならないこともない」(『こころ』のKのセリフ)
のだ。
ただ、5万~6万ぐらいの時計を買ったら、カシオは、私にとっての時計概念(長針と短針がきちんと目に見える程度には厳密に連動していて、長針が1回転するごとに、短針が1/12回転する)=常識の範囲に入っていなかった、ということに驚いただけである。
ちなみに、かつてシチズンのアテッサ(定価5万円)を買ったところ、自動で針のズレを直す装置がついておらず、修理に出して直しても、いつのまにか秒針があらぬ方向を指しているという現象に出会ったこともある。
電波時計でなければ秒針の場所などご愛敬なのだが、長針と短針が厳密に動いている分、秒針のズレをいちいち修理しなければならないそのシチズンの5万円の時計は、あり得ないものだった。
だから、カシオだけがおかしいわけではない。
カシオの6万円の時計は短針がいい加減だけれど、シチズンの5万円の時計は秒針がいい加減だったということだ(しつこいね<笑>)。
結局、その程度のことだ、というのが私にとっての教訓。
10万円ぐらいの価格帯だと、とりあえずこのような問題はいまのところ起こっていない。
20万円以上になると、10年無料保証(ザ・シチズン)といったサービスも出てくる。
値段相応に何をどう楽しむか、ということなのだろう。
ここでようやく、機械式の腕時計の魅力を改めて感じる。
電気的・電子的な動作を全く含まず、ゼンマイや、自動巻の分銅の動きという完全に物理的な力によって、機械の動きのみで時を刻み続ける機械式の腕時計は、電波・光・クオーツの「全く時間がずれない」(針はずれるけど<笑>)時計と違って、毎日時間を合わせなければならない。
だが、毎日合わせるというこちらの身体との呼応によって、何十年でも「物理的に」時を刻んでくれる機械式の時計は、「電波・光・クオーツ」の安価で正確な気持ちの良さとは全く質の異なる「快適さ」を運んでくれる。
当然だが、「電波・光・クオーツ」の腕時計のおもしろさは、機械式腕時計のおもしろさとは違う。
値段をつけると一般に機械式の方が高くなるのは、「高級品」としてのブランドで生き延びたという側面もあるのだろうけれど、ブランドが自分の人生よりも長く時計を看取ってくれるなら、そこに対価を払って日々機械式の時計に「水をやっていく」っていうことにはそれだけの価値がありそうだ。
こちらがお金持ちかどうか、その時計が貴金属として高級品かどうか、じゃなくてね。
というわけで、とりあえずは10万円のアテッサに戻ってきました。
機械式の、自分より長生きしそうなブランドのメンテナンスがうけられる腕時計を、これから探そうかな。
もちろんむやみに高くなくていいから(貴金属的ステイタスには興味がない)。
G-SHOCK GULFMASTER
を買って、短針がプラプラ動くとかいって修理に出したら「この程度は歯車の仕様です」といわれてビックリしている場合ではない、というのは分かっている(笑)。
元々使い捨てに近い2万円以下の時計に対する
「覚悟?覚悟ならないこともない」(『こころ』のKのセリフ)
のだ。
ただ、5万~6万ぐらいの時計を買ったら、カシオは、私にとっての時計概念(長針と短針がきちんと目に見える程度には厳密に連動していて、長針が1回転するごとに、短針が1/12回転する)=常識の範囲に入っていなかった、ということに驚いただけである。
ちなみに、かつてシチズンのアテッサ(定価5万円)を買ったところ、自動で針のズレを直す装置がついておらず、修理に出して直しても、いつのまにか秒針があらぬ方向を指しているという現象に出会ったこともある。
電波時計でなければ秒針の場所などご愛敬なのだが、長針と短針が厳密に動いている分、秒針のズレをいちいち修理しなければならないそのシチズンの5万円の時計は、あり得ないものだった。
だから、カシオだけがおかしいわけではない。
カシオの6万円の時計は短針がいい加減だけれど、シチズンの5万円の時計は秒針がいい加減だったということだ(しつこいね<笑>)。
結局、その程度のことだ、というのが私にとっての教訓。
10万円ぐらいの価格帯だと、とりあえずこのような問題はいまのところ起こっていない。
20万円以上になると、10年無料保証(ザ・シチズン)といったサービスも出てくる。
値段相応に何をどう楽しむか、ということなのだろう。
ここでようやく、機械式の腕時計の魅力を改めて感じる。
電気的・電子的な動作を全く含まず、ゼンマイや、自動巻の分銅の動きという完全に物理的な力によって、機械の動きのみで時を刻み続ける機械式の腕時計は、電波・光・クオーツの「全く時間がずれない」(針はずれるけど<笑>)時計と違って、毎日時間を合わせなければならない。
だが、毎日合わせるというこちらの身体との呼応によって、何十年でも「物理的に」時を刻んでくれる機械式の時計は、「電波・光・クオーツ」の安価で正確な気持ちの良さとは全く質の異なる「快適さ」を運んでくれる。
当然だが、「電波・光・クオーツ」の腕時計のおもしろさは、機械式腕時計のおもしろさとは違う。
値段をつけると一般に機械式の方が高くなるのは、「高級品」としてのブランドで生き延びたという側面もあるのだろうけれど、ブランドが自分の人生よりも長く時計を看取ってくれるなら、そこに対価を払って日々機械式の時計に「水をやっていく」っていうことにはそれだけの価値がありそうだ。
こちらがお金持ちかどうか、その時計が貴金属として高級品かどうか、じゃなくてね。
というわけで、とりあえずは10万円のアテッサに戻ってきました。
機械式の、自分より長生きしそうなブランドのメンテナンスがうけられる腕時計を、これから探そうかな。
もちろんむやみに高くなくていいから(貴金属的ステイタスには興味がない)。