龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
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住民の安全より避難拡大を防いだ?!「分かっていたよ」と思う自分に腹が立つ。

2013年05月25日 17時06分01秒 | 大震災の中で
日頃のさぼり癖がたたり、連休明けから結構忙しくすごしてしまった。
その間、原稿の〆切を二つ延ばし、テスト作成と採点の業務をくぐり、「エチカ福島」の打ち合わせ(酒飲みのことですが)もこなし、温泉旅行まで入れてようやく今日に至る。

連休中の楽しかったことが遠い昔の思い出みたいです……。

少しずついろいろ溜まったことを書いていきたい。

何と言っても腹が立ったのはこの記事だ。

「福島の帰還基準、避難者増を恐れて強化せず 民主政権時」
朝日新聞デジタル 5月25日 7時9分配信
 【関根慎一】福島第一原発の事故で避難した住民が自宅に戻ることができる放射線量「年20ミリシーベルト以下」の帰還基準について、政府が住民の安全をより重視して「年5ミリシーベルト以下」に強化する案を検討したものの、避難者が増えることを懸念して見送っていたことが、朝日新聞が入手した閣僚会合の議事概要や出席者の証言で明らかになった。

詳細は下を参照されたし。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130525-00000011-asahi-soci

「そうだろうよ、知ってたよ」
と思う。
「全然意外じゃないよ」
とも思う。
そして、何よりもまず、あのみんなが大変な思いをしている時に、政治家とは、こういうことを考えるものなのだ、とも改めて実感する。
だから、原発事故を踏まえた政治なんぞ、あやつらにできないのだ、とも分かる。

そして、何でも「分かっている」のに、「分かっている」だけで何もできない自分に腹が立つ。

避難民がたくさんでない程度に基準を定める、というのは、単なるミスではない。
あの時私たちが感じた怖れや絶望を、数に還元し、お金に還元して見捨てたことだ。
これは全く橋下徹が今回発言した戦時中の兵士の性処理を、「どの国でもあったことだ」というレベルで発言してしまう発想と同様だろう。
レトリックとして、あれはどこの国にもあった歴史的な事実の問題だ、というスタンスを橋下徹はなおも崩していない。
それは現政権の誰かがいった「フルスペックの人権」というレトリックと同様の「薄さ」を孕む。

私は、生きている限りこの、記事に書かれた決定に関わる者共を許さない。
今まで議論しなかったことも許さない。

原発事故が発想として「有事」扱いだった、ということだろう。

この国では、出来事の規模が大きくなると、
「なかったことにしよう」
というセーフティがかかる。

為政者とは、その程度の者共なのだ。
だったら、私たちは彼らをもっと徹底的に縛らねばならない。
油断ならないね。

これは安易に決めて良い基準の話ではない。

何度も繰り返しになるけれど、普段なら、3ヶ月で1mシーベルトの線量が限界だって法律があるわけだからね。
これでは、国は費用と混乱を理由に基準を「お手盛り」したと捉えられても仕方が無いだろう。










「エチカ福島」第2回セミナーのお知らせ

2013年05月25日 14時57分10秒 | 大震災の中で
「エチカ福島」第2回セミナーのお知らせ
下記の日程?内容で、セミナーを開催します。
前回は國分功一郎先生をお招きして、大震災以後の福島をどう考え、どう生きるか、について考えました。
今回はエチカのアドバイザーでもある丹治嘉彦先生においでいただき、アートで地域の人がつながるってどういうことだろう、について話をしてみましょう、ということです。

第一回目が縦軸を立てるために自分の足元に穴を掘ったのだとすれば、第二回目は横軸のひろがりについて、人がつながるためには、をアートでかんがえてみるってこと、でもあるかな。

「エチカ福島」の「エチカ」は、その場所に共に生きるものたちが互いに持ち得るともがら(輩)のことわり(道理)という意味も込めています。
緩く、微かな響き合いこそが、大切。そんなつもりでエチカの活動は続けていきたいと思います。

日時:6月22日(土)13:00~16:00
場所:福島県立美術館講堂
内容:「アートでつながるって何だろう」
問題提起者:丹治嘉彦(新潟大学教授)、深瀬幸一(橘高校教諭)
資料代:500円(美術館常設展チケット付き)

もしよろしかったら一度覗いて見てください。