ほったらかしておいたスピノザ入門講座のメモ(P130ぐらい)に、ブックマークのある目次をつけてPDF化してみた。
それだけで、閲覧性が抜群に上がり、自分でもう一度頭の中が整理しやすくなってきた。
思考って、そういうことが大事なんだ、とこの年になってようやく分かってきた。
もし、それがもう少し早く分かってかつ実践ができていたら、人生違った展開になっていただろうにねえ。
でも、ここから自分なりのスピノザ早わかり覚え書きは作れそうな気もしてくる。
「内在性の哲学」とはいっても、単にス「ここにある」世界が全てだ、ということを法則として絶対視するスタティックな理解ではなく、國分先生のスピノザはむしろ、ドゥルーズの理解を踏まえた「実践の哲学」という読みである。
「直観」の方にウェイトをかけた読みですね。
神の存在証明も、そこに至るまでの短いかもしれないけれどいきなりトップギアで神まで突っ走る、そのパフォーマンスがどうしても必要なのであって、「私は神から始める」といっていながら、最初から神に行くわけじゃない。
カタパルトは一応用意されている。
第五部の「直観」モードに入ったときの「速度」に國分先生もドゥルーズも注目していて、だからこそ、「幾何学的様式」によるスタティックな神=自然=世界という印象とは全く異なるスピノザ哲学の相貌を、そこに見ることになるわけだ。
なあんてことも、ちょっと忘れていたけれど、整理すると思い出す。
本当におもしろい「スピノザ入門」の一年間でした。
一つの山を登ると、別の高い峰が見えてきて、今上っている山だけが高いわけじゃないってことも分かってくる。
哲学って、とくにそういうことがありそうです。
おもしろい。
でも、いつのまに文学から哲学にスライドしたんだろう?
あたかも通帳のように、文学もまた、どこかのズボンのポケットに入ったままのような気も(大震災以後)しないでもない。
でも今は、哲学と向き合う時期なのだというおもいがつよい。
不思議なものです。
それだけで、閲覧性が抜群に上がり、自分でもう一度頭の中が整理しやすくなってきた。
思考って、そういうことが大事なんだ、とこの年になってようやく分かってきた。
もし、それがもう少し早く分かってかつ実践ができていたら、人生違った展開になっていただろうにねえ。
でも、ここから自分なりのスピノザ早わかり覚え書きは作れそうな気もしてくる。
「内在性の哲学」とはいっても、単にス「ここにある」世界が全てだ、ということを法則として絶対視するスタティックな理解ではなく、國分先生のスピノザはむしろ、ドゥルーズの理解を踏まえた「実践の哲学」という読みである。
「直観」の方にウェイトをかけた読みですね。
神の存在証明も、そこに至るまでの短いかもしれないけれどいきなりトップギアで神まで突っ走る、そのパフォーマンスがどうしても必要なのであって、「私は神から始める」といっていながら、最初から神に行くわけじゃない。
カタパルトは一応用意されている。
第五部の「直観」モードに入ったときの「速度」に國分先生もドゥルーズも注目していて、だからこそ、「幾何学的様式」によるスタティックな神=自然=世界という印象とは全く異なるスピノザ哲学の相貌を、そこに見ることになるわけだ。
なあんてことも、ちょっと忘れていたけれど、整理すると思い出す。
本当におもしろい「スピノザ入門」の一年間でした。
一つの山を登ると、別の高い峰が見えてきて、今上っている山だけが高いわけじゃないってことも分かってくる。
哲学って、とくにそういうことがありそうです。
おもしろい。
でも、いつのまに文学から哲学にスライドしたんだろう?
あたかも通帳のように、文学もまた、どこかのズボンのポケットに入ったままのような気も(大震災以後)しないでもない。
でも今は、哲学と向き合う時期なのだというおもいがつよい。
不思議なものです。