龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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「日経サイエンス」2013年6月号は天才特集

2013年05月03日 11時24分56秒 | 身体
日経サイエンス2013年6月号の特集は

「天才脳の秘密 ー 天才と変人 解き放たれた知性/サヴァンに学ぶ独走のヒント」

科学雑誌といいながら、この「人間中心主義的」テーマの堂々した感じはちょっと笑えるんですがね。
まあ、人間精神は科学ならずともヒトにとって永遠の課題だから、そこに科学が参入したっておかしいことはない。
むしろやれることは徹底的にやってもらいたいよね。

というわけで、「天才脳」。
(ただし論文内で、典型症例として比較されているのは統合失調症とか抑うつ、アルコール依存症が中心です。それを多動にまで結びつけたいのは、ブログ子・foxydogの妄想です<笑>。でも、関係あると思うよ。全ての「変人」は、なりそこねた天才だ、みたいは話なんですけどね。

こういう特集を大まじめでやるところが「日経サイエンス」。むろんアメリカ本家の「SCIENTIFIC AMERICAN」自体の編集方針なのかもしれないけれど。

(ちょっと寄り道)、コラムの中に
「ウジ虫を傷口に当てて治療する療法が、抗生物質耐性菌対応のため見直されている」
的な記事があったりして、この日経サイエンス、本当におもしろいのです。

「科学の前提があれば全てが赦される」

って感じのオーラ全開で、かなり「悪くない」ですよ。
あとは雑誌1400円を高いと見るか安いと見るか。
大まじめに不思議なことどもを研究している研究の「生態学」の報告としてみても、その価値有り、と私は思うのですが、いかがでしょう。


閑話休題、「天才脳」の話です。
詳細はむろん自前で読んでいただくとして特集の中身をざっくりまとめると、

特集論文の最初は「天才と変人」について

1、創造性に富む人物はしばしば奇妙なふるまいをする。その逆もまたしかり。
2,創造性と奇抜さのどちらの原因も、遺伝子の変異によって「認知的脱抑制」と呼ばれる状態が強まることと関係(しているらしい)。


3,非常に知性的な人々は、フィルターに遮られずに入ってきた大量の情報にも圧倒されることがないため、情報が意識にあがってきた際に、並外れたアイディアや知覚が生まれるのだと考えられる。

(「認知的脱抑制」とは、通常は脳が無関係な情報をフィルターにかけて遮断しているが、それができない状態のこと。)

つまり、無意識から意識への「環流」がダダ漏れになっているという点では、統合出張型パーソナリティと創造性に富む人とは共通するって話です。

「天才と○○は紙一重」

ということわざ(こちらは差別的ニュアンスが入っているかもしれません)を大まじめに研究してるんですね。

統合失調型のパーソナリティの顕在化それ自体は、創造性を高めることを示唆してはいないが、奇抜さの根底にある認知的メカニズムが、創造的な思考を高めるとも考えられる。

だって。まあ、当たり前か。

つまり、「認知的脱抑制」、よけいな情報を無視できない状態は、神秘主義的傾向で発現したり、バランスを失うと「電波が命令している」ということにも通じる。統合失調型のパーソナリティの人も、統合失調症患者の人も「潜在抑制機能の低下」が見られる。無意識から意識への刺激の量が増えちゃうってことでしょう。

その状態は、外への拡散よりも内部で生み出される刺激に焦点を合わせることに通じる。
創造的な人が自分の内的世界に集中する傾向と、同じ傾向が統合失調型パーソナリティにもあるって話に展開しています。

その上で、その「認知的脱抑制」を起動する遺伝子があるよって話になる。

「視床の皮質下領域に存在するドーパミン2受容体密度の低さ」
によって視床でのドーパミン結合の現象が、認知的フィルターの機能低下を生んでいる、んですと。

それがneuregulin1という遺伝子の変異によって起こり……
(neuregulin1という遺伝子は、ハンガリーのセンメルヴェイス大学の精神科医Szabolcs Keriが発見2009年)

さて、上のことはまあいいとして、結局結論は、無意識からデータがたくさん来たとして、それをどう捌くか、が問題になりますよね。
その結論は、結構当たり前(凡庸)でした。

「重要なのは知性」

だということです。そこかよ!ですねえ。

別の論文では、

天才は潜在的にはネガティヴな特性を精神病患者と共有しているが、この特性が「ポジディヴな特性」と結びつくことによって精神病ではなく創造性が生み出される。

結局天才とは社会的定義であり、特定分野の知識収得なしにはありえない。

・限られた専門知識で短期間の業績を上げるには遺伝的要因が助けになる。
・全ての創造的天才は、ある共通のプロセスをたどっている鹿瀬意がある。「徹底的な試行錯誤だ」

というところが論じられています。

一つ目の論文では「認知的脱抑制」がキーワードで、知性の高さによってそれを想像に結びつける、という話。

二つ目の論文では、
「天才は、ある問題の解決法を広範囲に(ほとんど持う目的に)探し回り、袋小路を探り尽くし、繰り返し後戻りをした末に、ようやく理想的な答えにたどり着く」
という秩序だったメカニズムの存在を予想している。

その場合に必要となるのは「速度」であり、何が「理想か」ということを導出する、経験が無意識に抑圧=蓄積した全体像を踏まえた「直観」であるだろう(foxydogが考えるに)。

天才と精神病の関連でいえば、

非常に創造的な作家は
・「ミネソタ多面人格検査」の精神病理学関連検査で高スコアの傾向。

創造的芸術家と影響力の大きい心理学者が
・「アイゼンク性格検査」において高スコア傾向。
これは「自己中心的」「冷淡」「攻撃的」「厳格」の性質あり

極めて著名な科学者たちは
「キャッテル16因子性格検査」で
「引きこもる」「厳粛」「内面に没頭」「几帳面」「批判的」に高スコア。

総じて、最高の業績を上げる者達はあまりノーマルな集団ではない。


それを前提としつつ

「セレンディピティ」(偶然に素晴らしい発見をする才能」にたどり着くためには、ということで、こんな指摘をしている。

それは「盲目性」である、ってのがとりあえずの結論でした。

「自分が何をしているかがわかっていたなら、それを研究とは呼ばないだろう」(アインシュタイン<科学者>)

の言葉のあと、ピカソの絵画『ゲルニカ』のデッサンの経緯に触れ

「才人は、他の誰も当てられない的を射る。天才は、他の誰にも見えない的を射る」(ショウペンハウエル<哲学者>)

という引用で論文は終わっています。

以下、感想です。おもしろい。

(foxydog的には「動物性」と言い変えてもいいように思う。人間中心主義的な有用性を無視する能力、といってもいい)

言い換えれば無駄骨と後戻り。

一般に無駄を嫌って「役に立つ」ことを選ぼうとする人は、現状適応的な思考をしてしまう傾向があり、むしろ根底からクリエイティブなことはしない場合が多いような気がする。
改良型のすっきりしたものは作れるけどね。

それに対して、ものごとをゼロベースから(正確にな印象を言うと一からというよりむしろ現状否定のマイナスから)物事を作り上げる場合、この「動物性」というか「盲目性」というのは、圧倒的に重要だ、という印象を持つ。

試行錯誤を怖れ厭う体質は、根本的な創造をなしえない。
まあ、身近にいつも「根本的な創造」を目指す人がいたら、それはそれは迷惑千万に違いないんだけどね(苦笑)。

結局のところ、無意識の抑制が弱かったり、盲目的に試行錯誤を繰り返したり、それ自体としては散漫だったり病的と呼ばれかねない行為が、にもかかわらず真に創造的行為、として天才呼ばわりされる理由は、それがシステムとして自立していて、しかも「人間」に向かってどこかで開かれている必要があるのでしょう。

ただ盲目的だったり、ただ認知的抑制が弱いだけだと、自分も困るだけだし、周りも困る、つまり「病気」
ってことになっちまう。

結局天才の問題って、この「制御」の問題にたどり着くよね。
制御できればいいってもんじゃない。
開かれてることが必要で、しかもシステムとして全体性が作動してることが必要で、しかも抑圧されてる無意識にも、有用・有意味な世界を営んでいる人間にも開かれてるいなければならない。
たぶん、その要素の多くは、当人の知ったことではない。

勝手に天才って呼ばれても困る所以だろう。


さて、でも、多動児の話をここに重ねると、ちょっとおもしろそうだと思いませんか?