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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「アルジェリア」編 コンスタンティーヌ17 殉教者の塔2

2019年07月11日 08時14分37秒 | アルジェリア

 

 これは何かの理由で抹殺されなかった戦死者の名前だとは伊藤さんの説明でしたが、私は第1次世界大戦の戦死者の名前は完全に抹消されていて、これは独立戦争の時殉死した人の名前ではないかと思っています。それの方が理にかなっていると思います。真実は?

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「アルジェリア」編 コンスタンティーヌ16 殉教者の塔1

2019年07月11日 08時06分36秒 | アルジェリア

 

 私が知る限りでは日本語の文献では「殉教者の塔」の紹介はないので多分この命名は伊藤さんだと思います。Lonely planetでは”Monument to the dead”とあります。私はアルジェリアの歴史の複雑さと悲しみ、苦悩を象徴しているのがこの塔でないかと思っています。以下その理由を簡単に述べます。

 本来この塔はフランス植民地時代の第一次世界大戦にフランス軍に参加しフランスのために戦い戦死した人たちを慰霊するために建設されたものです。当時アルジェリアにも兵役義務が課せられていいました。17万3000人(内8万7500人が志願兵)が戦場に出2万500人が三色旗の下で戦死しました。

 独立後この塔はこの戦死者の名前は抹消されアルジェリア独立のために戦った人たちの塔となりました。

 ついでにその後の歴史を少し。第2次世界大戦でもフランス軍に参加して多くの戦死者を出しました。

 そしてアルジェリア独立戦争(1954~1962)のときです。フランス側に参加して独立を阻止した人たちがいたということです。彼らはアルキ(Harki)と呼ばれ26万3000人いたとされています。アルジェリア独立後フランスに渡れたものは13万8458名で残りはアルジェリア民俗解放戦線(FLN)によって多くは処刑されました。フランスに渡れた人たちもフランス人にとって自分たちに味方をした人たちではあるが「民族の魂を売った者」としてフランスで現在でも差別されて社会問題化しています。

 

 

 

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