断崖絶壁を降りても船着場まで簡単には行けません。そこで考えられたのがトンネルです。私の技術の未熟さで写真でははっきりわかりませんが、中央にかすかに見えるのがトンネル跡です。山田さんの記憶では約60年以前の工事だそうです。当時の人たちにとっては大工事であったに違いがありませんが、不思議なことに三島村誌にはその記載がありません。この工事がいろんな意味で失敗だったので記載されなかったではないかと私は妄想しました。
PCを取り替えて再開します。
「三島村内の港湾工事が本格的に開始した30年代から今日まで30数年後の現況と比較すれば雲泥の差があり、むかしの船着場は、近代的港湾に更新され、むかしの残承はほとんど存在しない」とは三島村誌(平成2年発行p932)です。
そこでその残承を紹介します。写真は片泊の「ふれあいセンター」に展示されていたものです。何だと思いますか。遊びではありません。三島村誌(p907)に「黒島の沿岸は、おほむね断岩を以て牆壁(「しょうへき」と読むようです。ようやくパソコンで見出しました)を廻らし***舟を寄するも村落に通ずることは出来ない」と書かれています。したがってこの構図は船に乗るため断崖を降りて行く姿です。
荒天の時は上陸不能になります。「『アヨー、なごたにから、ちかたをみれば、ちかたそけある、いきゃならぬ、アヨーアヨー』は島の民謡の一節(私にはよく意味がわかりませんが、なんとなくわからないでもない)***とりのこされた島の人のなげきをよく表現している」と三島村誌(p1237~38)に書かれています。