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100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 カトリック9 聖週間3(サマランカ3)

2009年05月16日 08時28分40秒 | スペイン・ポルトガル

 すべて覆面の人たちです。三角帽子はアメリカの黒人迫害団体のクー・クラックス・クラウンに酷似しています。英語版ウィキペディアのHoly Weekの項によればやはりクー・クラックス・クラウンの服装はこれに起源を持つそうです。但し今はこのクー・クラックス・クラウンはカトリックも迫害の対象にしているという皮肉があります。

 音楽、鳴り物も無く(どうもサマランカだけのようですが)私には不気味さを感じました。それは同じキリスト教徒にとっても同じのようです。帰国の飛行機で隣り合わせになったベルギー在住のヴィオラ・ダ・ガンバという珍しい楽器の演奏家の日本人上村かおりさんもカセレスでこの行列に出会い不気味さを感じ同行のヨーロッパ人も同じ感想を持っていたという話をしてくれました。

  Rimowaさんコメントありがとうございました。今日の写真はいかがでしょうか。  


「スペイン・ポルトガル」編 カトリック7 聖週間1(サマランカ1)

2009年05月14日 08時30分46秒 | スペイン・ポルトガル

 聖週間は英語ではHoly Weekといいスペイン語ではSemana Santaセマナ・サンタといいます。キリストが復活した日(復活祭)の前1週間を祝う宗教的行事です。カトリックと東方教会で主に行われ特にスペインでのものは有名です。今年は4月12日が復活祭に当たるため今回の旅行では各地でこの行事に出会いました。

 最初の出会いはサマランカでした。夜の10時ごろから各地域の教会から磔刑のキリストやマリア像などの神輿が出ます。写真は牧師を先頭に教会を出て行く一団です。


「スペイン・ポルトガル」編 カトリック6 ファティマ6

2009年05月12日 09時20分26秒 | スペイン・ポルトガル

2006年5月13日の大祭の時の写真です。

 余談ごとですが、ファティマの名前は、アラビア語の女性名ファーティマ(ムハンマドの娘の名前でもある )に由来します。ムーア人(イスラーム教徒)の姫ファティマがレコンキスタの最中にキリスト教国側に捕らえられ、洗礼を受けキリスト教徒となり、1158年にオウレン伯と結婚したという伝説がこの地に伝わっています。(以上ウィキペディアによる)

 ということでイスラーム教とキリスト教の接点みたいなところにマリアさんが出現したことがなんとなく面白いと感じるのは私だけでしょうか。


「スペイン・ポルトガル」編 カトリック1 ファティマ1

2009年05月10日 08時44分31秒 | スペイン・ポルトガル

 ポルトガルもスペインと並んでカトリック信仰の強いところで人口調査によれば94%がカトリック信者ということです。カトリック信仰の特徴はマリア信仰です。私のような門外漢にはキリスト教は一神教ではなくイエスとマリアの二神教ではないかと思うくらいです。

 さてそのマリア信仰の根強さを示す例がポルトガルのファティマです。 lonely planet(p289) はファティマの説明を次のような皮肉交じりの文章で始めています。 「神聖にして侵すべからずか、俗悪な商業主義か。それは奇跡をどの程度信ずるかでファティマについてのあなたの意見・感想は異なるであろう。しかしあなたの信仰がいかようであっても、毎年600万人巡礼者がここを訪れるという信仰心には感銘を受けざるを得ないであろう」 

 そこで簡単にファティマの奇跡について紹介します。1917年5月13日ファティマで3人の羊飼いの子供たちの前に聖母マリアが現れ、第一世界大戦終結のメッセージを伝えました。それ以後同年10月13日まで6度の出現が繰り返され、その奇跡を信ずる人の病が治癒されたという話が伝わり、多くの巡礼者がファティマを訪れ1956年にはファティマはローマ教皇庁から正式に聖地といて認められました。というわけで前記のようなlonely planet の説明になるわけです。 

 写真は3人の内2人のお墓がある正面のバジリカ(本殿?)へ向けて膝行する信者です。


「スペイン・ポルトガル」編 現地ガイド2 トルヒーリヨ1

2009年05月08日 08時38分20秒 | スペイン・ポルトガル

 トルヒーリヨの街を歩いている時ふと店を覗いて見るとゲバラ(注)の絵が描かれているTシャツを見ました。それを写真に撮って現地ガイドに見てもらい、「知っていますか」と尋ねてみました。彼女の返事は「良く知っていて尊敬している。特に夫は」でした。したがって「ファン・カルロス」への尊敬はありませんでした。「無原罪懐胎」に対してもきっぱりと否定しました。カトリック教徒ではないとのことでした。Lonely planet(p59) によれば人口の6%が無神論者です。

 この「無原罪懐胎」についての質問に対して同行の二人の方から嘲笑的批判をいただきました。一つはそんな質問に真面目に答える人はいないというものでした。しかし現地ガイドの答えはかなり真摯だったように感じました。大体4分の3ぐらいの人が肯定的でした。「勿論信じます」から”so so”(チョボチョボ)までの答えがありましたが。もう一つの批判は日本人的無神論的立場からの批判と思われる、「そんなバカなことを信ずる人が今の時代にいるわけが無いから全く無意味な質問」だというもののようでした。アメリカ合州国の多くの人が聖書の「天地創造説」を信じており、かれらがブッシュ前大統領の政治的基盤だったということを考えてみるだけでこの批判は当たらないと思います。 

 なお、「毎日曜日に教会に行きますか」の質問にはただ一人「仕事がその日に無い限りは」という1人以外は全員が否定でした。 スペインでは1978年に憲法上で国家と教会との分離が定められました。しかし、カトリック教会は国家から財政上の援助を受けています。その点で他宗派から差別だとして批判があります。書類上は80%の人がカトリック教徒ですが定期的にミサに行く人は20%ということです。 写真はトルヒーリヨの現地ガイドです。

 (注)ゲバラについては2007年2月18日と2007年7月4日に少し触れていますので参照ください。


「スペイン・ポルトガル」編 現地ガイド1 コルドバのイザベルさん

2009年05月06日 14時10分47秒 | スペイン・ポルトガル

 1996年にスペインを訪れた時何かの弾みで現地ガイドに「あなたの国で現在、過去を通じて尊敬する人は誰ですか?」という質問をしました。このような質問は私自身に向けられても返事に困りますが、このときの現地ガイドはいとも簡単に「現国王ファン・カルロス」と答えてくれました。ビックリしました。13年前のことですから正確には覚えていませんが、その後7・8人に同じ質問をしたところ2人を除いてすべて同じ答え「現国王ファン・カルロス」でした。ますますビックリです。その理由を私なりに考えてみました。

 スペインでは1975年までフランコによる独裁ファッショ政治でした。彼の死後、彼の政治路線を引き継ぐ勢力と、社会党、共産党を中心とする民主勢力との対決が過去のスペイン内乱(1936~39)再来の危機になりました。そのとき今までフランコ側に担がれていたファン・カルロスは民主勢力の立場に立ち内戦の危機を救い現在のスペインの民主体制の礎を造ることになりました。これが「現国王ファン・カルロス」尊敬の理由だと思いました。

 そこで今回も同じ質問をすることにしました。今回も正確にはメモを取っていないので数字的には正確ではありませんが、20人くらいの現地ガイドに同じ質問をしました。今回は即座に「ファン・カルロス」と答えた人は比率的には少なく4・5人くらいでしたが、「たとえば、ファン・カルロスは」と水を向けると「勿論、多くのスペイン人は」という答えが返ってきました。両者で3分の2くらいになりました。

 今回は違った答えをしたコルドバの現地ガイドイのザベルさんを紹介します。彼女の答えは「共和国派の人々」でした。ちょっとビックリです。1936年に合法的に成立した「人民戦線政府」に対してフランコが武力反乱を起し内乱(1936~39)となりついにフランコが勝利し、ファッショ独裁政治が成立し1975年まで続きました。彼女の「共和国派」というのはこの「人民戦線政府派」のことです。ちょっとビックリというのはスペインではこの「スペイン内乱」について語ることは一種のタブーだったからです。というのは内乱時にスペインの人たちは親子、兄弟、親戚が「フランコ派」と「人民戦線派」に分かれ骨肉相食むことになったからです。その痛みが内乱終結後も長く残り現在に至っています。彼女の父親は共和国側の人で彼女が4歳の時フランコ派に殺されたそうです。「人民戦線派」の人たちの生き残りの多くは外国に亡命しました。北欧に5人の人たちが逃れそれを記念しての5本の指の彫像が残されているそうです。彼女が成長して北欧に旅行しそれを見たとき涙を流したという話をしてくれました。

 スペイン内乱のとき「人民戦線派」に対して多くの国際義勇軍が参加しましたが、そのなかに唯一の日本人ジャック・白井(ただし日系アメリカ人)がいましたが、彼女は彼の名前を知っているといっていました。

 ついでにカトリック教の重要な考えのマリアの「無原罪懐胎」(マリアの処女懐胎)を信ずるかどうかも尋ねてみました。彼女の返事はあいまいでカトリック教徒であるので信じざるを得ないという感じでした。(この問題については次回にします)

 写真は彼女と同行の方です。この同行の方は英語が堪能で「スペイン内乱」についても関心をお持ちで、この現地ガイドの英語を通訳していただきました。感謝します。 


「スペイン・ポルトガル」予告編

2009年03月29日 07時53分00秒 | スペイン・ポルトガル

 4月1日~5月1日にかけてスペインとポルトガルを旅します。この時期ブータンを予定していたのですがいろいろ不具合が生じて変更しました。ちょっと長旅で心配なのですが。1996年10月にスペイン・ポルトガルを13日間旅行したことがあるのですが今回は30日です。画像は旅程図です。旅のデザインルーム社のホームページからの転載です。したがって5月5日ごろまでこのブログを休みます。

 ところでスペインは外国旅行の収支ランキング黒字国のダントツの1位ということをご存知ですか。すなわち外国から旅行に来た人たちの落とした金額と自国の人が外国旅行で支払った金額の収支のバランスの黒字(32806百万米ドル)が世界一というわけです。2位はスペインの半額以下でイタリア(13004万米ドル)、ついで意外にアメリカ合州国、フランス、ギリシアと続きます。反対に持ち出しの多い赤字国の1位はドイツ(-43977百万米ドル)何処に行っても必ずドイツ人に出会います。以下イギリス、日本と続き4位のロシアは意外。そして韓国と続きます。(2007年観光白書) 

 なお「中国シルクロード」はあと少し残っていますが後日にします。 

 Fengdanさんいつもコメントありがとうございます。香妃の話は中国では有名な話なんですね。私はこのカシュガルの人たちだけの話かと思っていました。