タバコは砂糖に次ぐスペイン本国の富の収奪の対象でした。ハバナから120kmのビニャーレス渓谷にはかっての奴隷によるタバコ農園が広がっています。今は奴隷制の名残は無く、葉巻きタバコ農園と見事な景観を見ることができます。1999年に世界文化遺産に指定されました。
スペインの侵略者たちは金銀が枯渇したので、次に富の源泉としてアフリカからの奴隷労働によるサトウキビとタバコ栽培を始めます。
その象徴的建物がトリニーダ(2月17日地図)近郊ロス・インヘニオス渓谷に残されているマナカ・イスナガの奴隷監視塔です。1750年に建てられ高さ44.5mあります。奴隷による砂糖キビ栽培の大農場主イスナガが奴隷見張り塔として作ったものです。
前回紹介したサンティアゴ・デ・クーバに代わってハバナが1553年キューバ総督領の首府となりました。1519年以降、港を中心に都市を築かれていったハバナはスペインの新大陸における植民地経営の中心地として、及びに貿易の主要な中継地として発展しました。そのためにハバナはフランス、イギリス、オランダの海賊の攻撃を受けるようになった。1537年にはフランス海賊によって最初の襲撃が加えられ、焼き討ちにあい、1553年と1555年にも略奪を受けるなどの被害を受けました。このため、ハバナにはフエルサ要塞、プンタ要塞、モロ要塞などの多数の要塞が築かれました。
今回はその一つモロ要塞(1589~1630建設)を訪れました。設計者はサンティアゴ・デ・クーパと同じ人物です。その後約1世紀間フランス、オランダ、イギリスの海賊たちの攻撃を防ぎましたが、1761年にイギリスとスペインとの間に植民地争奪戦争が始まり、その時このモロ要塞もイギリス軍の攻撃にあい55日間の攻防の末落城しました。「地球の歩き方」(p71)は1年にわたっての立てこもりと記していますが、これは間違いです。1年間はイギリスとスペインとの戦争の期間です。この時のモロ要塞の守備隊長ペラスコはキューバの中学校歴史書ではイギリス軍もその勇敢さを認めた英雄と記述しています。(キューバ中学校歴史教科書p75)
スペインが中南米から金銀を中心とした富を強奪して持ち帰ろうとするのを狙ってヨーロッパ諸国からの海賊たちがカリブ海を中心にしてその富を横取りしようとして跋扈するようになります。海賊船には2種類あります。一つは私掠船(privateer)で、政府、王室などの無言の許可ないしは正式の免許状を持ち、敵国ないしはそれに準ずる国の船を攻撃する個人の船と定義されます。一方、政府、王室などの後ろ盾を持たない純粋?の海賊船がいます。しかし両者の区別はしばしば漠然としていました。したがってカリブ海沿岸には多くの対海賊の要塞が築かれます。
前回紹介したヴェラスケスが本拠としたサンティアゴ・デ・クーパは勿論海賊の対象であり、それに備えて海岸線に要塞が築かれます。それがモロ要塞の名前で知られるサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城です。1997年世界遺産に指定されました。1554年海賊に襲われたのを契機にイタリアの軍事技術者Giovanni Bautista Antonelli が1587年に設計しました。その後イギリスの私掠船ヘンリー・モーガンがここを襲い、一部を破壊したことがあります。
写真はこの要塞が海に大砲を向けているところです。
前回のツアーコンダクター(添乗員)東山さんの通訳云々についての文章について東山さんから「私は全部通訳しましたよ!」と抗議?のコメントがありました。東山さんありがとうございました。