僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

毎日

2020-09-06 12:09:00 | 日記
子どもの頃、ドラゴンボールが好きでした。

未来からトランクスがやってきて【三年後の5月12日に、人造人間が来る】と伝えて未来に戻ります。
5月12日は僕の誕生日だったから、はじめはなんか嬉しかったけど、周りの友達が5月12日は【悪い日】みたいな雰囲気になって、僕の一番嬉しい日が絶望の日みたいに言われるのが悲しかった。
まぁ、そんなのは今となっては全く大したことないんだけど同じことって必ず起きています。

9月11日もそう。
3月11日もそう。

誰かにとって一番嬉しい日だったはずの日が、テロとか報復の日、災害の日とか言われるのはなんか悲しい。

できれば平和を考える日であるとか、当たり前の一日に感謝する日でありますように。

震災後にケーキを配り歩いたのは、毎日が誰かの誕生日だという確信と、僕の遠い記憶を自分自身の「頑張り」でキレイなもので塗りつぶしたかったから。

毎日毎日が、そんな日の連続なのだろうと思います。

どんな日でも、感謝という忘れがちな透明な色で塗り潰してあげたい。
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僕らは

2020-09-05 21:05:00 | 日記
信号が青だから。
安心し、漫然と進んで事故は起きます。
信号が赤で停まっていたのに、事故は起きます。
青でも注意して渡れ。
赤でも油断すんな。

死んだら終わりじゃろうが。
自分の命を、信号なんかに預けんなよ。
後でピーピー言うのは、何かあった人だけ。
なんもない人はなにも言わない。
なんもなかったから。
自分の責任で生きなくちゃならないのではないか?
どんな時も。

「逃げろ!」
と言われなければ逃げないのでしょうか?
危ないなと思ったら、早目に逃げるのが当然であって気象庁とか気象台とかの発表を待たずして関係なく逃げるべきじゃないか。

過ぎてしまえば大袈裟でした。

そのぐらいでいいと思います!
絶対に、なにかよくないことが誰かの身に起きるわけです。
明日、明後日と。

「生きていれば」
人生はまたなんとなく当たり前のように続く。
「死んでしまったら」
逃げておけばよかった、逃げろと言えばよかったと後悔の二文字が人生につきまとう。

そんなことを、気象庁の中継を見ていて思っていた。
早く言ってくれればと、後から誰かを責めるのはどうなのだろう?
そんな布石のような中継でした。
それは卑怯だ。

誰のせいでもなく、誰かをあてにするでもなく、僕たちは一人ひとりが生き抜く知恵とか元気とか勇気を出さなきゃいけない。

そういうことじゃねぇの?

全員が、いつかの友達が、まだ見ぬ友達が息災でありますように。

誰か任せで死ぬのはごめんだ。

選挙も同じこと。

未来は、同じじゃなくて選んだ方に進む。
関心を持ち、僕らも備えるべきです。

絶対に。
僕らは絶対に生きて、また笑い合いたい。
コメント (1)
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