地震の直後、それはそれは様々な人たちに出会いました。
その為に僕自身も成長する機会を得られました。
10年とか20年分位の事が、一気に起きたような気がする。
講演会という活動も激増したわけで、そこでもこれまた沢山の方々にお会いする。
そして、
「尊敬する人物は誰ですか?」
という質問を受けることが、ままあります。
いや、まぁ誰かがそう言うのは別にいいんですけども、昔の武将とかをあげるのが僕はとても嫌です。
会ったこともない人を「尊敬してます!」と言われましても「はぁ」としか言えん。
だって、あんまり知らないんだもの。
実はスゲーやな奴かもしれないじゃない。
ものすごく歴史などを勉強して言うのではなく、なんとなくそう言っときゃカッコいいみたいなね。
それはすぐに分かるから嫌なのかなぁ。
ま、あまり言うとよくないのでやめます。
だから僕は、生きている人の名前を答えます。
この人だ!
というのではなく、何名かを。
その中に、新潟の山口さんがいます。
「新潟の山口さん。」
そのように学生に答えると、
「へ?」
という顔をする。
山口さんは、地震の直後にガソリンを買いに他県に奔走していた頃に出会いました。
山形県の多くは「仙台ナンバーお断り!」と強い意思表示がされており、ガソリンを買うことが出来ませんでしたから僕らは新潟まで行っていました。
何故そこまでしてガソリンを。
と問われます。
深呼吸をして書こうと思います。
安置所と避難所を巡り歩く人達と出会ったからです。
ガソリンさえあれば30分で次の安置所と避難所に行ける。
でも、歩いたら300分かかります。
5時間です。
それでも、なんとしてでも家族を探しに行く。
そんな頃でした。
音楽を聴いても何とも思えず、絵を見ても灰色に見えたあの頃です。
どこのスタンドも個人へのガソリンの販売は20リットルまで等の制限がある中、山口さんだけは違いました。
死に物狂いで訴える僕らの言葉を信じてくれて、法律上の上限まで売ってくれました。
何度も何度でもです。
「食べてないんでしょう?」
そう言って、ガソリンを入れている間におにぎりを握って持ってきてくれました。
山口さんのガソリンは、僕らの勇気も満タンにしてくれました。
そんな山口さんからつい先日、連絡がありました。
「仙台に行くんです。お会いできませんか?」
「何があっても予定を空けます。平気です!」
山口さんのことを思い出すことは、僕の人生において頻度が高い。
ガソリンを入れる度に思い出すからです。
(山口さんは元気だろうか?)
シェルを見る度にも思い出す。
だから、今夜のことはとても楽しみでした。
色々なことをお話ししました。
あの頃はゆっくりと会話なんて出来なかったし、余裕もありませんでした。
どうして、そんなにガソリンが必要だったのかという話も上記に沿ってお伝え出来ました。
「家族がみんな揃わなければ、復興もヘッタクレもねぇだろうがよ。」
そんな気持ちで、やれるだけやろうと決めたんです。
「もっと、平さん達にしてあげられた事はなかったものかとずっと悶々として6年を過ごして来ました…こんなに頑張っている方がいるのに、その人のことを知っているのに自分はなにも出来なかったと心にモヤモヤがあるんです。」
そう言って山口さんは泣いていた。
僕はそれは違うと思う。
会社の決まりでこれだけしか売れない。
そう言ってしまうだけで普通は終わることなのに、あなたは最大限のことをしてくださった。
僕の生きる手本です。
「これは出来ないの?」
「いや、やってみるよ。」
「これは無理ですか?」
「やったことないけど、やってみます。」
『やったことないこと』=『出来ないこと』
ではない。
『やったことないこと』=『出来る』
とも言い切れないが。
全てが、
『やってみなくちゃ分からねぇ。』
これに尽きる。
「やったことないけど、出来ちゃいました!」
そんなことって、ちょっとはあんじゃないの?
「やったことないから出来ねぇっす。」
アホかいな!
前例は、俺が作る。
後に続け。
それを、僕に教えてくれたのが山口さん。
新潟にはね、恩人と尊敬する人が多い。
オンジじゃないよ?
恩人。
お会い出来て最高です。
次は僕が新潟に。
へぎそばも食べたいし。
??
新潟に?
回文?
にたがいに。
回文不成立。
山口さん。
どうもありがとうございます。
追記
「わしじゃないのか。」
オンジもありがとうございます。
その為に僕自身も成長する機会を得られました。
10年とか20年分位の事が、一気に起きたような気がする。
講演会という活動も激増したわけで、そこでもこれまた沢山の方々にお会いする。
そして、
「尊敬する人物は誰ですか?」
という質問を受けることが、ままあります。
いや、まぁ誰かがそう言うのは別にいいんですけども、昔の武将とかをあげるのが僕はとても嫌です。
会ったこともない人を「尊敬してます!」と言われましても「はぁ」としか言えん。
だって、あんまり知らないんだもの。
実はスゲーやな奴かもしれないじゃない。
ものすごく歴史などを勉強して言うのではなく、なんとなくそう言っときゃカッコいいみたいなね。
それはすぐに分かるから嫌なのかなぁ。
ま、あまり言うとよくないのでやめます。
だから僕は、生きている人の名前を答えます。
この人だ!
というのではなく、何名かを。
その中に、新潟の山口さんがいます。
「新潟の山口さん。」
そのように学生に答えると、
「へ?」
という顔をする。
山口さんは、地震の直後にガソリンを買いに他県に奔走していた頃に出会いました。
山形県の多くは「仙台ナンバーお断り!」と強い意思表示がされており、ガソリンを買うことが出来ませんでしたから僕らは新潟まで行っていました。
何故そこまでしてガソリンを。
と問われます。
深呼吸をして書こうと思います。
安置所と避難所を巡り歩く人達と出会ったからです。
ガソリンさえあれば30分で次の安置所と避難所に行ける。
でも、歩いたら300分かかります。
5時間です。
それでも、なんとしてでも家族を探しに行く。
そんな頃でした。
音楽を聴いても何とも思えず、絵を見ても灰色に見えたあの頃です。
どこのスタンドも個人へのガソリンの販売は20リットルまで等の制限がある中、山口さんだけは違いました。
死に物狂いで訴える僕らの言葉を信じてくれて、法律上の上限まで売ってくれました。
何度も何度でもです。
「食べてないんでしょう?」
そう言って、ガソリンを入れている間におにぎりを握って持ってきてくれました。
山口さんのガソリンは、僕らの勇気も満タンにしてくれました。
そんな山口さんからつい先日、連絡がありました。
「仙台に行くんです。お会いできませんか?」
「何があっても予定を空けます。平気です!」
山口さんのことを思い出すことは、僕の人生において頻度が高い。
ガソリンを入れる度に思い出すからです。
(山口さんは元気だろうか?)
シェルを見る度にも思い出す。
だから、今夜のことはとても楽しみでした。
色々なことをお話ししました。
あの頃はゆっくりと会話なんて出来なかったし、余裕もありませんでした。
どうして、そんなにガソリンが必要だったのかという話も上記に沿ってお伝え出来ました。
「家族がみんな揃わなければ、復興もヘッタクレもねぇだろうがよ。」
そんな気持ちで、やれるだけやろうと決めたんです。
「もっと、平さん達にしてあげられた事はなかったものかとずっと悶々として6年を過ごして来ました…こんなに頑張っている方がいるのに、その人のことを知っているのに自分はなにも出来なかったと心にモヤモヤがあるんです。」
そう言って山口さんは泣いていた。
僕はそれは違うと思う。
会社の決まりでこれだけしか売れない。
そう言ってしまうだけで普通は終わることなのに、あなたは最大限のことをしてくださった。
僕の生きる手本です。
「これは出来ないの?」
「いや、やってみるよ。」
「これは無理ですか?」
「やったことないけど、やってみます。」
『やったことないこと』=『出来ないこと』
ではない。
『やったことないこと』=『出来る』
とも言い切れないが。
全てが、
『やってみなくちゃ分からねぇ。』
これに尽きる。
「やったことないけど、出来ちゃいました!」
そんなことって、ちょっとはあんじゃないの?
「やったことないから出来ねぇっす。」
アホかいな!
前例は、俺が作る。
後に続け。
それを、僕に教えてくれたのが山口さん。
新潟にはね、恩人と尊敬する人が多い。
オンジじゃないよ?
恩人。
お会い出来て最高です。
次は僕が新潟に。
へぎそばも食べたいし。
??
新潟に?
回文?
にたがいに。
回文不成立。
山口さん。
どうもありがとうございます。
追記
「わしじゃないのか。」
オンジもありがとうございます。