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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

檜隈寺跡

2007年03月28日 | 史跡
 7世紀頃建立された寺院跡です 撮影日;2007.3.14

 現在は於美阿志(おみあし)神社の境内に数個の礎石と土壇を残すだけです

 東漢(やまとのあや)氏の氏寺だったようです

★所在地;高市郡明日香村檜前
★交通;近鉄飛鳥駅より 徒歩10分
★駐車場;数台可能
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-54-2001(明日香村役場)

 西門正面に塔、南北に回廊で繋がれた金堂と講堂を配置していたようです
 規模は法隆寺西院伽藍の講堂とほぼ同じだそうです

 境内に、平安時代後期の十三重石塔(現在は十一重・国重文)や奈良時代の塔の中心基礎石が有ります


 参考;檜隈寺跡

平城宮跡

2007年02月16日 | 史跡
 平城宮跡です(画像は第2次大極殿の基壇、2006.3.17撮影)

 2010年に平城遷都1300年祭が行われ、第一次大極殿正殿が復元公開されました
 
 敷地は甲子園球場が30個分も入る広大なスペースがあり
 南に朱雀門、南東に東院庭園が復元され、資料館遺構展示館もあります

 四季を通じてのんびりと楽しむことが出来ますヨ

お問合せ;奈良文化財研究所
℡;0742-30-6756 (所在地;奈良市二条町2-9-1 )
交通;大和西大寺駅北口下車 東へ徒歩10分
営業時間;9時~16時 (休日;月曜日、年末年始を除く)
料金;無料公開施設

駐車場;平城宮跡内の4箇所に大型バス、普通車など合計100台が駐車可(無料)

希望者にはボランティアによる解説が可能

平城宮跡を紹介しているホームページはたくさん在りますが

奈良文化財研究所→平城宮跡
奈良世界遺産市民ネットワーク
大宮通り商工振興会
 といった所がお勧めです 

 明治時代から大正時代に資材を投じて平城宮跡の再興に尽力された棚田嘉十郎氏と溝辺文四郎氏のおかげで
 現在のすばらしい史跡となっています
 参考;伝えたいふるさとの百話→近畿→NO.62「一三〇〇年の時を経てよみがえった朱雀門」



保津環濠集落

2007年01月18日 | 史跡
 南側には延喜式内社の鏡作伊多神社が鎮座しています 撮影日;2006.6.28

 保津環濠集落は惣村型で、規模も小さく構造もシンプルです
 集落内の路地道もあまり入り組んでいません

 環濠の掘削がいつに遡るものかは不明
 元禄年間(1704)の古絵図に、環濠集落の姿が認められるそうです

★所在地;磯城郡田原本町大字保津
★交通;近鉄田原本駅より 徒歩15分
★駐車場;有りません
★問合せ;0744-32-2901(田原本町役場産業振興課)

 東西・南北約1町(約100m)四方のほぼ正方形に近く、鏡作伊多神社部分が南側に張り出しています

 現在環濠は、コンクリート張りの水路となっていて、かろうじてその名残を止めています


 集落の少し北側にも鏡作伊多神社が有ります


法隆寺・若草伽藍跡

2007年01月12日 | 史跡
 法隆寺の前身『斑鳩寺』の遺構とされています 撮影日;2006.6.7 (画像は弥勒院)

 昭和14年(1939)に発掘され、聖徳太子当時の遺構と考えられる前身伽藍です

 推古15年(611)用明天皇の意を継ぎ本尊薬師如来像を造る
 天智 9年(670)一屋も残さず焼失

★所在地;生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
★交通;JR法隆寺駅より徒歩20分
★駐車場;有り(有料)
★入場料;非公開です
★問合せ;0745-75-2555(法隆寺)

 現伽藍内には、宝光院、弥勒院、実相院、普門院が立ち並んでいます

 【塔心礎】が普門院の奥、南東大垣近くの元位置に置かれています
 (明治半ばに寺外に流出し一時行方不明、昭和14年に返還された) 

 数度の発掘調査で、回廊や講堂遺構の検出はなく、その他の規模は現在のところ不明のようです


 参考;若草伽藍跡


若槻環濠集落

2007年01月07日 | 史跡
 元は興福寺・大乗院の荘園だったそうです 撮影日;2006.12.20

 文正年代から文禄年代の間(15~16世紀)に形成されたと考えられ
 中世において「若槻平城」「若槻塁」と呼ばれたそうです

 昭和50年10月2日に市の文化財(史跡)に指定されました

★所在地;大和郡山市若槻町
★交通;近鉄郡山駅より 徒歩25分
★駐車場;有りません
★問合せ;0743-52-2010(大和郡山市観光協会)

 少し北に「稗田環濠集落」が有ります

 集落内南西にある天満神社辺りに環濠が残っています



中宮寺跡

2006年12月20日 | 史跡
 現在は塔と金堂跡の基壇(竹薮の中の土壇)に礎石一個をのこすのみです 撮影日;2006.11.29

 中宮寺は聖徳太子が母のために創建した寺院です
 室町時代の終わり頃までは現在地の東方約400mの場所に位置していました

★所在地;生駒郡斑鳩町法隆寺東2-440
★交通;JR法隆寺駅より 法隆寺門前行きバスで中宮寺前下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-74-1001(斑鳩町生涯学習課)

 江戸時代の「和州旧跡幽考」によれば
 「むかしの跡は法隆寺の東の田中につゐじの跡これり」と記され、江戸期にはすでに現在の地に移されていたようです

 発掘調査によると、中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置でした
 平成2年に国の史跡に指定されています

 少し北に法起寺があります



額田部窯跡

2006年12月01日 | 史跡
 国史跡【ぬかたべかまあと】です 撮影日;2006.5.24 

 額安寺五輪塔(重要文化財に指定)の西側約30mの地点で昭和3年に発見されたもの
 鎌倉時代の瓦を焼いた窯です
 東西に並ぶ三つの窯跡があります

★所在地;大和郡山市額田部北町
★交通;近鉄平端駅より 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-53-1151(大和郡山市役所商工観光課)

 南に5分ほどの所に推古神社額安寺があります


 参考


信貴山城址

2006年11月27日 | 史跡
 河内と大和の国を結ぶ要衡として築城されました 撮影日;2006.11.2 

 信貴山の雄嶽(437m)の、朝護孫子寺の空鉢護法堂が建てられている場所を本丸として
 東西550m・南北700m程の城域に120以上もの曲輪が配される大和でも最大規模の山城だったそうです

 現在は石碑が建てられているだけ・・・
 町指定史跡(平成5年4月12日)となっています

★所在地;生駒郡平群町信貴畑
★交通;近鉄信貴下駅よりバスで信貴山下車 徒歩15分
   さらに朝護孫子寺境内を通って25分
★駐車場;有ります(有料)
★問合せ;0745-72-2277(朝護孫子寺

 667年天智天皇の代に築城
 天文5年(1536)河内の木沢長政が入城し、本格的に築城を始めますが6年後に落城
 永禄2年(1559)松永久秀が、山城を大規模な要塞とします
 天正5年(1577)織田信長に攻められ落城



いわれ庭「文華殿」

2006年11月18日 | 史跡
 江戸時代の武将屋敷を今に残す貴重な建物です 撮影日;2005.12.7

 「いわれ庭」と呼ばれる日本庭園がとても綺麗です

 昭和42年に天理市柳本町にあった旧柳本織田藩主の「表向御殿」を橿原神宮に移築し復元

★所在地;橿原市久米町934
★交通;近鉄橿原神宮前駅より徒歩5分
★駐車場;700台
★建物の見学は可能(無料)要事前連絡
★問合せ;0744-22-3271(橿原神宮庁社務所)

 大書院と玄関の二棟からなり、江戸時代後期の天保15年(1844)の建築といわれます
 昭和42年6月15日に重文に指定

 建物は現在、主に結婚式の披露宴会場やお茶会に使用されています


 参考;文華殿


甘樫丘

2006年11月15日 | 史跡
 蘇我蝦夷・入鹿の邸宅があったと伝えられる丘です 撮影日;2006.7.13

 古代より上代の人々の国見や歌かい、盟神探湯(くがたち)神事が行われた場所として有名です

 「飛鳥歴史公園甘樫丘地区」として整備されています

★所在地;高市郡明日香村豊浦
★交通;近鉄橿原神宮前駅より徒歩25分
    岡寺行きバスで甘樫丘下車すぐ
★駐車場;無料 30台
★入場料;無料
★問合せ;0744-54-2441(公園緑地管理財団 飛鳥管理センター)

 万葉展望広場(標高148m)からは、大和三山、藤原京飛鳥京など大和国原の美しい風景が一望できます

 丘を巡る園路には万葉の植物園路として万葉集・古事記・日本書紀にうたわれた40種類の万葉植物を観察しながら散策できます