奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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馬場塚

2011年02月26日 | 碑・塚
 田圃の中にぽつんと在る方形土壇です 撮影日;2011.02.13

 周長10m程で、1m弱の土壇上に小さな五輪塔が立っています 

馬場塚石塔 馬場塚上の五輪塔は甲斐武田の家臣馬場美濃守氏勝の供養塔と伝わります

 地輪・水輪が当初のもので、地輪の四面につぎの刻銘が有ります
 「前敬礼司 氏勝墓 民部少輔甲陽武田家臣百廿騎之大将仕信虎公信玄公勝頼公而有戦功後依信玄公之命改馬場美濃守信房矣戦于三州長篠引率七百人初戦既得勝敵者多勢而十倍於味方勝頼公諸勢不得防而敗北於是美濃守討死于時天正三乙亥年五月廿一日」
 五輪塔の銘文としては異例に長く、被供養者の略歴までわかる貴重な遺品です

 残念ながら、地輪石の表面は荒れていて目視では読めませんでした


★所在地;生駒郡安堵町窪田
★交通;JR法隆寺駅より バスで「かしの木台」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


中窪田杵築神社の石塔

2011年02月25日 | 石造物
 かつて杵築神社の神宮寺だった「平楽寺」の石塔です 撮影日;2011.02.13

 藤原時代の造立と考えられています
 県内に二基しか現存していない藤原時代顕教四仏石塔の一基として知られています 

 凝灰岩製で相輪や屋根石の一部を失って現在は七層になっています
 現状高は312cm
 基礎石は破損していますが低い形式で、塔身四方には月輪なしの顕教四仏種子を雄大な字体で薬研彫りされています
 屋根の軒反りは緩く、軒下には垂木型を造らない形式です
 明日香の於美阿志神社層塔と同じ様式のようです

★所在地;生駒郡安堵町窪田424
★交通;JR「法隆寺」駅より バスで「かしの木台」下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


持聖院の線刻薬師如来笠石仏

2011年02月24日 | 石造物
 「一針薬師笠石仏」と呼ばれています 撮影日;2011.02.13

 勢野春日神社の横の丘が惣持寺跡で、持聖院の管理地となっていますが、そこに大きな笠石仏があります
 俗に「一針薬師」と呼ばれ、針で刻んだような線刻の薬師如来像をあらわしています

 生駒石製で高さ191cmの不整形で表面を水磨きした石材を立て
 表面に二重円光を背負って踏割蓮華座に立つ像高156cmの薬師如来立像をあらわしています
 これに脇侍の日光月光両菩薩像および十二神将像を左右に配置しています
 薬師如来像のみ薄肉彫りで形を造って細部は線彫りとしています
 脇侍像はすべて線彫りであらわしています

 類例の無い薬師瑠璃光浄土の構図をあらわした石仏であり
 優れた表現や作風から鎌倉時代初期ごろの造立とみられています

線刻薬師如来笠石仏 勢野春日神社前の笠石仏

★所在地;生駒郡三郷町勢野東6-7
★交通;JR王寺駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由 (フェンス外から)
★問合せ;0745-72-0915(持聖院)


 *平成25年7月に、上の山から保全のため持聖院境内に移動されています*

見田・大澤古墳群

2011年02月22日 | 古墳
 菟田野の見田と大沢地区にまたがる標高370mの尾根に築かれた古墳です 撮影日;2011.02.05

 4号墳から出土した四獣鏡は、それまで発見が5世紀以降に限られていた通説を破る結果となり
 最古級の古墳群とされています
 1号墳から出土した土師器によって4世紀前半の築造と推定されています

1号墳
見田・大澤1号墳 全長約26mの前方後円墳です
 北側に有ります
 後円径約20m・高さ約3.5m、前方幅12.7m・長さ約10m・高さ3.5m、くびれ幅約10.5m
 割竹形木棺が2棺あったようです
 出土遺物は須恵器・土師器・ガラス製小玉・緑色凝灰岩製管玉・土玉・金環・小刀・広身式鉄鏃・細身式鉄鏃・刀子など多数出土しています

2号墳
見田・大澤2号墳 一辺14mほどの方墳です
 尾根頂部の北側です
 出土遺物:珠文鏡・コハク製勾玉・土師器など

3号墳
見田・大澤3号墳 15m×16m程の方墳です
 尾根頂部に有り、墳頂にベンチが置かれています
 出土遺物:土師器・剣・ヤリガンナなど

4号墳
見田・大澤4号墳 一辺17mほどの方墳です
 1980年の発掘で、四獣形鏡が出土しています
 径9.5cm、銘文は有りません

5号墳
見田・大澤5号墳 一辺14mほどの方墳です
 一番西側に位置しています
 遺物:土師など


★所在地;宇陀市菟田野区大澤・見田
★交通;近鉄榛原駅より 菟田野行きバスで「古市場」下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-87-2274(宇陀市教育委員会事務局・文化財保存課)


見田・大澤古墳群説明板 尾根上に並ぶ見田・大澤古墳

谷脇古墳

2011年02月21日 | 古墳
 玄室内に花崗岩の組合式石棺が残っています 撮影日;2011.02.05

 直径約16m、高さ約5mの円墳です
 花崗岩を用いた石室は南に開口し、奥行き2.5m、幅約3.5m、高さ2.5m
 横に広いT字型を呈しています
 壁は四方から持ち送られ、巨大な1枚の天井石を架しています

石室内の石棺 石室内天井石

 築造は6世紀後半と推定されています
 昭和53年に県指定史跡となっています

★所在地;宇陀市大宇陀区守道モト下字黒石927
★交通;近鉄榛原駅より 守道経由大股行きバスで「岩清水」下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-87-2274(宇陀市教育委員会事務局・文化財保存課)


谷脇古墳への道 谷脇古墳石室

新陽明門院陵

2011年02月15日 | 
 後村上天皇中宮顯子笠間山陵です 撮影日;2011.01.23

 第97代後村上天皇の中宮・源顕子こと新陽明門院の御陵です

 後村上天皇は源顕子を中宮として向かえ、坊雲と憲子内親王をもうけました
 中宮源顕子と坊雲は、世を避けて陽雲寺雲上庵に閑居したと伝わります

 後村上天皇は藤原勝子との間に寛成親王(第98代長慶天皇)と煕成親王(第99代後亀山天皇)を輩出しています

★所在地;宇陀市榛原区笠間
★交通;近鉄桜井駅より バスで「笠間辻」下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;

 御陵の参道途中に陽雲禅寺が有ります
 近くに笠間桜実神社が鎮座します



能峠古墳群

2011年02月14日 | 古墳
 農地造成のため移築保存された古墳群です 撮影日;2011.01.23

 昭和56年7月~昭和58年10月にかけて、県立橿原考古学研究所により発掘調査が実施されています
 大和高原南部地区農地開拓事業にともなう農地造成により消滅することになり
 南山地区の横穴式石室四基・小型横穴式石室八基が移築保存されました

能峠1号墳石室 能峠3号墳
【1号墳】
 東西約13m、南北約14mの円墳です
 埋葬施設は右片袖の横穴式石室で全長約7.1m、玄室長約3.8m、玄室幅約1.9m、羨道幅約1.6m
 玄室内には二つの組合わせ式の箱型石棺が置かれ須恵器、土師器、刀、刀子、鏃、銀環などが出土しています
 6世紀後半に築造され7世紀中葉すぎ頃まで追葬がおこなわれていたようです
 石室内に、平安時代前期の木棺墓、鎌倉時代の火葬場が確認されています
【2号墳】
 径約8mの円墳です
 埋葬施設の横穴式石室は錯乱が著しく、奥壁・側壁の一部が残っているだけです
 石室奥には組み合わせ式の石棺が置かれ、その南にも棺痕跡が有りました
 石室内から刀子、鏃などが出土しています
 築造時期は6世紀後半頃と考えられています
【3号墳】
 主幹屋根の東端に位置した径約12mの円墳です
 埋葬施設は右片袖の横穴式石室で天井石は撹乱のため存在しません
 石室規模は全長約5.7m、玄室長約3.5m、玄室幅1.7m、羨道幅約1.3m
 出土遺物は須恵器、土師器、刀子、鏃、釘など
 6世紀~末に築造され7世紀前半まで追葬がおこなわれていたようです
 石室内で1号墳と同様に平安時代前期の木棺墓が検出されています
【4号墳】
 南斜面の小石室中、東端に位置し周溝があったようです
 小型の横穴式石室がある径約9.5mの円墳です
 石室内及び周辺からは須恵器、土師器、刀、刀子、などが出土しています
 築造時期は7世紀前半と考えられ、小石室群中最初に築かれたものだそうです
【5号~10号墳】
 南山主幹屋根南斜面を中心に位置した小型の横穴式石室群です
 いずれも明確な墳丘を持たない古墳で追葬を伴わない単葬墓でした
 出土遺物はほとんど確認されていません
 築造時期は7世紀中頃と考えられています 
【11号墳】
 主幹屋根西南斜面に位置する右片袖の横穴式石室です
 石室内には組合わせ式の箱型石棺が置かれていました
 石棺の中から金銅装板状品が出土しています
 築造時期は7世紀中頃のようです

★所在地;宇陀市榛原区上井足
★交通;近鉄「榛原」駅より バスで「木綿橋」下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由(フェンスが有りますが、鍵はかかっていません)
★問合せ;0745-82-8000(宇陀市役所)


 参考;大和の古墳探索のページ

丹切古墳群

2011年02月10日 | 古墳
 丹切古墳群は円墳主体で約60基で構成されています 撮影日;2011.01.23

 榛原町南方の尾根上に立地し、20基が調査されています
 径8~20m程度の円墳、または明確な墳丘が認められないものが中心として構成されています
 1968~1973年に発掘調査が行われています
 5世紀後葉~7世紀中葉にかけて造られ、埋葬形態は箱形石棺→箱形木棺→横穴式石室→小型横穴式石室と移行していった事が分かっています

【丹切34号墳】

 県立榛生昇陽高校の敷地内に有ります
 現状は径約10mの円墳ですが、本来尾根に横穴をあけて石室を構築した特異な古墳です
 尾根が削られて石室部分だけが残されたようです
 石室は、両袖式横穴式石室
 全長約4.7m前後(内玄室は2.8m前後)幅は玄室で1.6m前後、羨道部で0.9m程度
 榛原石の組合せ式箱型石棺が残されています
 出土遺物は、土師器・須恵器・鉄釘
 築造年代は7世紀初頭のようです

【丹切33号墳】

 34号墳のすぐ近く、フェンスの外側の斜面上にある円墳?です
 石室は、両袖式横穴式石室(磚槨式石室)
 石室の全長6.6m、玄室長2.9~3.1m、奥壁幅1.7m、高さ1.1~1.6m
 羨道長は現存は1.4mですが石材の散乱状況から3.6m前後あったようです
 組合せ式箱形石棺が残されています
 内法は長さ1.9m、幅0.4~0.5m
 出土遺物は、金環・土師器・須恵器
 築造年代は7世紀前半です

★所在地;宇陀市榛原区下井足
★交通;近鉄榛原駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;タダ(事前に連絡した方がよいでしょう)
★問合せ;0745-82-8000(宇陀市役所)
 県立榛生昇陽高校のホームページ


 参考;額田大玉さんのページマユゲルさんのページ

墨坂伝承地

2011年02月09日 | 史跡
 古代の墨坂とされる場所に「墨坂伝承地」の石標が立っています 撮影日;2011.01.23

 日本書紀によれば、神武天皇即位4年春、鳥見山中に霊畤(まつりのにわ)を築き、天皇自ら皇祖天神を祭祀され「この地を上小野榛原(かみつおのはりはら)下小野榛原(しもつおのはりはら)という」とあります
 その下小野榛原が墨坂の地だそうです
 
 佐野命の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍がいこり炭(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し菟田川を堰き止め消火して進軍した所でもあります
 この墨坂の神(大物主神)は饒速日尊のことと思われ、佐野命東遷時にはすでに祀られていたと伝えられています
 兄磯城(ゑしき)がここに陣を張っていることから、兄磯城も天津神の子孫と考えられています

 近くに『伊勢街道』の小さな標柱があり、人々の往来があったことがしのばれます
 室生山第八十八ヶ所霊場も有ります


★所在地;宇陀市榛原区あかね台1丁目
★交通;近鉄「榛原」駅下車 徒歩*分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 万葉の住坂もこの地と言われています
 近くにある小学校のグラウド脇に石碑があります
『君が家に わが住坂の 家道をも われは忘れじ 命死なずは』(巻4-504)柿本人麻呂の妻 


谷畑古墳

2011年02月08日 | 古墳
 住宅地に取り残された丘の上に在ります 撮影日;2011.01.23

 径約30mの円墳ですが、現状は墳丘の東半部と北部の一部が既に消滅しているため半円形になっています
 4世紀末頃の築造と考えられています
 宇陀地方における典型的な前期古墳です

 長さ8.3m、幅3.5mの墓壙が確認されています
 箱型木棺が直葬されていたようです

 出土遺物は1972年の埋葬施設周辺や1986年の墳丘裾部の発掘で
 棺内から石釧2・水銀朱を多量に含む赤色顔料魂
 棺外から、小型の内行花文鏡・筒型銅器・素環頭太刀・直刀・槍・剣・鎌・鉄斧・ヤリガンナ・刀子・ノミなど

 裾部に神木坂古墳群の石室の残骸が移築されています 

★所在地;宇陀市榛原区萩原字谷畑
★交通;近鉄「榛原」駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★問合せ;


 2013.02.10 再訪しました
谷畑古墳
 前回訪れた時は、丘には木が生えていましたが、きれいに伐採されていました
 墳丘へは、柵があって立ち入り禁止のようですが、横から進入・・・

 墳丘からは、とてもすばらしい眺めです
 立ち入り禁止のはずですが・・・ベンチが置かれています
 墳頂には、大きな陥没孔が有ります

谷畑古墳のある丘 谷畑古墳からの眺望

 移築されている神木坂古墳の石室は、草ぼうぼうではっきり見えませんでした