奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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大滝ダム・学べる建設ステーション

2009年07月20日 | 名所
 水とダムと土木について学ぶ施設です 撮影日;2009.6.27

 平成8年4月20日にオープン

 パビリオンには豪雨体験コーナーや映像ルームもあります
 駐車場には高さ25mの吉野杉の大木がスロープ階段を巻きつけてそびえ立っています
 もちろん作り物ですがよく出来ています

 「クモノタカダイ」(第3展望台)まで登れば、大滝ダムを一望できる大パノラマが広がります

★所在地;吉野郡川上村大滝962-1
★交通;近鉄「大和上市」駅より バスで「大滝ダム・学べる建設ステーション」下車
★駐車場;無料30台
★入場料;タダです
★休館日;水曜日、冬期休館:12月21日~2月末日
★開館時間;9:30~16:30
★問合せ;0746-53-2372

 大滝ダムは堤高100mの重力式コンクリートダムです
 昭和37年(1968)に着工、ダム本体工事の着工は平成8年(1996)
 平成15年(2003)に試験湛水を開始しましたが、白屋地区における亀裂発生で現在も早期の運用開始を目指しています

 移転戸数は475世帯にのぼり、補償の話し合いは長期に及んだことでも知られます
 ダムのデザイン決定に全国で初めて地域意見を取り入れています
 ダムの上端に連続的なアーチ橋を模したデザインです

 紀の川の洪水調節と不特定利水、大迫ダムと共に奈良県北部の11市15町村・和歌山県北部地域への上水道供給などを行います
 関西電力による認可出力10,500kWの水力発電を行います

 水没した丹生川上神社上社の跡地からは遺跡が発見されています(宮の平遺跡)


 参考;近畿経済産業局のページ
  紀の川ダム統合管理事務所のホームページ

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道の駅「杉の湯川上」

2009年07月19日 | 名所
 道路情報提供ほか、川上村や周辺の吉野路の観光案内をしています

 吉野川の上流
 国道169号線沿いにあり、温泉や宿泊施設も有ります

 すぐ近くに丹生川上神社上社が有ります

★所在地;吉野郡川上村迫695
★交通;近鉄「大和上市」駅より 車で25分
★駐車場;無料54台(大型車4台・普通車50台)
★入場料;タダです
★休館日;無休
★開設時間;9:00~17:00
★問合せ;0746-52-0006

 セルフ方式の「めんコーナー」は意外と美味しいです

 【山幸彦のおみやげ屋】
 9:00~19:00(4月~11月)・9:00~17:00(12月~3月) 、無休
 おみやげ:柾波木芸品、柿の葉寿司、山菜、火打餅、佃煮、そうめん、手づくりこんにゃく
 ふるさと市場開催(毎日曜日 冬季は除く)

 【ホテル杉の湯】
 1泊11,000円~(税サ込)
 政府登録国際観光旅館の指定を受けている村営ホテル
 和室・洋室あわせて26室
 ホテル内にある温泉大浴場:水曜休み
 料金:700円
 露天風呂・サウナもあります
 日帰り入浴可能(11:00~14:00)


 奈良県には12ヶ所の道の駅が有ります
 参考;国土交通省のページ

 撮影日;2009.6.27 

御首載石跡

2009年07月18日 | 古跡
 元の位置は下を流れる川の近くだったそうです 撮影日;2009.6.27

 大滝ダムの建設で湖底に沈むため今の位置に移したそうです

 長禄の変は、室町時代の長禄元年12月2日(1457年12月27日)に赤松家遺臣らが後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である自天王と忠義王(後南朝の征夷大将軍である)の兄弟を騙し討って、神璽を持ち去った事件
 南朝を擁護する川上村の郷士が自天王の首を奪回、石の上に載せ伏し拝んだという

 両皇子の御首は郷民達の手により、神之谷の金剛寺に手厚く埋葬されたそうです

★所在地;吉野郡川上村寺尾
★交通;近鉄「大和上市」駅より 車で25分
★駐車場;無料(5台程度)
★入場料;タダです
★問合せ;0746-52-0111(川上村役場)

 並んで「後南朝最後の古戦場」の石碑も建てられています

 建武3年・延元元年(1336)12月に足利尊氏に敗れた後醍醐天皇が吉野へ逃れて以来、二つの朝廷・南北朝として皇室が分裂した
南朝4代,後亀山天皇と北朝6代・後小松天皇と足利義満の間で南北朝合一の和議が成立したのは明徳3年・元中9年(1392)年10月28日
南朝側の後亀山天皇が上皇として退位、北朝側の後小松天皇が譲位して名目上は南北朝は合体した
その講和条件も応永18年(1411)11月25日に、足利氏の思惑によって後小松天皇が皇太子・実仁親王を称光天皇と即位させたことにより、明徳の条約は反古にされた
これによって後亀山上皇は小倉宮実仁親王と共に京都を発ち、再び吉野へ潜行
北朝・南朝とに再び分裂することになり、「後南朝」が樹立された、とする
康正元年(1455)2月5日に南朝最後の皇胤となる尊秀王は16歳で自天親王(北山宮)として即位し
現在の上北山村小橡の龍泉寺を行宮とした
京都からの防備上の役割を担う意味で,伯母峰峠を越えた川上村神之谷には弟の忠義王(河野宮)も御所を定めた
吉野朝に将軍足利義教は南朝の忠臣だった赤松家家臣団を康正2年(1456)12月20日に密使として送り込んだ
赤松家家臣団は南朝再興を装いながら近づいたが、実際は嘉吉元年(1441)6月24日に赤松満祐が将軍足利義教を暗殺したことによって赤松家は幕府に滅ぼされおり
その赤松家再興の交換条件として吉野朝にある神璽を奪回し両宮を謀殺することを黙約したものだった
一年後の長禄元年12月2日、吉野は大雪に閉ざされた
この期に乗じて赤松家臣団は蜂起し、目的とする北山宮と河野宮を誅し,その首級と神璽を抱えて,一路,京都を目指すべき北山から伯母峰を越えて行った(長禄の変)
この凶報は吉野川に沿って、南朝を擁護する川上郷民に一気に伝わった
その沿道・沿岸で赤松家臣団は恨みに満ち溢れる郷民からの反撃を受け
寺尾にて郷民は首級と神璽を取り戻したとされる
この変により南朝の皇胤は完全に断絶するに至り,ここに南朝は終焉を迎えることになった



 風光明媚な場所です

 後南朝の川上村

蓮如上人御廟

2009年07月17日 | 碑・塚
 蓮如は室町時代の浄土真宗の僧 撮影日;2009.6.27 

 本善寺の裏山墓地の一番高い場所にあります
 塀に囲まれた廟所に高さ1m程の石柱が建てられています

 京都山科の地に御廟所が在りますが
 桜の好きだった父のために12男の実孝が吉野にも建立したと伝わります
 
★所在地;吉野郡吉野町飯貝567
★交通;近鉄「吉野神宮」駅下車 徒歩15分
★駐車場;無料10台程度
★入場料;参拝自由
★問合せ;0746-32-2675

 「蓮如上人」と尊称されます
 本願寺第八世
 本願寺中興の祖
 応永22年(1415)京都大谷に生まれ
 明応8年(1499)山科本願寺で真宗再興に尽くした85年の生涯を終えています
 明治15年(1882年)に、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されています



比曾寺跡

2009年07月16日 | 史跡
 日本書紀に吉野寺と記述される寺院跡です 撮影日;2009.6.27 

 聖徳太子が建立した48ヶ寺の一つとされます
 用明天皇2年(587)に創建とも伝わりますが、定かでは有りません
 同寺に残っている瓦や伽藍配置などから、少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたとされています

 創建時の寺は南面する伽藍で、東西両塔をもつ薬師寺式の配置
 中門手前に東西三重塔の基壇があり、礎石が残ります

 =寺伝によると=
 東塔は、聖徳太子が用明天皇のために建立
 その後鎌倉時代に改築されたことが礎石の一部によって分かっています  
 文禄3年(1497)豊臣秀吉によって伏見城に移され
 慶長6年(1601)徳川家康によって大津の三井寺に移築(現在国の重要文化財として残っている)
 西塔は、推古天皇が夫の帝敏達天皇のために建立
 相次ぐ戦乱に災いされ、惜しくも焼失せりと、今昔物語に記されています

 中門をくぐった所に金堂跡があり
 世尊寺の本堂が建つ場所が、かつての講堂跡です(供に礎石が残ります)

★所在地;吉野郡大淀町上比曾
★交通;近鉄「大和上市」駅下車 徒歩30分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0746-32-5976(世尊寺)

 『日本書紀』欽明天皇14年5月の条に次のような逸話が載っています
 河内の国司から「和泉群の茅渟海から地震や雷のように響くほどの雅楽が聞こえる。
 また、麗しく照り輝き日の光のようです。」と知らせてきた。
 天皇は怪しみ、溝辺直を使わし、海の中を探らせた。
 使いは海の中で照り輝く樟木を見つけ、天皇に奉った。
 天皇は匠に命じて、仏像2体を造らせた。
 今の吉野寺に光を放っている樟の仏像である。


 平安時代には清和天皇や宇多天皇が行幸し、藤原道長が参詣するなど大いに栄えたようです
 中世以降は、相次ぐ戦乱などにより荒廃していきました


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壇上桜

2009年07月15日 | 碑・塚
 聖徳太子お手植えと伝わります 撮影日;2009.6.27 

 ヤマザクラのようです

 1688年の芭蕉句碑が根元に有ります
 「世にさかる 花にも念仏 まうしけり」

★所在地;吉野郡大淀町比曽762
★交通;近鉄「大和上市」駅より 徒歩30分
★駐車場;有ります(無料)
★問合せ;0746-32-5976 (世尊寺)

 世尊寺「比曾寺跡」境内には、樹齢100年以上高さ12mある珍しい白色花のサルスベリもあります

 四季を通じてきれいな花が咲いています

1月 サダンカ、センリョウ、マンリョウ
2月 ロウバイ
3月 ハナノキ(県内に5-6本しかない珍しい木・樹齢70年)、モクレン(白・紫)
4月 サクラ (河津桜、ソメイヨシノ、シダレザクラ、壇上桜等) フジ
5月 オオヤマレンゲ、ヒラドツツジ
6月 アジサイ、ボダイジュ、タイザンボク
7月・8月 サルスベリ(白)、ノウゼンカズラ、ナツツバキ、ハス
9月 ヒガンバナ(赤、白)
11月 サザンカ、モミジの紅葉、ハナノキ、イチョウの黄葉
12月 サザンカ、センリョウ、マンリョウ




護国神社前池中古墳

2009年07月14日 | 古墳
 池に浮かぶ小さな島? 撮影日;2009.6.20 

 詳細は不明ですが、水没している前方後円墳のようです

 土師器・須恵器・埴輪(円筒埴輪)などが出土しているそうです

★所在地;奈良市古市字新池1848
★交通;JR・近鉄「奈良」駅より 藤原台・山村町・佐保短大前行きバスで「護国神社」下車 徒歩3分
★問合せ;

 すぐ近くに古市方形墳が有ります
 護国神社の境内にも古墳が有ったようです


 この新池では釣が出来ます

栗塚古墳(高樋)

2009年07月13日 | 古墳
 立派な石垣で囲まれています 撮影日;2009.6.20 

 復元長は全長100mほどの前方後円墳です
 後円部径60m・高さ8m、前方幅50m・高さ3m

 前方部を南東に向け、後円部と比べ前方部が低い点が特徴
 築造は古墳時代前期と推定されています

★所在地;奈良市高樋町植田
★交通;JR「帯解」駅より 徒歩25分
★駐車場;なし
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;

 前方部が畑地、後円部が果樹園になっていて墳丘は大きく改変されています
 埴輪・葺石は認められませんが、墳丘各所の石垣は葺石を転用したのでしょうか

 調査が行われていないので詳細は不明です

 すぐ近くに、径30mほどの円墳「割塚古墳」も有ります




 参考;栗塚古墳

竹内古墳群「史蹟の丘」

2009年07月10日 | 古墳
 「史蹟の丘」には5基の古墳が整備保存されています 撮影日;2009.6.14 

 二上山から派生する尾根(キトラ山)の東端に分布する古墳群です
 全長42m、後円部径24m、前方部幅31mの規模を持つ前方後円墳(22号墳)の他
 方墳1基と円墳32基で構成されています 

★所在地;葛城市竹内・當麻
★交通;近鉄「磐城」駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;タダです
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)

 キトラ山一帯は弥生式土器・石器の出土する弥生時代の遺跡でもあります
 現在県史跡に指定されています

 22号墳の前方部には小型の横穴式石室があり、後円部に横穴式石室の抜き取りあとがあるそうです
 昭和21年に調査された34号墳(茶山古墳)は、疑灰岩の板石を組合わせた家形石棺が土中に直接埋葬され、石棺内に3体分の人骨と鉄刀、鉄製のやじり等があり、棺外から須恵器等も出土しました


 南側を竹之内街道が通っています
 

柾の井

2009年07月09日 | 古跡
 弘法大師・空海が掘られた大和三ツ井戸の1つです 撮影日;2009.6.14 

 4つの穴が開けられているコンクリートの蓋がかぶせられています
 弘法大師が諸国行脚、巡錫(じゅんしゃく)の際に、当地に立ち寄られ
 水がなくて困っていた當麻村の人のために掘った井戸と伝えられています

★所在地;葛城市當麻竹内
★交通;近鉄磐城駅下車 徒歩15分
★駐車場;綿弓塚の駐車場 6台程度
★入場料;タダです
★問合せ;

 
 住宅地の一画に小さな「武内弁財天」が歩道に背を向けて、歩道より一段高い所に鎮座しています
 その堂の真裏に有ります


 すぐ近くに綿弓塚が有ります