奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

史跡大安寺塔跡≪再訪≫

2015年05月09日 | 史跡
史跡大安寺東塔跡
 東塔基壇が復元されています 撮影日;2015.04.12

 東塔の基壇は一辺約21m・高さ約1.8mの正方形(西塔と同規模)
 復元前は土壇のみ残っていました
 礎石は全て持ち去られていました

 西塔跡には心礎が残っています(大安寺塔跡
 心礎は2.5×2.2mで、径約1.5mの柱座の造り出しを持っています

大安寺塔跡 大安寺発掘時東塔跡 

 大安寺は飛鳥の百済大寺・高市大寺・大官大寺を前身とし、和銅3年(710)平城京に移って大安寺と称しています
 天平神護2年(766)に東塔に落雷
 天暦3年(949)には西塔が雷火で焼失しました
 寛仁元年(1017)主要堂宇焼失、塔1基及び釈迦如来像1体のみ焼失を免れる
 その後再建が続けられたが、長久2年(1041)に焼失
 寛治4年(1090)には七重宝塔1基(東塔)、金堂など主要伽藍を再興
 (東塔は七重塔であったと伝えられます)
 しかしこの東塔も慶長元年の地震で倒壊したと伝えられます

★所在地;奈良市東九条町1316
★交通;JR奈良駅より バスで大安寺下車 徒歩10*分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;東塔跡のみ可(西塔跡は現在立ち入り禁止です)
★問合せ;


高麗寺跡

2014年01月10日 | 史跡
高麗寺跡史跡碑
 日本最古といわれる飛鳥寺と同じ瓦が出土しています 撮影日;2013.11.24

 昭和15年に国の史跡に指定されています
 金堂・塔等の土壇・礎石が残っています
 また字名に「高麗寺」という古代寺院名を残す珍しいケースです

高麗寺金堂跡 高麗寺跡塔心礎

 伽藍配置は西に金堂・東に塔・周りを回廊に囲まれた法起寺式で、白鳳期から平安期まで存続したようです
 高句麗から渡来した狛氏の氏寺だったと推測されています

 創建時には飛鳥寺と同じ軒瓦が使われたとされ、その後の造営で川原寺と同じ軒瓦が使われました
 寺名は奈良時代の『日本書紀』や平安時代初期の説話集『日本霊異記』、平安時代後期の説話集『今昔物語』などにも登場します
 高麗寺の渡来僧・栄常にまつわる記述があるそうです

高麗寺講堂跡 高麗寺跡講堂楚石 高麗寺跡講堂楚石2

 木津川を見下ろす台地上に建てられており、周辺には高麗寺瓦窯や高井手瓦窯が存在し、諸堂塔に葺かれた瓦を生産していたようです
 北方には高麗寺造営氏族の居館跡と考えられる大規模な「上狛東遺跡」が発見されています 
 
高麗寺南門跡 高麗寺跡

★所在地;木津川市山城町上狛高麗寺
★交通;JR上狛駅下車 徒歩7分
★駐車場;なし
★見学;見学自由
★問合せ;0774-72-0501(木津川市役所)


杉山瓦窯跡

2014年01月05日 | 史跡
杉山瓦窯復元2号窯
 杉山古墳の前方部斜面を利用して窯が6基作られています 撮影日;2013.12.14

 大安寺の瓦を焼くための瓦窯跡です
 奈良時代末から平安時代にかけて用いられていました

杉山2号瓦窯説明版 杉山瓦窯跡説明版 杉山瓦窯跡復元施設

 古墳の南西には、そのうちの2号瓦窯が復原されています
 窯では一度に500枚前後の瓦が焼かれたようです 

★所在地;奈良市大安寺4
★交通;奈良駅より バスで大安寺下車 徒歩5分
★駐車場;大安寺の駐車場を利用(無料)
★入場料;無料
★開園時間9:00~17:00 (休日;月・水・金)
★問合せ;0742-33-1821(市埋蔵文化財調査センター)


杉山古墳

山城国分寺跡「恭仁宮跡」

2013年11月02日 | 史跡
山城国分寺塔跡礎石
 奈良時代に4年間だけ皇都とされた宮跡です

 木津川右岸に位置する宮跡です
 その場所に奈良時代の天平13年(741)に聖武天皇の詔勅によって全国に建立された国分寺の一つが移転したと考えられます
 天平18年(746)9月には、恭仁宮の大極殿が国分寺に寄進されたことが『続日本紀』に記されています

 山城国分寺跡の遺構は、国分寺境内と大極殿を転用した金堂跡とその南東にある塔跡です
 塔跡は方形の土壇上に花崗岩の礎石が残っています
 寺の範囲はこの2ヵ所の遺構を中心として、東西約275m・南北約330m
 南端部には大門や東大門という字名が残っています

 昭和32年に国の史跡に指定され、平成19年に追加指定され史跡名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」となりました
 
 周辺では晩夏から秋にかけて、蕎麦の花・彼岸花・コスモスが見頃となります

山城国分寺跡 金堂跡基壇

 天平12年、聖武天皇がこの地に入り、恭仁宮と称し、平城宮の大極殿などが移築されました
 天平14年には、近江に紫香楽宮を造営しますが、翌年に恭仁宮の造営を停止
 さらに翌年には難波宮に移り、天平17年に平城に戻っています 

★所在地;木津川市加茂町例幣溝垣内
★交通;JR加茂駅下車 徒歩30分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;0774-73-8191 (木津川市観光協会)


龍門寺塔跡

2013年05月31日 | 史跡
龍門寺塔跡
 白鳳時代に建てられた三重塔跡です 撮影日;2013.05.18

 「龍門寺」は7世紀後半に義淵僧正が岡寺「龍蓋寺」と共に国家隆泰・藤氏栄昌のために建立したと伝えられています
 金堂・三重塔・六角堂・僧房などの伽藍が立ち並んでいました
 三大実録や扶桑略記・今昔物語等に散見し、比曽寺とともに吉野川右岸に並び建つ大寺として特殊な寺格を有していたようです(比曾寺跡
 平安時代には清和上皇・宇多上皇・菅原道真・藤原長道ら、当時の殿上人も「龍門寺」を参詣しています

基壇 礎石

 三重塔は龍門の滝のすぐ上に建てられていました
 基壇の一辺は6.3m(乱石積基壇です)
 塔の一辺は3.3m
 山の平坦面を利用して(切り開いて)建てられた小規模な塔です
心礎  昭和27・28年に発掘調査され、心礎石:側柱礎12個(四天柱礎石は当初よりなし)が確認され、奈良時代の8世紀前半の瓦・摶仏・鉄製風鐸が出土しています
 昭和29年に県の文化財に指定されています

 少し登山道を進むと、分れ道の左手に本堂跡が有ります

本堂跡 龍門寺本堂跡石標

★所在地;吉野郡吉野町山口258
★交通;近鉄大和上市駅より バスで山口下車 徒歩35分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-27-9866(奈良県教育委員会)


 参考;ウィキペディア「龍門寺跡」

葛尾瓦窯「岩屋瓦窯」跡

2013年03月18日 | 史跡
葛尾瓦窯「岩屋瓦窯」跡
 県道拡張工事の際に発見された瓦窯跡です 撮影日;2013.03.11 

 道路に面して丘陵の北斜面に立地しています
 登窯(1・2号)と平窯(3号)が有り、国の史跡に指定されています

 昭和53年と60年に発掘調査が行われました
 燃焼室や焚口部分は既に破壊されていました
 焼成室と灰原の一部が存在し、奈良時代の瓦窯の構造が明らかになりました
 当瓦窯跡から出土した軒(のき)瓦は、笠間川の上流約3キロにある「毛原廃寺」の伽藍に用いられていたことが確認されています
 同型の軒瓦は名張市夏見廃寺を始めとして伊賀の諸寺院からも出土しています

窯跡 石垣 発掘調査時の様子(説明板より)

★所在地;山辺郡山添村岩屋・葛尾
★交通;近鉄名張駅より バスで「葛尾」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


高宮廃寺跡

2013年02月03日 | 史跡
高宮廃寺金堂跡
 標高550mの金剛山中腹の景勝地に有ります 撮影日;2013.01.20

 高宮段と言う小字名が残っていて、俗に高宮と呼ばれます
 現在は、金剛山登山道の小和道沿いに有り、木々に囲まれています

 塔及び金堂の基壇と各々の礎石が残っています
 出土品から奈良時代に創建された古寺の跡と推定されています
 行基菩薩伝に行基24才のとき高宮寺の徳光について戒を受けたとあり、『日本霊異記』にも「日本国大倭国葛上郡高止」の記事があるそうです

高宮廃寺礎石 高宮廃寺塔跡

 金堂は5間×4間(12.8m×9.8m)の大きさで、礎石は2個を除き整然と残っています
 礎石は柱座及び地覆座を造り出す精巧な礎石を用いています
 八葉複弁蓮華文軒丸瓦・扁行唐草文軒平瓦が採取されています
 奈良中期の瓦で、これ等の創建瓦は朝妻廃寺やニ光寺廃寺と同笵だそうです

 塔は金堂の東南20mの地点にあり、土壇がはっきりと残っていますます
 心礎は失われていますが、他の礎石は自然石で大部が残存しています
 塔一辺は約5.5mと推定されます

 昭和2年に国史跡の指定を受けています
 金堂跡には『史跡高宮廃寺跡』の碑が立っています

途中にある道標 高宮廃寺説明版 高宮廃寺山門跡?

★所在地;御所市鴨神
★交通;高鴨神社より 徒歩45分(登山口からは20分ほど)
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-62-3346(御所市観光協会)


吉祥竜穴 

2012年03月13日 | 史跡
吉祥竜穴

 竜穴神社の奥宮です 撮影日;2012.03.04

 古くから竜神が住むと伝えられてきた洞穴です
 一帯は古代から磐境(いわさか)神の鎮座する区域とされ、厳粛な雰囲気が漂います
 この竜穴自体が祀られています

 この龍穴は須勢理姫の籠もった旧跡とされ、延暦9年(790)赤埴の白岩神社に遷座したと伝わります
 龍穴を女陰とする古代性神信仰のようです

 洞窟は室生九生九穴と呼ばれています
 三竜穴「東谷の妙吉祥竜穴」「西谷の沙羅吉祥竜穴」「中之尾の持法吉祥竜穴」が良く知られています

吉祥竜穴参道の鳥居 吉祥竜穴拝所

 招雨瀑
 美しい水は巨大な岩盤を滑るように流れていきます 



 近くには「天の岩戸」とされる巨岩が祀られています
 1m程の間が開いて巨岩が向かい合っています
 元は一つの磐だったのでしょうか

天の岩戸社 天の岩戸祠 天の岩戸

★所在地;宇陀市室生1297
★交通;近鉄室生口大野駅より バスで竜穴神社前下車 徒歩20分
★駐車場;スペース有り
★入場料;参拝自由
★問合せ;0745-92-2001(室生観光協会)


荒坂窯跡

2012年01月27日 | 史跡
 川原寺の創建時に瓦を供給しています 撮影日;2012.01.15

 向山丘陵と西河内丘陵の間に西から延びてきた丘陵突端部に位置し、前を流れる関屋川を望む斜面に造営されています
 昭和8年と47年に発掘調査が行われ、昭和49年に県の史跡に指定されました

 須恵器と瓦をともに生産した瓦陶兼用窯として知られ、これまで12基の窯跡が確認されています
 窯の北向きの丘陵斜面に営まれた半地下式の登窯で、全長9.1mを測る
 燃焼室は長さ1.3m、同幅1.9m燃成室は階段式で11段よりなり、長さ約5mで約30度の傾斜をもっている
 窯体内やその付近からは蓮華文軒丸瓦、重弧文軒平瓦、平瓦、丸瓦などの瓦類とともに焼けひずみのある須恵器の燃焼が行われたことが知られます 

荒坂窯跡のある柿畑 荒坂窯跡実測説明版 荒坂窯跡説明版

★所在地;五條市西河内町字荒坂802
★交通;JR北宇智駅下車 徒歩20分
★駐車場;スペース有り
★入場料;一号窯の覆い屋には鍵がかかっています
★問合せ;0747-22-4001(五條市教育委員会)、0742-22-1101(奈良県教育委員会)


加守廃寺

2011年09月13日 | 史跡
 大津皇子ゆかりの寺院跡とされます 撮影日;2011.09.11

 “薬師寺縁起”にある加守寺(掃守寺、竜峯寺とも称されたようです)は、大津皇子の鎮魂のために建立されたとされています

 加守廃寺は二上山の尾根を挟んで 南遺跡(加守神社の周辺)と北遺跡(塔土壇)に分かれます

 北遺跡では塔及びそれを囲む廻廊が検出されました
 塔基壇は凝灰岩製の壇上積基壇で、犬走を伴う
 但し基壇の大半は既に削平されていました
 回廊は塔の西側と南側で礎石(自然石)及び礎石抜取り穴が確認され、塔を取囲むものであったとされます
 また残存する土壇を断ち割ると、流紋岩製の円形造り出しを持つ2個の礎石が出土しました

 南遺跡で発掘された長六角堂跡は大津皇子の供養堂説が有力です
 四天王堂付近で瓦を出土し、礎石が残っていました
 (この後方が廃寺跡になりますが、今は更地で何もありません)

 塔心礎は教善寺に、金堂礎石は當麻寺護念院に移されているようです
 當麻寺中之坊に古図があり、加守附近に三層の塔婆を描き掃守龍峯寺と記されているそうです

 遺跡所在地の旧名をトンタニと称するそうです
 「塔谷」の転訛で、龍峯寺の塔跡ではないだろうかとのこと

 大津皇子は、初めここに埋葬されたとも伝わります(大津皇子墓

 池の畔に、悪霊となった大津皇子が馬に乗って飛び降りた時の蹄跡と伝わる「ひずめ石」があるそうです
 江戸時代の絵図に「神馬蹄石(しんめひづめいし)」と載っているそうです 

★所在地;葛城市加守
★交通;近鉄二上神社口駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学可
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)