天智天皇が築かせた高安城の倉庫跡です 撮影日;2015.11.01
古代高安城は、667年天智天皇が唐と新羅連合軍の侵攻に備えるために高安山に築いたとされます
現在は、6棟確認された倉庫跡のうち、2棟の礎石を見学できます
倉庫は672年の壬申の乱で炎上したことが日本書紀に記されているそうです
その後、天武・持統天皇の時代に修築され、文武天皇の701年に廃城となったようです
この礎石群は、昭和53年に市民グループの「高安城を探る会」が高安山頂から奈良側へ200mほど下ったところで発見しました
倉庫は3間×4間(柱間約210㎝)で20個の礎石が有ります
昭和57年3月に橿原考古学研究所が2号棟跡を発掘
礎石の下から平城京跡で発見されているものと同じ暗文入りの盤(大皿)や杯が多数出土しました
この土器の年代から、これらの礎石は奈良時代前期、720~730年代のものと判明
3号棟跡も昭和58年3月に発掘され、同時期と判明しました
★所在地;平群町久安寺字金ヤ塚
★交通;近鉄西信貴ケーブル「高安山」駅より 徒歩約25分
★駐車場;朝護孫子寺の駐車場(有料)利用
駐車場より徒歩 約50分
★見学;自由
★問合せ;
戦国時代の山城遺構は信貴山城主となった松永久秀が出城として築いたと伝えられます
中世高安城は高安城の山頂に築かれています
県境の尾根を林道が通っている為、城の遺構は東西に分断されていますが、残存状態は良好です
主郭は西側で北西から南西方向に長い曲輪となり、南東下に虎口が付き、北東下に腰曲輪が残る
林道を挟んだ東側に二郭、三郭がある
二郭は土塁が巡る小郭であるが、西側に向かって通路状に伸び、その周囲を横堀が巡る
横堀を挟んで南側に三郭があり、一番広い曲輪であるが、土塁は北東側のみ付いている
気象レーダー観測所が近くに建っています