奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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大神神社の宝物収蔵庫

2010年06月28日 | 名所
 御神像や古代の祭祀出土品などが展示されています

=展示品=
 三輪山麓・狭井河之上出土品(須恵器など)、禁足地出土品(子持勾玉など)、山の神祭祀遺跡出土品(素文鏡など)、伝世の神宝類(国重文の朱漆金銅装盾、県重文の大国主大神木造・高杯・湖州鏡など)、神宮寺関係文書(三輪山縁起など)、伊勢神宮下賜の神宝

 祈祷殿の向かい側に有ります 

★所在地;桜井市三輪1422
★交通;JR三輪駅下車 徒歩5分
★駐車場;有ります
★入場料;大人200円
★開館日;毎月1日、土・日・祝日、1月1日~5日
★開館時間;9:30~15:30
★問合せ;0744-42-6633(大神神社社務所)

 となりに「ささゆり園」が有ります
 (6月初旬頃:開園日は問い合わせてください)


 訪・撮影日;2010.06.06

巳の神杉

2010年06月27日 | 天然記念物


 大神神社境内で一番の古杉です 撮影日;2010.06.06

 樹齢約600年、幹周り約5m、主幹は地上4~5mのところで2本に分かれています

 江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをしました
 いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられています
 巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています

 長さ2mを超える”青大将”様が4.5匹棲んでいるそうです 

 蛇は、古来より三輪の神の化身として意識されており、『日本書紀』の崇神天皇10年9月条に「小蛇(こおろち)」と記されます
 雄略天皇7年7月条には、三輪山に登って捉えて来たのが「大蛇(おろち)」であったと伝えています

 三輪の神の原初の形とされる蛇は、水神であり、雷神ともなり、農業神、五穀豊穣の神となり、やがては国の成立とともに、国家神的な神に至ったと考えることができます

★所在地;桜井市三輪1422
★交通;JR三輪駅下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料・有料)
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-42-6633(大神神社



衣掛杉

2010年06月26日 | 名所
 謡曲の「三輪」の由来となった杉の古株です 撮影日;2010.06.06

 玄賓僧都の衣が掛かっていたという杉です 
 幹周は10mほども有ります
 すでに枯れており、覆い屋根がかけられ保存されています

 毎年4月10日(春の大神祭の翌日)、吉例の後宴能が執り行われ、各流交替で「三輪」が奉納されます

 衣掛杉は、三輪の七本杉の一つです
 (七本杉:二本杉、おだまき杉、門杉、志るしの杉、燈明杉、飯杉)
 
★所在地;桜井市三輪
★交通;JR三輪駅下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料・有料)
★入場料;見学自由
★問合せ;

 大神神社境内手前の石段右脇に有ります


=謡曲「三輪」あらすじ=
 大和国三輪山の麓に、世を捨て庵を結び、仏に仕えていた一人の僧都がおりました。
 名を玄賓(げんぴん)と申します。
 その玄賓僧都(げんぴんそうず)のもとに毎日、美しい女人が、仏に供える樒(しきみ)と閼伽(あか)水を持って通ってまいります。
 ある秋も深まる夜のこと。
 女人は夜寒をしのぐ衣を賜りたいと請います。
 乞われるまま衣を与え、住居を問うと、女人は「我が庵は三輪の山本恋しくは訪い来ませ杉立てる門」の古歌を残して立ち去りました。
 その歌を頼りに訪ねて見ると、二本の杉の大木の枝に、先ほど与えた衣が掛けてあるではありませんか。
 女人は三輪明神の化身だったのです。
 姿をあらわした三輪明神は、三輪山の杉にまつわる昔話など聞かせ、神楽(かぐら)を舞い、夜明けと共に消えて行きます。

慶田寺の織田公墓所

2010年06月25日 | 碑・塚
 芝村織田藩の墓所です 撮影日;2010.06.06

 織田信長の末弟で茶人として有名な織田有楽斉(織田長益)の分骨が納められているそうです

 豊臣氏滅亡後に徳川氏に釈明する意思を表すために、有楽斎は3万石の所領のうち、1万石を自分の隠居料に、残りの1万石ずつをそれぞれ四男の織田長政と五男の織田尚長に分与して相続させた
 この四男・長政の系統が芝村藩です
 第7代藩主・織田輔宜の代に陣屋を戒重から芝村へ移転しています 

【歴代藩主】
初代・織田長政(ながまさ):有楽斉の四男
 元和元年(1615)8月12日藩主就任~万治2年(1659)12月23日隠居
第2代・織田長定(ながさだ)
 万治2年12月23日藩主就任~寛文12年(1672)閏6月4日死去
第3代・織田長明(ながあきら)
 寛文12年8月6日藩主就任~天和3年(1683)5月2日隠居
第4代・織田長清(ながずみ)
 天和3年5月2日藩主就任~正徳4年(1714)2月13日隠居
第5代・織田長弘(ながひろ) 
 正徳4年2月13日藩主就任~正徳4年7月19日死去
第6代・織田長亮(ながあき)
 正徳4年9月23日藩主就任~享保18年(1733)6月7日死去
第7代・織田輔宜(すけよし)
 享保18年8月2日藩主就任~安永7年(1778)2月25日隠居
第8代・織田長教(ながのり)
 安永7年2月25日藩主就任~寛政7年(1795)4月26日隠居
第9代・織田長宇(ながのき)
 寛政7年4月26日藩主就任~文政9年(1826)3月27日隠居
第10代・織田長恭(ながやす)
 文政9年3月27日藩主就任~嘉永5年(1852)3月13日隠居
第11代・織田長易(ながやす)
 嘉永5年3月13日藩主就任~明治4年(1871年)7月14日免官

織田有楽斎の墓 初代長政公の墓

★所在地;桜井市大字芝753
★交通;JR・近鉄桜井駅より バスで「芝」下車 徒歩1分
★駐車場;有ります(無料)
★問合せ;0744-42-6209(慶田寺)



慈光院庭園

2010年06月24日 | 史跡
 大刈り込みが特徴です 撮影日;2010.05.30

 江戸時代初期に大和河内16000余石を有した大名・片桐石州が造ったと伝わります

 書院の低い軒・広い縁・細い柱が造り出す四角い空間の中に、大刈込みの曲線が対照的で際だちます
 
きれいな刈り込みの庭園 大刈込 慈光院の中庭

 枯山水・借景庭園として奈良盆地を取り入れ、青垣の山々が見渡せます
 庭園に石があまり使われていないのも特徴です

 當麻寺中之坊吉野竹林院群芳園と合わせて大和三大名園とされます
 昭和9年に国の史跡及び名勝指定を受けています

 慈光院には重要文化財の手水鉢があります

女ノ字の手水鉢 角ばらずの手水鉢 独坐の手水鉢 つくばい  

★所在地;大和郡山市小泉町865
★交通;近鉄「大和郡山」駅より バスで「慈光院」下車 徒歩1分
★駐車場;有ります(無料)
★入山料;1000円(抹茶接待料込み)
★開館時間;9:00~17:00
★問合せ;0743-53-3004(慈光院



波多子塚古墳

2010年06月22日 | 古墳
波多子塚古墳

 前方部が異常に細長い古墳として知られていました 撮影日;2010.05.22

 全長140m、後方部東西幅約50m→復元幅65m、南北幅45m、前方部長90m、同幅14m
 前方部をほぼ西面に向ける前方後方墳です

 1998年の学術調査で墳丘北側から周濠や葺石、小石室などが発見されました
 本来の幅はもっと広く、後の開墾で墳丘が削られたために現状のようになったのではないかと考えられるようになりました
 
 周濠の外提側上部で東西方向に主軸を持つ板石積みの小石室が発見されています
 蓋石をを載せた後に板石で閉塞した未盗掘の状態でした

 埋葬施設は、墳丘内の石垣に安山岩の板石が多く使われている事から竪穴式石室があったようです
 出土遺物は、朝顔形・鰭付・楕円筒埴輪片・口縁部に鋸歯文の線刻のある特殊器台形埴輪も出土しています

 築造年代は4世紀前半頃

 波多子塚古墳説明板

★所在地;天理市萱生町ハタゴ塚
★交通;JR長柄駅下車 徒歩12分
★駐車場;有りません
★入場料;見学可
★問合せ;0743-63-1001(天理市教育委員会)


参考;大和の古墳探索のブログページ

マバカ古墳

2010年06月21日 | 古墳
 最古の前方後円墳の可能性も有ります 撮影日;2010.05.22

 墳丘規模は現状で全長74m、後円部径43m・後円部高7m、前方部幅26m・前方部高2m
 大和古墳群萱生支群中に存在する前方後円墳です

 前方部の西側すそに、東西約14m、南北約35mにわたって堀のような部分があり、その中で庄内式と呼ばれる古墳時代初期の土師器のつぼや鉢などの破片が多数見つかりました
 その土器から、3世紀前半に築造された可能性が高いと考えられています
 纒向石塚古墳や纒向勝山古墳に近い築造時期の可能性が指摘されています

 クビレ部付近をえぐるように農道が通っています

前方部から見た農道向こうの後円部  マバカ古墳説明板

★所在地;天理市成願寺町
★交通;JR「長柄」駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入場料;見学可
★問合せ;0743-63-5779(天理市教育委員会)

 前方部に刀根早生柿発祥の地の碑が建てられています
 刀根早生柿発祥の地碑


 参考;橿原考古学研究所の発掘資料

小墓古墳

2010年06月20日 | 古墳
小墓古墳

 東側の周濠跡から多数の埴輪と木製品が出土しています 撮影日;2010.05.22

 全長85m、後円部径50m・高さ7.8m、前方部幅70m・高さ6.1m
 三段構築の前方部を南西に向けた前方後円墳です

 後円部の墳丘は削平が著しく、前方部もかなり削られ低くなっています
 幅約20~30mの盾形をした周濠がありました(今は水田になっています)

 濠の中から円筒埴輪、朝顔形埴輪、家型埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪、靫形埴輪、馬形埴輪、鶏形埴輪、人物埴輪、木製品などが出土しています
 墳丘に埴輪の配列がなされていたようです
 後円部の埋葬施設は、横穴式石室の可能性が高いそうですが、調査は行われていません
 出土した埴輪のうち人物埴輪は、「天理市トレイルセンター」に展示されています

 築造時期は、6世紀前半から中頃と推定されています

 小墓古墳説明板 杣之内古墳群

★所在地;天理市杣之内町小墓
★交通;JR「長柄」駅下車 徒歩20分
★駐車場;有りません
★問合せ;0743-63-5779(天理市教育委員会)

 西乗鞍古墳東乗鞍古墳西山古墳峯塚古墳塚穴山古墳などとともに杣之内古墳群を構成しています



東大寺・閼伽井屋

2010年06月19日 | 文化財
 霊水の湧く「若狭井」の覆屋です

 鎌倉時代に建立された切妻造の建物で、国の重要文化財に指定されています

 閼伽井屋の屋根の四隅には、故事に登場する「白と黒の二羽の鵜」に倣い、鵜の形をした瓦が配してあります

★所在地;東大寺二月堂下
★入場料;外観のみ見学可

◎若狭井:若狭(福井)遠敷川上流の「鵜之瀬」まで通じていると言われます
 天平勝宝4年(752)に実忠和尚が修二会を修し、全国の神々を招いたとき
 若狭の遠敷明神が漁に夢中になって遅刻したそうです
 そのお詫びに若狭の聖水を二月堂の観音に捧げることを約束しました
 明神が二羽の鵜を遣わししたところ、二月堂下の岩から鵜が飛び出し
 そこから、香水が湧き出したと伝わっています


 若狭の神宮寺では、毎年3月2日深夜に“鵜之瀬”からこの二月堂へ向けて閼伽水を送る「お水送り」が行われます
 参考;若狭 神宮寺と鵜の瀬



慈眼寺の柿の木

2010年06月18日 | 天然記念物
 慈眼寺は厄除発祥の寺として有名です

 本堂裏に奈良市指定の天然記念物の柿の木が有ります(昭和58年4月に指定) 

 推定樹齢300~400年で、高さおよそ12m
 胸高の周囲約2.7mで、主幹は1.4mの所で4本に分かれて更に分枝
 その中1本は他の1本と癒着しています
 秋には鈴生りの甘い実が成り、柿の木としては奈良県下でも大変に珍しい巨樹です

 毎年11月13日には柿の実を本尊に供え、実りの秋に感謝する「十夜市供養」が行われます
 長寿の実としてお年寄りや、子供にふるまわれるそうです

★所在地;奈良市北小路町7
★交通;近鉄奈良駅下車 徒歩7分
★駐車場;有ります(無料5台)
★入場料;見学可
★問合せ;0742-26-2936 (慈願寺