奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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ひもろぎ遺跡

2016年01月21日 | 遺跡

 山野辺の道に「ひもろぎ遺跡 すぐそこ」の矢印看板が有ります 撮影日;2015.12.20

 桜井市と天理市のちょうど境あたりです

 ミカン畑の中に小さな石碑と纏向小学校同窓会建立の説明板が立っています

  

 北側には渋谷向山古墳「景行天皇陵」)が見えています

 この地域の小地名が「神籬」というのだそうです

★所在地;桜井市穴師
★交通;JR巻向駅下車 徒歩20分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;

 「神籬」とは、神祭りの施設で神霊が降臨する依代(よりしろ)のことです
 八脚台の上に榊を立てて神垂と木綿を取り付けたもの
 よく地鎮祭などで見かけるあの祭壇のようなものです
 語源は、「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、「き」は木の意とされ、神霊が天下る木、神の依り代となる木の意味

銭司遺跡

2014年09月28日 | 遺跡
銭司遺跡
 「鋳銭之遺跡」と記された石碑が建てられています 撮影日;2014.09.20

 奈良時代、鋳銭司(すぜんず)と呼ばれる官職が設けられ国家朝廷による鋳造を担っていました
 銭司の地名はこの官名に由来するものです
 
 「恭仁京」の古瓦と同一の瓦も出土しており、「恭仁京の造営」と共に鋳銭司が置かれ鋳銭が行われたと推定されています

銭司遺跡碑 銭司遺跡説明版

 銭司には鋳銭遺跡が有ります
 明治4年、小字「金鋳山」で完形の「坩堝」が発見されています
 その後、明治10年に「和同開珎」50枚が発見され、大正時代初めの伊賀街道改修工事中に、坩堝片・銅滓・古瓦片等の遺物が多数出土しました
 大正12年、京都府史蹟勝地調査委員(梅原末治氏)が試掘調査を実施しています

★所在地;木津川市加茂町銭司神田
★交通;JR加茂駅より バスで「銭司」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;0774-73-8191 (木津川市観光協会)


赤田横穴墓群

2014年08月17日 | 遺跡
赤田横穴墓群
 医療法人平和会吉田病院の敷地内の丘陵南斜面に築かれていました

 昭和58年の工事中に偶然発見され、1・2号墓の発掘調査か行われています
 14 基の横穴墓が確認され、平成22年度に3~9号墓の発掘調査も行われています

 墓室の規模は、東群の1・2号墓と西群の6~8号墓が長さ3.5~5m、幅2~2.5m
 中央群の3~5号墓が長さ6~8m、幅2.5~3.5m、高さはいずれも2m程度です

 1・3~5・7・8号墓の墓室内には土師質亀甲形陶棺と副葬品が残っており、5・7号墓は未盗掘でした
 副葬品の大半は土器で、3~5号墓は6世紀後半、1・7・8号墓は7世紀中頃の特徴をもつものです
 2・9号墓は墓道から陶棺の破片が出土しました
 
赤田横穴1号陶棺 赤田横穴3号陶棺 

 5号墓の陶棺内からは数多くの副葬品が出土しました
 土器の他、耳環、ガラス玉・管玉・臼玉といった装身具、鉄刀・鉄鏃などの武具があります
 副葬品は陶棺の西側に多く、頭を西にして遺体を置いていたと考えられます
 7号墓の小型陶棺の中からは長さ 1.6cm程の棗玉が1点出土しました
 この小型陶棺子供用の棺と考えられています

 墓道、墓室からは横穴墓がつくられてからしばらく時代を経た奈良~平安時代の遺物も出土しています
 土器や瓦の他、銅(銭「隆平永寶」:796 年初鋳)、土馬やミニチュア土器といった祭祀に用いられることが知られるものがあります
 埋葬後も平安時代前半頃まで断続的に祭祀が行われていたようです

赤田横穴5号奥陶棺 赤田横穴5号手前陶棺

★所在地;奈良市西大寺赤田町一丁目
★交通;近鉄大和西大寺駅下車 徒歩15分
★駐車場;有ります
★見学;現地には何も有りません
★問合せ;0742-33-1821(埋蔵文化財調査センター)
 参照;奈良市埋蔵文化財調査センター速報展示資料 № 44PDF

赤田横穴1号墓
 撮影日;2014.08.07 奈良市埋蔵文化財調査センターにて
赤田横穴7号西陶棺 赤田横穴7号中央陶棺
 (平成26年7月7日~8月29日まで復元陶棺を無料公開・平日のみ)

上人ヶ平遺跡

2014年01月09日 | 遺跡
上人ヶ平遺跡
 弥生時代から室町時代にかけての複合遺跡です 撮影日;2013.11.24

 上人ヶ平古墳群と奈良時代の市坂瓦窯跡・瓦工房跡を中心に遺跡公園として整備されています
 平成22年に公開されました

 台地上に造られた奈良時代の瓦工房跡が有りました
 台地上で13棟の掘立柱建物跡や井戸、土坑などが検出されています

 上人ヶ平古墳群は1・5号墳のみ墳丘が残っていました
 7・8・20号墳の墳丘が復元されています
 6号墳は、その上に奈良時代の瓦工房跡の建物が復元されています
 1号墳は、公園外に保存されています

上人ヶ平5号墳 上人ヶ平7号墳

 5号墳は方形の造り出がある径22mの円墳です
 作り出しを含めると全長26m
 2段築成で周溝あり、上段斜面と作り出し部に葺石がありました
 1段目と2段目の間のテラス部と周溝の外側に埴輪列がめぐっていました 
 埋葬部は不明
 5世紀後半の築造と推定されています

 7号墳は一辺10mの方墳
 8号墳は一辺13mの方墳
 埋葬部は7・8号墳ともに木棺直葬

 6号墳は一辺11mの方墳、14号墳は一辺7.6mの方墳、15号墳は一辺10.4mの方墳
 埋葬部は完全に失われていましたが、形象埴輪を含む多くの埴輪が出土しています

 20号墳は、復元後「展望の丘」となっています

市坂瓦窯跡 市坂2号瓦窯跡 

 隣接する谷部には市坂瓦窯跡があります
 2号窯と8号窯が調査されて石組で表わされています

 関西学研都市整備に伴って1984年に調査が開始されました

 市坂瓦窯跡は幅10mの狭い谷の両岸斜面に8基の窯が築かれていました
 奈良時代後期のものと考えられている

 この工房では、都城の造営という瓦の大量需要を賄うため、大量の製品を効率よく生産するためのシステムが整えられていました
 長大な東西棟建物(9間×4間)が生前と南北に4棟並ぶ堀立柱建物群は、それぞれほぼ軒を接しており、建物の内部空間は、さながら大工場の内部を想起させます
 
 半地下式のロストル式平窯だったと考えられています
 ほぼ同時期に8基の窯が効率よく創業していたようです
 また、古墳の周濠を利用して、粘土を捏ねたりしたことも分かっています

★所在地;木津川市州見台8丁目-1(上人ヶ平遺跡公園)
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「洲見台八丁目」下車 徒歩すぐ
★駐車場;なし
★入場料;タダです
★問合せ;0774-75-1233


音浄ヶ谷遺跡公園

2014年01月08日 | 遺跡
音浄ヶ谷遺跡公園
  音如ヶ谷遺跡公園として公園整備されています 撮影日;2013.11.24

 昭和54年の発掘調査によって4基の瓦窯跡と数棟の堀立柱建物が発見されました
 瓦の文様から「法華寺」の創建瓦を焼いた窯であることが判りました

 2基の瓦窯跡レプリカ(原寸大)が設置されています

音如ヶ谷瓦窯跡 音如ヶ谷瓦窯跡2

 木津川市では音如ヶ谷瓦窯跡・鹿背山瓦窯跡・市坂瓦窯跡・梅谷瓦窯跡の4ヶ所の瓦窯跡が、歌姫瓦窯跡を含め、総面積約3万8千平方メートルの「奈良山瓦窯跡」として国の史跡に指定されています

★所在地;木津川市相楽台7丁目
★交通;近鉄高の原駅下車 徒歩10分
★駐車場;有りません
★入園料;タダです
★休館日;無休
★問合せ;


芝遺跡

2013年11月26日 | 遺跡
芝遺跡
 三輪山東麓の扇状地上に立地する遺跡で、弥生時代を通じて営まれた拠点集落です

 これまで、二十数次の調査が行われ、遺跡の南限は初瀬川の氾濫源におよび、北は現在の巻向川を超えて広がっています
 集落内部の構造や環濠の有無はまだよく分かっていません

 弥生時代中期の方形周溝墓や、掘立柱建物を描いた絵画土器、弥生時代後期の住居址など、当時の集落の状況を示す重要な遺構・遺物が数多く確認されています
 弥生時代末、北隣に成立する纒向遺跡との関係で特に注意を要する遺跡です

 
 大三輪中学校の校門前に説明板が有ります

★所在地;桜井市芝1401
★交通;JR三輪駅下車 徒歩15分
★駐車場;埋蔵文化財センターのPより 徒歩5分
★見学;出土品は桜井市立埋蔵文化財センターに保管されています
★問合せ;


 撮影日;2013.11.07 

池部三ツ池遺跡(古墳群)

2013年09月10日 | 遺跡
池部三ツ池遺跡
 平成18年に発掘調査され「10B-19(古墳状隆起)」の東側から2基の古墳が見つかっています 撮影日;2013.09.07

 1号墳・2号墳ともに尾根の南斜面を利用して築かれています
 石室はほぼ南に開口していました
 埋葬施設は横穴式石室で、石材のほとんどは抜き取られていました

 1号墳は径約10mの円墳
 封土の流出が著しく、墳丘・石室の高さはともに不明
 石室の大きさは幅1.3m・長さ3.6m以上と推測されています
 石室内や西側の周溝から須恵器の他、土師器や瓦器等が多く出土
 平安時代から鎌倉時代にかけて石室を再利用していたと考えられます

 2号境はすぐ東側に有ります
 一辺8.5mの方墳、または径8.5mの円墳
 埋葬施設は横穴式石室と思われますが、全ての石材が失われていました
 石室内法での大きさは幅1.05m・長さ2.8m以上でと推定
 石室内から須恵器高杯と鉄製品が出土

 2号境は7世紀初頭から前葉、1号境は2号境より古く、6世紀後葉~末頃の築造と考えられています 

池部三ツ池遺跡遠景 池部三ツ池古墳群
 馬見丘陵の東支丘の稜線から派生する尾根の南斜面に有ります
 河合第一小学校の北側です
 長林寺とは谷を一筋隔てた尾根に位置しています

★所在地;北葛城郡河合町池部1
★交通;近鉄池部駅下車 徒歩7分
★駐車場;なし
★入場料;見学可能
★問合せ;

 池部天神社の西側です


孝昭天皇掖上池心宮址・玉出遺跡

2013年03月02日 | 遺跡
孝昭天皇掖上池心宮址
 御所実業高校正門の脇に石碑が立っています 撮影日;2013.02.17
 
 『池心宮跡伝承地』の碑は、大正7年に大正天皇即位を記念して、古代天皇の伝承地などを聖跡として建てたようです

掖上池心宮址石碑 伝承によると孝昭掖上池心宮は「よもんばら」あるいは「よもぎ原」という場所に在ったとされます
 現在も御所実業高校の西側の一帯を「よもんばら」と呼ぶそうです
 江戸時代の林宗甫という人が著した和州旧跡幽考という書物によると、伝承地を「御所村と池之内の中間」としています
 掖上池心宮は碑の建つ場所より、もう少し西の方に在ったようですようです

 玉出遺跡は縄文時代後期~古墳時代後期の遺跡です
 孝安天皇陵の西側一帯に広がっています
 遺跡概要;土坑35、柱穴、ピット、土坑、溝、水田、土器棺墓、土壙墓
 遺物;石斧、石鏃、縄文、弥生、土師、須恵、埴輪、石庖丁、石錘、土偶 

★所在地;御所市蛇穴・玉手
★交通;JR玉手駅下車 徒歩8分
★問合せ;


三倉堂遺跡

2013年03月01日 | 遺跡
三倉堂遺跡
 周辺は古墳時代後期の古墳群だったようです 撮影日;2013.02.17

 昭和3年に大鉄(現在の近鉄南大阪線)の新設工事のため、三倉堂古池・新池で土砂採取が行われた際、木棺が出土したことが遺跡発見の契機となりました
 新池から3基、古池から3基の計6基が出土しました

 工事中に偶然発見されたため、考古学的な調査は十分行われず、現在では副葬品の大部分は散逸しています
 残された副葬品については、2木号棺から出土した七鈴鏡と古池から出土した円筒埴輪や弥生土器・須恵器があります
 他に、3号木棺から大刀・鉄鏃・馬具・須恵器
 1号木棺から須恵器が出土したと記録があります(所在不明)
 3号木棺については、年輪年代測定法で時期が測定され、6世紀初頭に伐採されたものと判明しています
 新池からは横穴式石室や須恵器の合口甕棺が検出されたようです

 三倉堂遺跡出土木棺は県指定の文化財です
 長さ1.96~4.1mの底板と側板・ふたを組み立てた組み合わせ式木棺5基
 丸太を半分に割ってくりぬいた割竹形木棺1基が中央公民館で展示されています
 組み合わせ式木棺の数は、古墳時代の全国出土分の半数近くを占めるそうです 

三倉堂池

★所在地;大和高田市西三倉堂・中三倉堂
★交通;近鉄高田市駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;


名柄銅鐸出土地

2012年11月07日 | 遺跡
名柄銅鐸出土地
 鏡と銅鐸が一緒に埋められていた所です 撮影日;2012.11.03

 大正7年5月5日、溜池造成工事中に発見されました
 その溜池跡に石碑が建てられています

 表土下70cmのところに鏡が水平に置かれ、鏡から南へ約30cmのところに銅鐸が横たえられていました
 鏡と銅鐸が一緒に埋められていた例は全国でもこの遺跡だけだそうです

 銅鐸は外縁付鈕式で、鐸身の一つには流水門が、他面には斜格子文の横帯で三段に区画されています

 銅鏡は多鈕細文鏡と呼ばれるもので、鏡としては古い時期の渡来品です
 全国でも6面程しか見つかっていないそうです

名柄銅鐸出土地の碑 銅鐸は高さ約23cm、直径約12cm
 銅鏡は約15.5cm
 現在、国立東京博物館に所蔵されています(重要文化財です)
 参照;国立東京博物館のページ 

★所在地;御所市増・名柄(旧南葛城郡吐田郷小字田中60)
★交通;近鉄御所駅より バスで名柄下車 徒歩1分
★駐車場;スペース有り
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-62-3001(御所市役所)