奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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弘川寺の西行墳

2015年11月11日 | 碑・塚
西行墳・円墳
 西行法師の墓と伝えられます 撮影日;2015.10.04

 径6~7m・高さ2mほどの円墳
 墳丘上に「円位上人墓」石碑が立っています

 西行墳の説明板に、「西行・円位上人は 晩年 空寂座主を慕ってここに到り 文治六年二月十六日七十三歳でこの寺において入寂した」と書かれています

西行墳 西行墳上の石標 

 西行の墓を見つけたのが、似雲です
 その似雲の墓も有ります

似雲墳 似雲墳墓石 

 似雲墳の前の立て看によると、似雲は江戸中期の広島出身の歌僧
 西行を慕って足跡をたどり、終焉の地をここ弘川寺にて古墳を発見
 この古墳の周辺に千本桜を植えて花の庵を建てて住み、西行堂を建立
 生涯を西行追慕にささげたそうです

西行堂 弘川寺 弘川寺本堂 

 (真言宗醍醐派の準別格本山) 龍池山「弘川寺」は桜の名所でも有ります

 665年、役小角によって創建されたと伝えられ、676年にはこの寺で祈雨法が修せられて天武天皇から山寺号が与えられたという
 平安時代の弘仁3年(812年)空海によって中興され、文治4年(1188年)には空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願している
 翌、文治5年(1189年)には空寂を慕って歌人と知られる西行法師がこの寺を訪れ、この地で没している
 寛正4年(1463年)兵火により焼失したが、江戸時代に入り寛延年間(1747年~1750年)歌僧似雲がこの寺を訪れ、西行堂を建立している

 本尊は薬師如来
 有形文化財(大阪府指定);木造空寂上人坐像、木造弘法大師坐像、木造扁額
 史跡(大阪府指定);弘川寺境内
 天然記念物(大阪府指定):弘川寺の海棠(ハナカイドウ:4〜5月に開花する)

★所在地;南河内郡河南町弘川43 (弘川寺の裏山)
★交通;近鉄富田林駅より バスで「河内」下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由
★問合せ;

 龍池山「弘川寺」の境内から桜山のある裏山に登って行くと
 比較的広い広場が有ります


村上義光公の墓

2015年08月31日 | 碑・塚
村上義光公の墓

 村上義光公は、南朝の大塔宮護良親王の身代りとなって割腹した人です 撮影日;2015.07.25
 時は、元弘3年(1333)吉野城が落ちる時

 その義光の首を検分した北条方が大塔宮でないことを知り
 ここに捨てられたのを里人が弔って墓としたと伝えられます

不動坂 義光公墓前の鎧兜 義光公宝篋印塔

 不動坂を登りつめた丘の上に立つ宝篋印塔が義光公の墓です
 墓の右脇に、天明3年(1783)に大和高取藩士・内藤景文によって建立された「村上義光忠烈碑」が有ります

★所在地;吉野郡吉野町
★交通;近鉄吉野神宮駅より 徒歩40分
★駐車場;吉野山下千本駐車場がすぐ近くです
★見学 入場料;自由
★問合せ;

 吉野神宮から1kmほど登っていくと有ります



 村上義光公は信濃源氏の末裔で、息子の義隆公も護良親王に殉じました
 村上義隆公の墓所は勝手神社から南西約1.5kmの路傍に有ります
 
村上義隆墓

 太平記によりと、吉野城が落ちようとする時、護良親王を落ち延びさせるべく義光公は親王の鎧兜を半ば奪うがごとく我が身につけ、高櫓に仁王立ちにて「吾こそ親王なり。天照太神御子孫、神武天王より九十五代の帝、後醍醐天皇第二の皇子一品兵部卿親王尊仁、逆臣の為に亡され、恨を泉下に報ぜん為に、只今自害する有様見置て、汝等が武運忽に尽て、腹をきらんずる時の手本にせよ」と言われ親王の身代わりになって壮烈な自刃を遂げたとの事です
 今生の別れに際して、護良親王は「私がもし生き延びられたら、お前の後生を弔はう。共に斃れた其の時は、冥途の旅路にも伴ふぞ」と仰せになったそうです

 この時、息子の義隆は護良親王とともに行きますが、吉野から高野山に向かう街道を防ぐためとどまって奮闘しますが、力つきて割腹したと伝えられています
 時は元弘3年閏2月1日(1333年4月15日)で、わずか18歳だったそうです


嘉藤太夫妻の墓

2014年11月16日 | 碑・塚
嘉藤太ご夫妻墓
 中将姫を匿い助けた、乳母の侍従の墓です 撮影日;2014.11.02

 日張山「青蓮寺」の境内に有ります
 松井嘉籐太春時と妻静野の墓と伝えられます
 小丘の上に六字名号碑と五輪塔と二基の小宝篋印塔が有ります

嘉藤太ご夫妻の墓 嘉藤太ご夫妻の墓碑

 天平宝字4年(760)右大臣藤原豊成(ふじわらとよなり)公の息女・中将姫は、継母のざん言により14歳の時に日張山に配流されました
 しかし、家臣の松井嘉籐太春時と妻静野の情けによって助けられます
 日張山に草庵を結び、2年6ヶ月の間、閑居練業念仏三昧の日々を送りました
 謡曲 雲雀山 

★所在地;宇陀市菟田野宇賀志1439
★交通;近鉄榛原駅より バスで宇賀志下車 徒歩30分
★駐車場;有ります
★入山料;無料
★問合せ;青蓮寺


増賀上人の墓

2014年10月10日 | 碑・塚
増賀上人の墓
 石段を150段登った、高所に築かれています 撮影日;2014.09.28

 二段石積みの円墳です
 下段は径4m・高さ1.1m、上段径2.3m・高さ77cm
 墳上に五輪塔が立っていました(現在は地輪だけ残っています)
 南面に「上人長保五年(1003) 六月九日」、西面に「慶長七年(1602)十一月九日」と有ります

増賀上人の墓石段 増賀上人の墓入口

 増賀上人は、橘恒平の子で比叡山から多武峰に来て87歳(1003年)で没しました
 名聞を嫌い、奇行が多買ったと伝えられます
 応和3年(963)に如覚の勧めで入山、以後40年間入滅まで隠棲
 開山の定恵にたいして、中興の祖と仰がれます

増賀上人の墓石仏 増賀上人入寂碑

 ここは、妙楽寺奥の院「紫蓋寺」跡です
 明治の廃仏毀釈まで念仏常行堂・地蔵堂・鐘楼・僧坊等が並んでいました 

 進入路に「大西良慶和上生誕の地」碑が建てられています
 その奥には「増賀上人入寂場」と刻まれた石碑が有ります

 石段手前に石仏などが並んでいます
 地蔵石仏は弘治4年(1558)、阿弥陀石仏は天正11年(1583)の刻銘が有ります
 
★所在地;桜井市北山
★交通;近鉄桜井駅より バスで談山神社下車 徒歩20分
★駐車場;スペース有り
★見学;自由
★問合せ;


犬塚

2014年08月08日 | 碑・塚
国栖犬塚
 大海人皇子(後の天武天皇)ゆかりの碑です 撮影日;2014.07.27

 御霊神社の小高い裏山に有ります
 廃校・廃園となった国栖小学校・国栖幼稚園の敷地内です

国栖小学校入口 国栖幼稚園跡

 昔、大海人皇子が天智天皇の後継をめぐる問題で、天智天智の子大友皇子と争いになり、大津京を逃れ、吉野に隠棲していました
 その後大津から追手がかかり、吉野川に沿って窪垣内集落まで逃れて来たとき、川で渡しをしていた老夫婦が、舟をひっくり返して皇子を中にかくまいました
 大津側の追手が連れていた犬カグハナが舟の周りでにおいをかぎ出し、皇子が見つかりそうになったため、翁が赤い石を投げたところ、石に当って犬は死んでしまいました
 こうして皇子は難を逃れました
 その後壬申の乱で、大友皇子を倒して飛鳥浄御原宮で即位しました

 死んだ犬カグハナは、大津の京に置いてきた大海人皇子の愛犬だったことを知った里人は、その亡きがらを岡の上に葬りました
 これが現在の犬塚だそうです


 翁が投げた石は、麓の御霊神社に安置されているそうです

 また、国栖の窪垣内地区では今でも祟があるとして、犬を飼うことはタブーとなっているそうです
 (野生の猿がいました)

国栖白狐園 国栖小学校跡の猿

 校門坂の脇に白狐園が有ります
 谷崎潤一郎の歌碑が有ります
 ゆふされはくぬき林に風たちて国栖の山里秋は来ぬらしと刻まれています 

★所在地;吉野郡吉野町窪垣内
★交通;近鉄大和上市駅より バスで「新子」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;


平維盛の塚

2014年05月23日 | 碑・塚
平維盛の塚
 平維盛は熊野・吉野の山中を流浪の末、野迫川村でその生涯を終えたと伝えられています 撮影日;2014.05.10

 たいらのこれもりは、平安時代末期の平家一門の武将
 平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男です
 美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称されたそうです 
 
 一の谷の合戦で敗れた平家は、屋島へ逃げ延びました
 寿永3年(1184)維盛26歳の時、和歌山田辺の熊野別当田辺湛増(たんぞう)の元へ水軍援助の使者として派遣されました
 湛増は援軍を断りますが、維盛に姫を娶らせて源氏の追討から匿います
 文治5年(1189)源頼朝は、維盛建捕令を発して一大平家狩りを行います
 維盛は奥熊野へ逃れ、山中を流浪
 建保4年(1216)58才の時に野迫川へ来たようです
 承久元年(1219)にこの地で亡くなったと伝えられます

平維盛の塚碑 平維盛の塚説明版

 敷地内には、維盛塚を中心に花鳥風月の庭・ツツジ園・紫陽花園・散策の路・展望台等が整備されています

 塚の北側に有る資料館には、ジオラマなどの展示があります

平維盛歴史の里 平歴史の里館

 毎年7月の最終土曜日に「平維盛の大祭」が行われます

★所在地;吉野郡野迫川村平51(平維盛歴史の里)
★交通;車で国道168号線、大塔町小代下から野迫川村に入り約30キロ
★駐車場;有ります(無料)
★見学 入場料; 無料
★休館日;12月~3月
★開館時間;9:00~17:00 (無人ですが自由に見学できます)
★問合せ;0747-38-0047


隅田八幡宮経塚

2014年05月05日 | 碑・塚
隅田八幡宮経塚
 以前は御廟塚と呼ばれていました 撮影日;2014.04.17

 平成9年8月に、御廟塚から経筒が発見されました
 翌10年に発掘調査が行われ、平安時代末に造られた経典を容器に収めた3基の経が確認されました
 うち一基は当初の姿を残しており、紙本経・銅製経筒・外容器(常滑焼甕)・銅鏡・中国製白磁合子などが出土しました
 紙本経は楮紙に法華経を墨書したもので八巻が経筒に納められていました
 第一巻の墨書銘から長寛2年(1164)に書写されたことが分かりました 

隅田八幡宮銅鏡

 拝殿横には、人物画象鏡のモニュメントが有ります
 人物画象鏡は、日本最古の金石文のひとつとして国宝に指定されている銅鏡(東京国立博物館に寄託)です
 銘文に、「癸未年」(503年)、「男弟王」が大和の「意柴沙加宮」(忍坂宮)にいたときに「斯麻」が鏡を作らせて「男弟王」の長寿を祈ったことが記されています
 「男弟王」は継体天皇とする説があるそうですが、年代に矛盾が有るようです
 銘文
「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」

★所在地;橋本市隅田町垂井622
★交通;JR「隅田」駅下車 徒歩15分
★駐車場;有ります
★見学料;自由 (経塚は本殿の背後に有ります)
★問合せ;



 神社の西側の森の中に、切石積みの精美な横穴式石室が開口しているそうです
 隅田八幡宮古墳と呼ばれる径16mの円墳です
 玄室長3.3m・幅1.7m・高さ1.7m
 羨道長1.7m以上・幅1.4m・高さ1.3m
 両袖式の横穴式石室だそうです(ものすごい薮の為、見学困難です)

話し方観音

2013年12月01日 | 碑・塚
話し方観音
 長岳寺の新四国八十八所の途中に有ります 撮影日;2013.11.07

話し方碑 金井金子郎先生之像と顕彰碑とともに立っています
 昭和53年に建てられています
 金井金子郎氏は関西言論科学研究所所長だった人です

 長岳寺と行燈山古墳「崇神天皇陵」の間に広がる大きな墓地の北側中ほどに有ります
 

★所在地;天理市柳本町
★交通;JR柳本駅下車 徒歩15分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;


長岳寺古墳
 長岳寺の新四国八十八所をさらに進んで、森の中へ入っていくと
 ちょうど長岳寺本堂の南の丘陵上に古墳のような高まりが有ります
 墳丘?の南側に30~34番の祠が有ります
 径10mほどの円墳でしょうか
 墳頂には陥没坑が有り、石のベンチ?(祭壇ではなさそう)が有ります 
長岳寺古墳陥没坑 長岳寺古墳頂

苧環塚

2013年11月25日 | 碑・塚
苧環塚
 「おだまきづか」と呼ばれる小さな塚です 撮影日;2013.11.07

 三輪山の神婚伝説ゆかりの塚です
 活玉依姫(いくたまよりひめ)がおだまきの糸を埋めたとされます
 苧環(緒環)とは、糸巻きに麻糸を巻きつけたもので、苧は麻のことだそうです

 陶都耳命には、活玉依姫という美しい姫があった。ある夜の真夜中に、世にもまれなりっぱな若い男がきて、姫と夫婦のちぎりを結んだ。間もなく姫は妊娠した。父母は驚いた。「お前はたしかに妊んでいるが、夫がいないのにどうしたのか。」と問うた。 姫は、「名も何も知りませんが、姿のたいへん麗しい男の人が毎晩きて、夜明けになりますと、どこかへ帰って行きます。」と答えた。「今夜その男がきたら、寝床のあたりに赤い土をまいて置き、緒環(おだまき)の絲の端を針にとおして、男の着物のすそに刺しておけ。」と父母は教えた。 姫は教えられた通り、衣のすそを針に刺しておいた。夜が明けてから見ると、室の周囲の赤土には足跡はなく、糸は戸のかぎ穴からぬけ出て、三輪山の神の杜に入り、家には緒環にわずかに三輪だけが残っていた。それからこの地を三輪と呼ぶことになった。

苧環塚碑 三輪山

 すぐ南側の小さな橋の袂に地蔵堂と大神宮石灯籠が有ります 

★所在地;桜井市箸中1052
★交通;JR巻向駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;

 過ぐ北に箸墓古墳「大市墓」が有ります


和泉式部の墓

2013年11月03日 | 碑・塚
和泉式部の墓
 鎌倉時代前期の造立で、高さ約130cmの五輪塔です

 小さなお堂(廃寺)の裏庭に有ります

 和泉式部の墓と云われているものは全国に数多くあります
 和泉式部は、平安時代中期の歌人
 地元の伝承では、木津で生まれ宮仕えの後、木津に戻って余生を送ったとされています
 木津川は、かつて泉川と呼ばれていた為、土地の人が和泉式部と結びつけたものと思われます

★所在地;木津川市木津殿城
★交通;JR木津駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0774-73-8191 (木津川市観光協会)