
仁和寺から移築された多宝塔です 撮影日;2015.04.19
当初の塔は雷火で消失し、万治2年(1659)に久米寺の東塔跡に移建と伝えられます
昭和60年の解体修理時に現在の場所に移されました
江戸時代初期の様式
当初材をよく保持し、京都風のおだやかな手法を持ち、均衡のとれた多宝塔です
頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)、須弥壇(しゅみだん)など細部に禅宗様が濃厚です
塔内には大日如来坐像が安置されています
久米寺は仁和寺の別院です
久米仙人の伝説でも良く知られたお寺さんで、あじさい園も有名です


多宝塔の南には塔の一辺が10.7mに及ぶ塔跡及び礎石が残っています
当初の多宝塔は天慶5年(943)に雷火にあっているようです
大塔礎石は心礎を含め17個が完存
塔平面の大きさは国分寺を除けば、最大平面規模といわれます
心礎の大きさは3.9×2.9m、上面に径93cm、深さ29.7cmの円穴が有ります
★所在地;橿原市久米町502 (久米寺境内)
★交通;近鉄

★駐車場;有ります(無料)
★見学;自由 (あじさい園は、入園料:400円)
★問合せ;

以前は手水鉢として利用されていたそうです 撮影日;2015.03.15
1990年に重要文化財に指定され、覆屋が設けられて保存されています
玉手山3号墳(勝負山古墳)から出土したものと伝えられています
長さ2.56m・幅0.9m
4世紀のものと推定されています


石材は香川県の鷲ノ山産の凝灰岩を使用して造られています
口縁部に日本独自に発達した直線と弧線千を組み合わせた幾何学模様の直弧文と呼ぶ線刻が施されています
同様の形態の石棺は、多くは四国の前期古墳から出土し、近畿地方では京都府八幡茶臼山古墳の舟形石棺と大阪府二本木古墳の割竹形石棺が知られています
玉手山3号墳は、安福寺の北側丘上に有る全長160mの前方後円墳です
大坂夏の陣では、このあたりの争奪が焦点となり、激戦が繰り広げられたことは有名です
墳頂部には竪穴式石室が在りますが、石棺「身」部分の存在は確認されていません
★所在地;柏原市玉手町7-21
★交通;近鉄

★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;

「法蓮造り」と呼ばれる農家建築です 撮影日;2014.11.22
法蓮造りは、町家風の農家です
江戸時代の法蓮村は、市街地である奈良町に隣接する農村でした
村内の農家は町家のように奥行きが深い宅地に、隣の家と軒を並べて建っていました
住宅の正面には町家のように法蓮格子と呼ばれる丸太の格子を設けたのも特徴です
旧田中家住宅は、「法蓮造り」として現存最古と言われています
建築年代は18世紀末~19世紀初めごろと推定されます


昭和57年に市指定文化財に指定
同年に解体され部材を保管
平成2年、現在地に移築復元されました
建物の北半分はザシキなどの部屋で、三つの部屋が一列に並び、建物表側からザシキ、ナカノマ、サンジョウノマと続く
南半分はニワ
カマドを中心に牛小屋も設けられています
★所在地;奈良市五条町204-1(都跡公民館に隣接)
★交通など;旧田中家住宅参照
同敷地に「昔のくらし館」が有ります

失われつつある民俗資料(生活文化資料)を展示しています


見学無料です



隣りの郵便局前に枝を伸ばす見事な松が目印です 撮影日;2014.11.20
廊坊家は中世には長谷寺一山の運営に携わったと伝えられます
登録有形文化財(2009年8月)です
主屋は江戸時代末期(1830~1867)の建築
長谷寺参道に水路を挟み南面して建ちます
間口11mの木造つし2階建で、背面に平屋建の居間を付設する
切妻造桟瓦葺、正面に下屋庇を付け、上部を黒漆喰の大壁とし、白漆喰の虫籠窓を開ける
下部は出格子を構え、格子戸をたてる

門前町の伝統的な佇まいを伝えています
町村制が施行される明治22年まで村長にあたる戸長を務めていました
当家の先祖は、長谷寺創立と関係深い藤原房前公より出ているそうです
代々長谷寺の別当として、中世以後は俗別当として、寺役を勤められた家柄だそうです
★所在地;桜井市初瀬870
★交通;近鉄

★駐車場;付近に有料駐車場有り
★見学;未公開です
★問合せ;

美杉町の伝統的な茅葺の民家です 撮影日;2014.04.27
江戸時代後期の建築です
登録有形文化財(建造物)、平成22年9月指定


東側に土間、西側に座敷を配する当地の典型的な建物です
南向き斜面の敷地中央に南面して建ち、桁行133m梁間8.3m・木造平屋建・入母屋造茅葺です
西側の床上部は、表側を座敷とする伊賀地方南部からその周辺に分布した前座敷型三間取を基本としています
すぐそばに国の名勝「三多気の桜」があり、この桜並木とともに豊かな山村景観を形成しています
★所在地;津市美杉町三多気162
★交通;JR

★駐車場;有ります
★見学;可
★開館時間;現在もお住まいです
★問合せ;

旧観覚寺村の北端付近にあり、この辺りは町場の北端に位置し、農村的性格を兼ね備えていたと考えられます
主屋は街道から少し後退して建てられ、平屋建て、切妻造、桟瓦葺である
上家の壁面は、土壁で塗り込めた大壁造で、虫籠窓は無く、上屋大棟は青海波積にしている
居室部の前面には庭を造り、主屋出入り口左手から前庭を囲むように塀を立て、街道・出入り口間に向かって塀重門を開けている
塀は延べ石に柱を立て、真壁腰板張り、桟瓦葺にしている
高取城下町にみられる民家とは、少し趣を異にした構えになっていました
★所在地;高市郡高取町観覚寺1533
★交通;近鉄

★駐車場;なし
★見学;外観のみ(現在は新しく建て直されています)
★問合せ;

県内で最も古いとされている電動式のエレベーター建屋です
10年ほど前まで製薬業を営んだ宮本延寿堂の敷地に有る建物です
大正5~10年頃の建築で、陸屋根を丸薬の干し場としていました
当時はどこの家庭にでも配置薬が有りました
商売が軌道に乗り、庭だけでは乾し場が手狭になって建てたようです
当寺としてもかなり珍しいドイツ製の電動エレベーターが使われています
外壁は分厚い杉板が張られ、100年近く経った現在でも往時の姿を今に留めています

主屋とは渡り廊下で繋がれています
主に六神丸などの丸剤を天日干しで乾燥させていたようです
六神丸はジャコウ、牛黄(牛の胆石)、熊胆(月の輪熊の胆嚢)、人参(オタネニンジン)、真珠、蟾酥(せんそ:がまの油)を成分とし、名称はこの6つの神薬(高価で貴重な薬)でできていることに由来します
★所在地;高市郡高取町大字清水谷1011
★交通;近鉄

★駐車場;なし
★入場料;公開はしていません(外観のみ見学可)
★問合せ;
高生神社の参道横に有ります
撮影日;2011.04.11

上街道沿い、丹波市の旧アーケード前に建ちます 撮影日;2013.10.21
江戸時代後期(1751~1829)の建築です
2005年11月に登録有形文化財に指定されています
主屋は、2階建のたちの高い姿形は通りに面して際だった存在です
桁行5間・梁行5間半規模の2階建
屋根は北を切妻造、南を入母屋造の本瓦葺とし、内部は北方床上部に2列3室を配し、2階には8畳座敷や茶室等を設ける

土蔵は、主屋床上部の西方・敷地北辺沿いに南北棟で建つ
桁行2間・梁間2間規模で、切妻造・本瓦葺の2階建土蔵です
東面に桟瓦葺の下屋庇を差し掛けて戸口を設ける
外部は漆喰塗とし、2階に片開き窓、軒に換気口を開ける
主屋背面中庭を囲う構成要素のひとつとされます
★所在地;天理市丹波市町20
★交通;JR・近鉄

★駐車場;有りません
★入場料;見学不可(外観のみ)
★問合せ;