奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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鑑真和上御廟

2008年11月30日 | 碑・塚
 御廟前にはとてもきれいな苔の絨毯が広がります 撮影日;2008.10.29

 唐招提寺境内・北東隅の土塀内にある方状墳です
 中心に鎌倉時代の宝篋印塔が建てられています 

 開山鑑真和上の墓所です 

★所在地;奈良市五条町13-46
★交通;近鉄西ノ京駅下車 徒歩10分
★駐車場;120台(有料)
★入場料;600円
★拝観時間;8:30~17:00
★問合せ;0742-33-7900

 【鑑真和上】(688~763)
 唐の揚州に生まれ、14歳で出家
 洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されました
 天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意
 その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を消失
 天平勝宝5年(753)、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。
 以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました
 渡航の様子は、「東征伝絵巻」(重文)に描かれています




東大寺・俊乗堂

2008年11月28日 | 名所
 本尊として快慶作と伝えられる重源上人坐像(国宝)を安置します 撮影日;2008.9.23

 現在の俊乗堂は、浄土堂が永録10年(1567年)の兵火で類焼した後
 宝永元年(1704)に公慶上人が重源上人の菩提を祈るためにここに建立

 阿弥陀如来立像(釘打の弥陀、快慶作・重文)、愛染明王像(重文)も安置しています 

★所在地;東大寺・鐘楼がある場所の片隅に建ちます
★問合せ;0742-22-5511

 『俊上坊重源』
 建永元年(1206)86歳で没しています

 養和元年(1181)8月、朝廷から「造東大寺大勧進職」に任ぜられ
 諸国を勧進して寄進を募り、源頼朝公らの協力を得、宋人陳和卿ちんなけいらとともに大仏を修復・鋳造
 文治元年(1185)には後白河法皇を導師として大仏の開眼供養を行ないました

 『俊乗忌』
★毎年7月5日に午前8時から論義法要が行われます
 その後、秘仏の重源上人坐像が一般公開されます(11:00~16:00無料)




法隆寺・五重塔

2008年11月27日 | 文化財
 我が国最古の五重塔として知られますね(国宝) 

★飛鳥時代の建立とされます
 日本書紀の記述に天智9年(670)の火災以降に再建と有ります
 近年、塔の心柱の伐採が594年であることが年輪年代測定法により判明
 (前年の593年は聖徳太子が摂政の位に就いた年です)

 非常に均整のとれた、安定した美しい印象を与える塔です 

★高さ約31.5m(基檀上より)
★五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分です

 最下層内陣には、奈良時代初期に造られた塑像群があります

 地下1.5mに埋められた大理石の上部には舎利奉納孔があります
 (本当に仏舎利があったのかは謎です)
 相輪に掛かっている鎌は法隆寺の七不思議の一つとして様々な説があります

場所;法隆寺・西院伽藍参照



都筑惣左衛門の五輪塔

2008年11月26日 | 石造物
 東明寺の西方竹藪の中に有ります 撮影日;2008.10.29

 養子為成が建立した大五輪塔と顕彰碑が現存しています 

★所在地;大和郡山市矢田町2230
★交通;近鉄橿原線「郡山」駅より
  矢田山行きバスで「横山口」下車 徒歩30分
★駐車場;有ります(20台)
★入場料;タダです
★問合せ;

【都筑惣左衛門】
郡山藩家老
名は云成(いいなり)
元和元年(1615)越前から大坂の陣に参加、二代将軍徳川秀忠の命令で姫賂城主本多家に仕えた。
寛永16年(1639)本多政勝が郡山に移るのに従い、筆頭家老として3,500石を与えられ五軒屋敷に住む。
俳諧をよくした風流人でもあったが、「九六騒動」では本家筋のため大いに活躍した。
慶安2年(1649)6月、没68歳。矢田東明寺に葬られる。


【九六騒動】
豊臣秀頼の後、最後の摂津大坂藩主となった松平(奥平)忠明が12万石で入り、播磨姫路へ。
播磨姫路から本多政勝が15万石で入るが、政勝の没後、後嗣を巡って、政勝の従兄弟、本多政長が9万石、政勝の実子本多政利が6万石と分かたれる。
本来なら家督が巡る機会など無かった政勝は、自分の息子である本多政利に家督を譲りたいと思うようになった。
そこで政勝・政利父子は時の大老・酒井忠清に取り入って、自らが家督を継ごうと画策し始める。
これを見た本多氏の忠臣・都築惣左衛門は政勝に対して一刻も早く家督を成長した政長に譲るように要請する。
これにより、政勝はしぶしぶ政長を養嗣子と定めたが、政利の家督への野望がその程度で立ち消えるわけが無く、寛文11年(1671年)に政勝が死去すると、即座に酒井忠清に取り入って裏工作を行なった。
そして、幕府の裁定により、所領15万石のうち9万石を政長が、残り6万石を政利が継ぐようにと命じられた。
この9万石、6万石の分地により、この騒動は「九・六騒動」と呼ばれている。


 本堂横にある七重石塔は、高さ4.15m(鎌倉時代後期の作)です



大国見山

2008年11月23日 | 名所
 頂上付近には磐座だったと思われる巨岩が多く有ります 撮影日;2008.10.17

 標高は498m
 三角形の山容が美しい山です
 西から北への眺望がよく、眼下に天理市街と奈良盆地が開けます
 生駒山から奈良奥山方面までを一望できます

★所在地;天理市滝本町・石上町
★交通;JR・近鉄天理駅より
    六郷小学校又は苣原行バスで「上滝本」下車 徒歩60分
★駐車場;有りません
★問合せ;0743-63-1001(天理市商工観光課)



 山頂には「御山大神」と刻まれた岩と小さな祠が祀られます
 烽火(のろし)を使う際に油を溜めたという穴が残っています 


 桃尾の滝から1時間ほどです

植槻寺跡

2008年11月21日 | 古跡
 創建や廃絶の年代も不明、正確な寺院の位置も不明と言う謎の寺院です 撮影日;2008.9.16 

 植槻寺は、和銅2年(709)藤原不比等が浄達法師を招いて維摩会を行った道場とされます
 奈良時代には「建法寺」と称されていました

★所在地;大和郡山市植槻町5-2
★交通;近鉄郡山駅下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★問合せ;

 植槻神社境内の北側にあった観音堂は、植槻寺の後身の堂だったとされます(光伝寺に移建されています)
 神社周辺から、奈良時代の瓦や土器が出土しています

 薬師寺の梵鐘は、長保5年(1003)に鐘楼が焼失したあと植槻寺から引き取ったものだそうです
 薬師寺講堂の薬師三尊銅像は、郡山築城の際に掘り出され移されたそうです



角刺神社の鏡池

2008年11月20日 | 古跡
 飯豊皇女の忍海角刺宮があった場所です 撮影日;2008.9.23 

 飯豊皇女がこの池の水面を鏡の代わりに利用したという故事から「鏡池」と呼ばれているとそうです

 当初の池はもっと広がっていて、中将姫が曼陀羅を織った蓮が一面に生えていたと伝わります

★所在地;葛城市忍海322
★交通;近鉄忍海駅より 徒歩2分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)

 角刺神社の境内東に有ります

 1kmほど北に飯豊天皇陵「北花内大塚古墳」が有ります



法隆寺・夢殿

2008年11月19日 | 文化財
夢殿
 法隆寺・東院伽藍の中心となる建物(八角円堂)です

 夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれています
 別院上宮王院(東院伽藍)の仏殿、聖徳太子の供養塔でもあります 
 
 643年に蘇我入鹿によって焼かれ、現在ある夢殿は天平時代の建立
 瓦ぶきの屋根は創建当時のものです

 中央の厨子に、聖徳太子等身と伝える秘仏・木造観音菩薩立像(救世観音・国宝・飛鳥時代)を安置します

★所在地;生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1


 東院の建立に尽力した行信僧都の坐像(国宝・天平時代の乾漆像)
 荒廃していた東院の復興に尽力した道詮律師の坐像(国宝・平安初期の塑造)
 聖観音立像(重文)を安置しています
 
 夢殿の名前の由来は太子が夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名づけられたそうです

地光寺跡

2008年11月16日 | 古跡
 現在は建設会社の駐車場のような施設があるだけ 撮影日;2008.9.23

 二つの寺院遺跡「地光寺東遺跡」と「地光寺西遺跡」が有ります

 葛城市歴史博物館に展示されている「鬼面紋軒丸瓦」「葡萄唐草紋軒平瓦」が出土したことで早い時期から知られていました
 遅くとも8世紀には成立して伽藍を誇っていたようです
 建立者の古代豪族忍海氏の衰退にともなって廃絶に向かったと考えられています

★所在地;葛城市笛吹・脇田
★交通;近鉄忍海駅より 徒歩15分
★駐車場;有りません
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)

 脇田神社の境内と西の水田の中に巨大な塔心礎が残っています
 東が「薬師寺式」伽藍の寺、西が「四天王寺式」伽藍の寺と推定されています

 地光寺は室町時代まで存続
 永正3年(1506)頃に笛吹神社境内に移転して神宮寺の「上之坊」となったようです



桃尾の滝

2008年11月15日 | 
 「布留の滝」として古今和歌集にも詠まれる景勝地です 撮影日;2008.10.16

 落差23m、滝壺は有りません

 明治に廃絶した桃尾山「龍福寺」の境内地にあり、中世には真言密教の大道場があったそうです  

★所在地;天理市滝本町
★交通;JR・近鉄「天理」駅より
    六郷小学校又は苣原行バスで「上滝本」下車 徒歩15分
★駐車場;15台程度
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-63-1001(天理市商工観光課)

 布留川の上流、桃尾山に有ります

 修験道の行場として知られ、毎年7月第3日曜には夏の安全を祈願して「滝開き」の神事が行われます

 元禄元年(1668)には松尾芭蕉もこの地を訪れています

 草薙の剣を持っていた八岐の大蛇が剣となって降臨したとの伝承も有ります