奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

條ウル神古墳

2009年10月26日 | 古墳
 国内最大級の横穴式石室を有します 撮影日;2009.9.7

 巨勢山古墳群の658号墳です

 古墳は削られて(道で分断されて)いるため墳丘の形は不明ですが、全長100m以上と推定されます

 石室は泥がたまった状態で、高さ3.8m、長さ7.1m、入り口の幅2.7m
 同時期の古墳の石室としては見瀬丸山古墳石舞台古墳につぐ最大級のものです
 
 石室内には、蓋が屋根の形をした家形石棺があります
 石棺は全長270cmで、国内最大の見瀬丸山の275cmに匹敵します
 被葬者は巨勢氏など地元の有力豪族ではないかとみられています
 許勢稲持・比良夫とする説もあります

 家形石棺は蓋の「縄掛突起」が8つあるという、他にほとんど例のないものです
 大正期に当時の奈良県技手西崎辰之助さんによって報告されていましたが、その巨大さと特異さゆえに信用されなかったそうです

 石室の形式などから6世紀後半の築造とみられています

 2002年3月に現地説明会があり、その後埋め戻されています

★所在地;御所市條(字ウル神)
★交通;JR玉手駅より 徒歩25分
★駐車場;有りません
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;



参考;邪馬台国大研究のホームページ

奥ノ芝古墳

2009年10月15日 | 古墳
 奥ノ芝古墳群は4基の古墳で構成されます 撮影日;2009.9.20

 昭和46年(1971)の発掘調査で確認された1・2号墳が県史跡に指定されています

◎奥ノ芝1号墳は「宅地開発の邪魔」として破壊されてしまいました 
 現在はひのき坂古墳公園に復元されています

 径10m程の円墳
 発掘調査で尾根東斜面に造られた南に開口する石室であることが明らかになった
 平たい流紋岩質凝結凝灰岩(榛原石)をレンガ状に積み上げた両袖式の横穴式石室(磚積石室)をもつ
 出土した須恵器、土師器等から考えて7世紀中頃の構造と見られている
 石室の規模
 全長6.3m、玄室長2.56m、同幅1.2m、同高1.45m、羨道長3.75m、同幅1.05m

1号墳石室  

★所在地;宇陀市榛原区ひのき坂
★交通;近鉄榛原駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
 (奥ノ芝2号墳はフェンス内に有ります)
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)

奥ノ芝2号墳

◎奥ノ芝2号墳はほぼ同規模の円墳です
  (1号墳の南100m程の所に有ります)
 南に開口する磚積石室をもちます
 石室の規模
 全長7m、玄室長3m、同幅1.9m、同高1.9m、羨道長4m、同幅1.37m、同高1.55m
 箱形石棺が安置されています
 須恵器、土師器、金環、鉄鏃、鉄釘が出土
 7世紀前半の築造

2号墳石室  

御井神社ツルマンリョウ自生地

2009年10月14日 | 天然記念物
 ツルマンリョウの北限地です 撮影日;2009.9.20 

 昭和28年3月23日に県の天然記念物に指定されています

 ツルマンリョウは台湾、中国のほか日本では、鹿児島県屋久島、山口県・出雲神社境内と本県に自生分布する希産種です
 
 奈良県では吉野町の妹山樹叢・山口高鉾神社境内、東吉野村の八幡神社境内・丹生川上神社中社、榛原町の初生寺境内・御井神社境内にその分布を見ることができ、ツルマンリョウの自生においては奈良県は多産種といえます

 ツルマンリョウは、ヤブコウジ科の常緑の匍匐性低木で雌雄異株です
 開花期は7月中旬で果実は球形で翌年9月頃に紅熟します
 匐枝は地下を浅くはって分岐し、そこから地上茎が頂生します
 花は葉脈に集中して出て花弁を有します

★所在地;宇陀市榛原区桧牧964
★交通;近鉄榛原駅より バスで桧牧下車 
★駐車場;数台可能
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)


 参考;ツルマンリョウ

文彌麻呂の墓

2009年10月13日 | 史跡
 八滝の米山山中に史跡公園として整備されています 撮影日;2009.9.20 

 天保2年(1831)に銅製の墓誌を納めた銅箱金銅製の壺ガラス製の緑瑠璃壺が発見されました

 墓はその後埋め戻され、出土した品は地元の「龍泉寺」に保管されていました
 明治11年(1878)に帝室博物館(現在の東京国立博物館)に移され、昭和27年(1952)に国宝に指定されました

 銅製の墓誌板には
 『壬申年将軍左衛士府督正四位上文禰麻呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒』
 と刻まれていました

 この墓誌から、ここが慶雲4年(707)9月21日に亡くなった左衛士府の長官で正四位上の文禰麻呂(ふみのねまろ)の墓であることがわかりました

 文禰麻呂は大海皇子(天武天皇)に仕え、壬申の乱(672)で功績を残した将軍です
 「日本書紀」「続日本書紀」には書首根麻呂と記されています

 昭和57年(1982)に再調査され、一辺が約2.5mの穴とこれを埋めた粘土などが見つかっています

 この墓は奈良時代の上級官人の埋葬方法が明らかになった数少ない例であり
 昭和59年(1984)4月に貴重な遺跡として国の史跡に指摘されました


 文禰麻呂の墓の前面に、次の万葉歌を刻んだ碑があります
≪さを鹿の 来立ち鳴く野の 秋(あき)萩(はぎ)は 露霜負(お)ひて 散りにしものを≫巻8-1580

 作者は文禰麻呂の子の馬養(うまかい)です
 主税頭や筑後守を経て天平宝字元年(757)には鋳銭長官をつとめた人物です
 
 この歌は橘諸兄の邸宅で催された宴の席で馬養が詠んだ2首のうちの一つとされています

★所在地;宇陀市榛原区八滝
★交通;近鉄榛原駅より 神末・上内牧行きバスで八滝下車 徒歩30分
★駐車場;有ります(トイレも完備)
★入場料;タダです
★問合せ;0745-82-2457(宇陀市観光協会)


 参考;Don Panchoさんのページ

笛吹奥宮笠神の聖地

2009年10月08日 | 古跡
 化粧川沿いに有ります 撮影日;2009.9.13

 神代、笛吹大明神が、天香久山で採った竹で作った笛を、吹き鳴らして
 神楽の舞を踊って、天照大神に奉納したという伝説があります 

 石碑(左)には、次のように彫られています
 「笛吹奥宮笠神の聖地」
 『 天照す神の隠れる戸をあけて、日の出にかへす笛吹の神 』

 天照皇大神宮御遷座のとき、御先導神である猿田彦神の遺跡とも伝われます

 横に白木の鳥居が有ります
 元々何もなかったのか??土砂に埋まったのか???


 
★所在地;桜井市小夫
★交通;近鉄長谷寺駅より 小夫行きバスで終点下車 徒歩15分
★駐車場;数台可能
★入場料;見学自由
★問合せ;

 小夫天神社から1km程東に有ります


小夫六角形石灯籠

2009年10月06日 | 石造物
 日本灯篭百選の一つです 撮影日;2009.9.13 

 桜井市内現存最古の在銘石灯籠です

 本殿向かって右側に立ちます

 荒質の花崗岩製の六角円柱祓戸型石灯籠(像高1.94m)
 嘉暦2年(1327)11月23日 願主藤原宗房・大江定光の銘がある
 火袋に観音像が彫られている
 (風化しているが、目を凝らすと見えるそうです)

★所在地;桜井市小夫字神前田
★交通;近鉄長谷寺駅より 小夫行きバスで終点下車 徒歩5分
★駐車場;
★入場料;見学自由
★問合せ;0744-48-8344(小夫天神社)



小夫天神社のケヤキ

2009年10月05日 | 巨樹
 大欅はこの斎宮跡地に建つ天神社の磐境としての神木です 撮影日;2009.9.13

 樹高25m、目通り幹周り11.0m、樹齢1500年と伝承されます
 奈良県第二の巨木だそうです 

 この欅の由来は、第23代顕宗天皇の時
 顕宗記に「埴槻也田中乃杜也」とありますが、社務所のあるあたりは古来から神前田と称され、田中の杜と符号します

 小夫の「天神社」の石垣の横から、太い幹が突き上げているます
 遠目にすごい巨木ではないですが、近づくと根元の迫力には圧倒されます
 
★所在地;桜井市小夫字神前田3147
★交通;近鉄長谷寺駅より 小夫行きバスで終点下車 徒歩5分
★駐車場;0744-48-8344(小夫天神社)
★入場料;見学自由
★問合せ;


 2014.04.12 再訪しました 2014.04.20 画像追加
全景
 やっぱり、迫力の有るケヤキですね
境内より 横から

瀧蔵神社弥勒菩薩石仏

2009年10月04日 | 石造物
 瀧蔵神社の鳥居前を降りていくと宝篋印塔跡地、弥勒菩薩石仏、観音屋敷跡、黄金塚などがあります
弥勒菩薩石仏
 撮影日;2009.9.13 

 弥勒菩薩石仏は胸のあたりで割れていますが、南北朝時代の作と推定されています
 像高89.4cm

 宝篋印塔跡地には鎌倉時代後期の金剛界四方佛梵字を彫った小型の十三重石塔残欠(二重のみ)が置かれています
 
 会所の南にある新しい宝篋印塔は享保17年(1732)10月に武州(武蔵国)玉川村の門徒が施主となって造立した旨を刻んでいます

★所在地;桜井市瀧倉字権現山
★交通;近鉄長谷寺駅より バスで「瀧藏」下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;

 瀧蔵神社の参道に権現桜として知られるきれいな枝垂れ桜があります



心見の池「鏡池」

2009年10月02日 | 古跡
 笠山荒神社の近くに有ります 撮影日;2009.9.13

 『鷲峯のしずくが集めて 鏡池 心のあかを おとし詣でん』と書かれた立て看板があります

 この池は、猿沢池に通じており、池に落ちると「猿沢池」に浮かび上がるという伝説が有ります

 聖武天皇の時、東大寺の「大仏殿」を建立する際、土木の役夫百数十人が死傷して伽藍の建立が不可能になりました
 良弁僧正が勅を受けて笠山に登り、「心見(こころみ)の池」で身を清めた後
 荒神裏参道鳥居前の葛岡(くずこ)山にて七夜の祈誓を行うと「七岫七谷の峯に荒神を祀れ」と告げがあり
 板に荒神を描き「笠寺」に安置して帰りました
 すぐに日本中の女人より髪の毛1握りずつの寄進があり、その髪で大綱を作り大仏殿の棟上げが出来たとされます
 

★所在地;桜井市笠
★交通;近鉄桜井駅より バスで「笠荒神口」下車 徒歩*分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;



笠山荒神閼伽井の池

2009年10月01日 | 名所
 「笠山三宝荒神」表参道の左手脇に、「閼伽井不動明王」が祀られています 撮影日;2009.9.13
 
 祠の前の池には「日章之瀧」が流れ込んでいます
 除災招福・諸願成就などに霊験あらたかで閼伽井の池は浄めの水として用いられています

 弘仁10年(819)第52代嵯峨天皇の時、空海が金剛峯寺の建立を志し、当地に来て「笠寺」に寄寓しました
 当時「鷲ケ峯山」は入山禁止でしたが、空海は「閼伽井」を行場と定めます
 この池で身を清め21日間の行を修め、高野山に金剛峯寺を開基しました
 しかし、火災や疫病に見舞われ思うにまかせず、空海は再度「閼伽井」で水行し
 不動明王を祀り、荒神の分霊を高野へ勧請して障碍なく開山されたと伝わります


 笠山荒神社の境内社として、弁財天社、黒龍社、白龍社が祀られます

祭典日;10月28日

★所在地;桜井市笠
★交通;近鉄桜井駅より バスで「笠荒神口」下車 徒歩*分
★駐車場;有ります
★入場料;タダです
★問合せ;0744-48-8312(笠山荒神社)